一橋大学アウティング事件
をあなたは知っていますか?
今から5年前のことで知らない方もいるかもしれないので、簡単に説明すると、一橋大学アウティング事件とは、
一橋大学法科大学院において同性愛の恋愛感情を告白した相手による暴露(アウティング)をきっかけとして、2015年8月24日にゲイの学生が一橋大学の校舎から投身自殺したとされる事件
であり、
その後ご遺族が、アウティングをした同級生及び適切な対応を取らなかった一橋大学に対し裁判を起こしています。
(同級生とは和解が成立しましたが、一橋大学側とは2020年8月現在も裁判が続いています)
私はこれまで、毎年、「顔も名前も知らない彼」に向けて、ブログを書いてきました。
2016年8月
2017年8月
2018年8月
2019年8月
「顔も名前も知らない彼」のために、私が毎年こうやってブログを書くのは、
「もしかしたら彼は私だったかもしれない」(=私も彼のように死を選んだかもしれない)
と今でも心から思うからだし、
幸運にも今日まで生き残っている同性愛者の1人として、
「二度と彼のような死を遂げる人がいないように頑張らないといけない」
と使命感のようなものを(勝手ながら)感じるから、かもしれないです。
私は、名古屋あおぞら部という団体を運営しており(現在はコロナの影響で活動休止中)、LGBT当事者やLGBTかもしれない若者たちと出会う機会が多くあります。
そこで出会った若者、特に一橋大学アウティング事件の当時小学生や中学生で、現在高校生や大学生の人たちに、一橋アウティング事件のことを話すと、
「そんな事件があったんだ!」
「裁判が起きているんだ!」
とビックリされることが何度かあり、事件から5年という時の長さを感じています。
一方で、事件のことを知る私と同世代(20代)や少し年上の方と事件について話すと、口を揃えたかのように、
「彼は自分だったかもしれない(=自分が彼のように死を選んだかもしれない)」
という風に言います。ほかにも、
「彼と会ったこともないけれど、すごく身近に感じる」
「どこかでもしかしたら出会ってたのかな」
「たまたま自分は幸運で、彼のように死を選ばずにここまでこれただけ」
と言う知人もいて、なんだか、みんなの心に彼がいるし、彼の死は本当に色んな意味で、私たちの心に強く影響を与えている、と5年経って改めて感じています。
この一年で、LGBTに関して様々な報道がありました。
犯罪被害者の家族(内縁関係でも可能)に支給される犯罪被害者給付金を申請した愛知県の男性が、”同性カップル”という理由で支給を認められない判決が出たり、
2019年2月14日から、札幌・東京・名古屋・大阪で始まった”結婚の自由をすべての人に”訴訟(いわゆる、同性婚訴訟)に福岡も増え、各地で訴訟が進んだり、
私が傍聴に行った名古屋地裁での様子(2020年2月の記事)↓
1番最近行われた札幌地裁での様子↓
また、亡くなった彼と同じように、アウティングに関する訴えもありました。
一方で、ポジティブなニュースも、もちろんありました。
「パートナーシップ制度」を策定する自治体や、その「パートナーシップ制度」を利用するカップルもとても増えました。
そして、彼が学んでいた一橋大学のある東京都国立市では、市民だけでなく、市内の在勤・在学者も対象とする「パートナーシップ制度」の導入の検討に入りました。
私自身には、この1年で3つの大きな出来事がありました。
1つ目は、大学を卒業し、会社員として働き始めたこと。
2つ目は、様々なご縁から、彼の生前を知る方と出逢い、本当にほんの少しだけだけれど、彼の人生を知ることが出来たこと。
そして3つ目は、彼のご遺族が、私が毎年このように彼へのメッセージを掲載しているのを読んでくださり、人伝に私の連絡先を探してご連絡くださって、皆さんへのメッセージを託してくださったことです。
託していただいたメッセージはこちらです。
皆さんは生き辛いと感じる事があるかもしれませんが、
何も悪いことをしてるわけではありません!
LGBTQは個性です!!
尊い命をを断つ事はしないで下さい。
私の息子の魂は生きて、
同性愛者に人権がある世の中になるよう努めてくれています!!
私も微力ながら頑張ります!
私は顔も名前も知らない彼に向けて、事件のことを知った2016年から、勝手ながら毎年ブログにこうしてメッセージを綴らせていただいていてきましたが、彼のご家族や彼を知る方からどう思われているのか不安に思っていました。
だから私のブログを読んでご連絡いただけたことは、本当に嬉しかったですし、今後も自分より若い世代へ事件のことを伝えていきたい、と改めて思いました。
そして、今でも私は彼の顔も名前も知らないけれど、それでもご遺族からいただいたメールを通して生前の彼のことを少し知って、彼の人柄というか、彼が本当に生きていたんだって改めて体感して、
会いたいな
という言葉と涙が、自然と溢れていました。
私が運営している名古屋あおぞら部は、「メディアやネット上だけじゃなくて、安心して安全な場所で、LGBT当事者の人と会って話してみたい」という高校生・大学生たちの気持ちも踏まえて、
“LGBT当事者やLGBTかもしれないと悩む人たちが気軽に集まって、実際に会って話せる場所”
であることを大切にして、運営してきました。
だからこそ、新型コロナウイルスの影響で、開催が休止となり、現在もまだ開催再開の目処は立っていない状況です。
愛知県も依然として感染者数が多く、不特定多数が匿名で集まるという名古屋あおぞら部の従来の方法での開催は、当分は厳しいというのが、主催者としての本音です。
それに、
もしクラスターが発生してしまったら?
もし参加者に感染者がいて、参加者に関する情報が新聞などに載って、地元に知られてしまったら?
主催者として、LGBT当事者の1人として、”参加者の皆さんのプライバシー”と、参加者の皆さんの”セーフティーネットとしての安心して出会える場所の必要性”と、どのようにバランスを取って運営していくべきか、悩み続けています。
どうしたら、彼のように死を選びたくなる状況の人たちを救えるか。
″新しい生活様式”に慣れないまま、彼が居なくなって5度目の夏が過ぎていきます。
(2020年8月24日noteより転載)