石川雅之『もやしもん』。「見えないウイルス」の世界を覗き見る

新型コロナウイルスという見えない脅威を「正しく恐れる」の良きテキストがここに?
もやしもん(1) (イブニングコミックス)
もやしもん(1) (イブニングコミックス)
Amazon.co.jpより

新型コロナウイルスの猛威が世界を覆っている。原子力発電所事故以降の放射能に対する過剰反応が示すように、人間は「目に見えない脅威」に弱い。日本政府の対応や情報開示が後手に回っているのもあり、不安が高まるのも無理はない気もする。

では、もし病原体が「目で見える」としたら、どうだろう?

そんな思考実験と、菌やウイルスに関する知識を仕入れる教材として、今回は石川雅之の『もやしもん』(講談社)を取りあげよう。2004年から2014年まで長期連載され、手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞してアニメ化もされた快作だ。

主人公は「菌が見える少年」

物語は、日本酒造りに用いる種麹(もやし)を商う老舗の次男坊・沢木惣右衛門直保(そうえもんただやす)と幼馴染の結城蛍(けい)が農業大学に入学するシーンから始まる。基本はこの農大を舞台にアレコレ起きる「学園モノ」だ。

本作を異色作としているのは、「主人公・直保は菌やウイルスを肉眼で見られて、会話もできる」という、なかなか強引な設定だ。この一点突破の「異化」の効果で、読者は2つの世界とその「あわい」を行き来する風変わりな視点を提供される。

2つの世界とは人間界とミクロの世界であり、後者の描写ではコミカルに記号化された菌やウイルスが言葉を交わし、時に直保がそこに絡む。

学園モノとしての『もやしもん』には定評があり、美点は語りつくされているから簡潔に触れるだけとしよう。

農大という特殊な世界とそこに住む奇人・変人が丹念に描かれ、その異界に適度に外界が侵入するストーリー展開や、多様なキャラクターの造形が抜群で、群像劇としてだけ見ても退屈しない。私のお気に入りはトラブルメーカーの美里薫と川浜拓馬の先輩コンビ。女性キャラも魅力的で、作画の密度も高い。

大学という、モラトリアムを許された閉じた時空の「空気」の再現度が高く、『のだめカンタービレ』(講談社)のように、時折、その世界に浸りたくなる中毒性の高い作品だ。

今に続く「ワクチン不毛の地・日本」

これだけで読んで損はないとオススメできるが、もう1つ、このマンガの凄いところは「ウンチク」の分厚さだ。全編通してお酒や食品などの発酵の仕組みや文化、菌、ウイルスについて、過剰なほどマニアックな知識が盛り込まれている。その「ウンチク」が頭にスッと入りやすいのは、マンガという視覚に訴えるメディアの強みに加え、菌やウイルスが「一人称で語る」という奇妙な世界観によるところが大きい。

世間を騒がすコロナウイルスに引き付ければ、菌やウイルスという見えない脅威を「正しく恐れる」ための良きテキストとなる部分も多い。

たとえば序盤に直保が集団食中毒を未然に防ぐシーン。特殊能力で視認した原因菌O-157は、可愛らしい外見で「かもして ころすぞ」というセリフを笑顔で吐く。酸性の環境に耐えるO-157の存在を見抜いた直保は、加熱しても活動を続ける別の菌で自身だけ入院の憂き目にあう。

サークル棟で巻き起こるインフルエンザの大流行では、鳥や豚、人間の間を行き来して変異を繰り返すウイルスの特性や、マスクによる予防法の限界等々、ポイントをおさえた知識がきちんとストーリーの起伏にそって紹介される。

フランスが舞台の美貌の院生・長谷川遥の結婚未遂(?)事件の冒頭では、大航空時代の世界的パンデミックのリスクについても言及がある。

脊髄性小児まひをおこすポリオウイルスのくだりなどは、今に続く「ワクチン不毛の地・日本」の構造問題を鋭くえぐってみせる。

上記の知識は無論、通常の書籍でも入手可能なものだが、これらが菌やウイルスの「一人称の語り」や直保という人間との対話の形で容易に学べる。分厚い伝記より、「ナマの声」のインタビュー記事の方が人間味を強く伝えるのに通じるところがある。

完全「封じ込め」は難しい?

ここで少々コロナウイルスの現状について私見をまとめておきたい。私は専門家ではなく、あくまで自分自身の行動指針としての現状判断でしかないのをお断りしておく。

私はすでに完全な「封じ込め」は難しく、季節によって罹患者数が減少する局面もあるだろうが、一定期間をかけて2009年に広がったH1N1型の新型インフルエンザのように、「誰もが人生のどこかで曝露されるウイルス」になる可能性が高いのだろうと悲観的に見ている。

致死率や重症化の割合が高くないことは、感染者にとっては幸いなことではあるが、運び手となるキャリアの行動範囲を広げ、「封じ込め」を難しくするからだ。

この前提に立てば、マクロの目標は感染拡大にブレーキをかけて時間を稼ぐことだ。

目先の爆発的流行を抑えて医療リソースの枯渇を回避し、春から夏に期待されるピークアウトの間に治療法とワクチンを開発する時間を確保する。備えが整えば、秋以降に感染拡大が再燃しても被害はかなり抑えられるだろう。

難しいのは「感染抑制」が経済に与えるダメージとのバランスだ。これは生命とお金を天秤にかけるという単純な話ではない。経済的打撃は、明確に観測できないだけで、ウイルス禍と同じように人の生死を左右する。今後は、この両者のバランスの確保とパニックの抑制が、各国政府にとって難しい課題になっていくのではないだろうか。

「そこまでやるか」

脱線が過ぎたようだ。『もやしもん』に話を戻そう。

ここまで最近の話題に寄せて書いてきたが、このマンガの一番熱い部分は発酵食品、なかでもお酒という文化の掘り下げだ。

主人公が種麹屋の息子なので、日本酒を巡るストーリー展開が主軸になるのは自然だろう。酒造業界の裏話も含めた「ウンチク」は「そこまでやるか」というマニアックさで、私は「なるほど、そうなっていたのか」と日本酒を味わう楽しみが増えた。

この「本筋」と並んで慧眼に驚くのはクラフトビールについての正確で手厚い目配りだ。

クラフトビールに偏見を持つ酒豪のミス農大・武藤葵が、加納はなという作り手と交流するうち、その可能性に感化されて「農大版オクトーバーフェスト」の開催にまで発展するエピソードは、今日の世界的なクラフトビールブームを予見するような幅と深みをもった一編となっている。

こうした時代を先取りした本作の先見性は、「次のブーム」を当ててやろうという山っ気から生まれたわけではないだろう。

そこにはまず「発酵」という、人間と微生物の醸し出すハーモニーへの純粋な愛着と畏敬の念がある。その一念がテーマへの感度を高め、描かずにいられない思いを結実させたからこそ、読者を引き込む魅力が作品からあふれている。

この我々「ホモサピ(エンス)」と繋がりながらも全く違うミクロの豊饒な世界への窓が開くためにも、「ミクロの世界が見える」という主人公の設定は絶妙なものだ。

「正しく知り、正しく恐れる」ために

ここからは本コラムのポリシーを少し逸脱して「ネタバレ」が含まれる。未読の読者は注意願いたい。

「ウンチク」好きの私にとって『もやしもん』はストライクゾーンど真ん中の愛読書だ。

そして、読み返すたび、本作を傑作たらしめているのは、「ウンチク」を超えた世界観なのだと感じる。その世界観は作中、登場人物や「ホモサピ以外」のキャラたちの会話のそこかしこに垣間見える。

もっとも明示的にそれが示されるのは、最終回の対話だ。

菌たちが直保に問いかける。

「君の営み 我々の営み」

「別々のようで同じなんだヨ それぞれの輪ではあるが」

「この世界は全てつながっているんだ 君が知る中で一番大きなものは何だい?」

直保が答える。

「え? は……はくちょう座の何とかって星…?」

菌たちが応じる。

「それが何かは我々にはさっぱりわからないけど それもこの世界の一つなんだろう?」

「我々と君のそれ みんなみんなで一つの和なんだヨ」

このやり取りを目撃した農大の老教授の樹慶蔵に、菌たちはこう告げる。

「何が先生だ この慶蔵が」

「俺らの事をまだまだ全然知らねーくせに」

「偉そうにふんぞり返るにはまだはええぞ」

「君はまだ学びの道の入口にいるにすぎない」

この邂逅を経験した樹教授は、涙を流してこうつぶやく。

「ありがとう沢木君……これからも私と一緒に勉強してくれるかい?」

喫緊の脅威である新型コロナウイルスを含め、我々の微生物やウイルスに関する知見は、「世界の実相」の表面を撫でているにすぎない。

命あるものとして、未知の疾病に恐怖し、最大限の防御策をとろうとするのは当然の反応であり、保健衛生の観点から考えても我々はそう行動するべきだ。

だが、同時に、我々が知る「世界」は極めて限定された知識に基づくものであるという自覚も忘れるべきではないだろう。「正しく知り、正しく恐れる」ためにも、今こそこの世界の重要な構成メンバーである菌とウイルスについて、土台となる基礎知識を身に着けることが肝要だろう。

高井浩章 1972年生まれ。経済記者・デスクとして20年超の経験があり、金融市場や国際ニュースなどお堅い分野が専門だが、実は自宅の本棚14本の約半分をマンガが占める。インプレス・ミシマ社の共同レーベル「しごとのわ」から出した経済青春小説『おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』がヒット中。 noteの連載はこちら。ツイッターアカウントはこちら

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(2020年3月3日フォーサイトより転載)

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