フランス国内で100万部を超えるベストセラーとなったフェミニズム小説『三つ編み』の著者、レティシア・コロンバニさん。インド・イタリア・カナダ3カ国で、敢然と苦境を生き抜いていく女性たちを描き、日本でも高い評価を得た。
続く第2作『彼女たちの部屋』は、彼女のホームグラウンドであるフランス・パリが舞台。困窮女性の保護住宅施設「女性会館」にボランティアの支援者として通う女性ソレーヌを主人公に、出会いと連帯、それがもたらす希望の物語を展開した。
在仏ライターの筆者は『三つ編み』と『彼女たちの部屋』の双方で、日本語版の解説を寄稿した。両作を心から堪能したが、より強く心に迫ったのは、『彼女たちの部屋』だった。
苦難に傷ついた女性たちと向き合い、自らの過去とも対峙しながら、試行錯誤するソレーヌ。彼女の思いと行動を追いながら読み進める間、筆者は「あなたならどうする?」と物語から問われ続けた。
コロンバニさんはどんな思いで、この物語を書いたのだろう。苦難の当事者だけではなく、支援者にスポットを当てた狙いは何か。秋深まるパリ、オンラインでインタビューした。
『三つ編み』と最新作の大きな違い
――『三つ編み』『彼女たちの部屋』とも、苦境に置かれた女性たちの、勇敢な戦いがモチーフとなっているフェミニズム小説です。とはいえ二作品には大きな違いがあり、『三つ編み』は苦しみの当事者である3人が主人公で、『彼女たちの部屋』は当事者に手を差し伸べる支援者の目線で描かれます。ここには、どんなお考えがあったのでしょう。
この物語は、私がある日偶然立ち寄った「女性会館」に興味を持ったことがきっかけでした。会館について調べるうち、創始者ブランシュ・ペイロンを知り、若くから「人を助ける」という使命に生きた彼女を書きたいと思ったんです。
当初は『三つ編み』のように、苦しみの当事者である会館の住人たちを主人公にする予定でした。創設者のブランシュに絡めて、違う時代の住人たちを三人クローズアップし、会館の歴史を紡ぐ構成です。
ですが次第に、その構成案に行き詰まってしまった。
様々な女性たちと話し、その困難の背景を知ろうと調査や読書を重ねるうち、「選ぶことなんて、できない」と思ったんです。
女性たちは皆、一人一人が、1冊の本に値する人生を生きているのに! そこから私は、全員のことを書こう、物語の中に全員の居場所を作ろう、と決めました。
では、読者が物語の中で、すべての女性たちに会えるようにするにはどうすればいいのか? 構成を一から練り直し、主人公を「会館を外から訪れ、住人たちと関わる人物」にしたんです。
――確かに読んでいるうちに、ソレーヌと一緒に会館を訪れるような気持ちになりました。
読者が自己投影して、読み進められるようにしたかったんです。でも具体的にソレーヌの人物像を見出すには、時間がかかりました。実は最初、私自身が彼女にあまり興味を持てなくて。会館の中の女性たちの方が、どうしても気になっていましたからね。
でもある時、ハッと気がついた。
ソレーヌを無色透明な訪問者にしたら、この小説は女性会館の住人を並べただけの「苦しい女性のカタログ」で終わってしまう。それは絶対に嫌だ。そうならないためにはどうしたらいいんだろう? と。
ソレーヌが読者と会館の女性たちの橋渡し役をするには、まず彼女自身が、独自の視点を持って会館の中に入り、住人たちと関わらなければならない。そう気づいてから、ソレーヌの人物像を深めていくことができました。
――弁護士として活躍した過去を持つソレーヌも、物語を通して、どんどん変わっていきますよね。その姿がとても印象的でした。
冒頭のソレーヌは、会館の存在も知らなければ、女性の困窮問題にもさほど関心のない人です。恵まれた環境で育ち、共感力が低く、自分勝手なところもある。
仕事でバーンアウトして、セラピストの勧めから女性会館でのボランティアを見つけて、さして興味もないけれど「私のセラピーになるなら、行ってみるか」という程度です。
そんな彼女が、女性たちとの出会いでどんな影響を受けるのか? 会館で起こる様々な刺激にどう反応するのか? と観察するように書き進めました。
そうして住人たちとの相互作用を経て、ソレーヌは会館を外から見る「観客」から、中で起こる出来事の「役者」になっていく。これは私が彼女を通して一番書きたかったことです。無関心から脱して、共感に目覚め、行動を起こせるようになる。その行動はどんな小さなものでも意味がある、と伝えたかったんです。
無力感も、前に進む力になる
――ボランティアで小さな成功体験を積み重ね、住人と信頼関係を深めるソレーヌが描かれる一方、彼女が無力感で絶望するエピソードもありました。「コロンバニさんはこれを書いてしまうのか……!」と一ファンとしても強く心を打たれた箇所です。
あの部分は、女性会館を舞台に選んだ時から、書くと決意していました。現実には救われる人もいれば、どうしても救われない人もいます。それを知りながら理想だけを書くことは、私はしたくなかった。
――人生は、道徳の教科書のようなものでもないし、悲惨で残忍な物語だけでもない。
そう。どちらもあるのがリアルです。
ソレーヌの無力感は、私自身を彼女に投影している点でもあります。『彼女たちの部屋』に出てくる赤ちゃん服を編む女性のエピソード、あれは私の体験を下敷きにしているんです。
家の近くの道端にいつも座って編み物をする女性がいて、私は時々彼女の作品を買ったり、話しかけたりしていた。お天気のこととか、核心に触れない軽いことだけ。けれど、ある日突然、彼女はいなくなってしまった。
どこに行ったか、どうなったかを誰も知らず、忽然と姿を消してしまったんです。
その時に感じた無力感が強烈で……私は何もしなかった、何もできなかった。一歩踏み出して手を差し伸べる勇気がなかった。もし私が「何か」をしていれば、状況は違ったのではないか。彼女は消えずにいてくれたんじゃないかと。
――小説で切実に描かれる無力感は、コロンバニさんの実感だったんですね。
はい。何度も感じてきましたし、今も感じています。私にできることなんて本当にちっぽけだし、世界には相変わらず悲惨が溢れている。
でも少しでも何かを変えられるなら、何もしないよりはいい。その「少し」を、世界は必要としているのだと。なら何をしたらいいのだろう、私にできることはなんだろう?
この思いは、私が小説を書く原動力になっています。それは女性会館を作ったブランシュ・ペイロンも同じで、彼女も常に無力感に突き動かされていたそうです。
――ブランシュが無力感を感じるシーンは、小説にもありましたね。困窮する女性に手持ちのお金をすべて与えながら、自分の家には招き入れない。偽善的とも取られかねない場面ですが、真正面から書かれていました。どんなお考えがあったのでしょう?
ブランシュのあの行動を偽善的という人は、確かにいるかもしれません。彼女が自宅に困窮者を招かなかったのは、「それでは足りない」と知っていたからと、私は感じています。
困窮する女性は目の前の人だけではなく、全員を招き入れるだけのスペースは自宅にはない。せめて、とお金を渡すしかできなかったことがあまりにショックで、ブランシュはそこから、女性会館の建設を決意します。
それまでの人生40年以上を慈善活動に捧げ、すでにボロボロになっていた体で、あれだけ巨大な保護施設を作り上げたんです。ブランシュはその時すでに、パリ市内に二つの慈善施設を開いていたのに、満足しなかった。
自分の無力を知り、それにかき立てられ、健康と引き換えにしてでも行動した。その決意を私はとても美しいと思うし、心からリスペクトしています。
私がこの物語で伝えたかったメッセージは、そこにあるんです。無力感に負けず、小鳥のように水の一滴ずつでも運び続ければ、世界をその分よくできる、と。
支援者は「助ける救世主」ではない
――本作では、ソレーヌやブランシュの行動を通して、「人を助けること」の難しさや尊さが描かれます。一方、当事者ではなく支援者にスポットを当てて社会問題を語ると、支援者が救世主扱いされ、「当事者不在」と非難されることもある。『彼女たちの部屋』を描く上では、何か工夫されたのでしょうか?
面白い質問ですね。私自身、この物語を書く際に長い時間をかけて考え、推敲したのがその点だったんです。
ソレーヌが主人公ではあるけれど、中心にあるのは女性会館であり、私が読者に会って欲しいのは、住人たち。その軸がぶれないように、構成や書き方をかなり工夫しました。
準備のために当事者の方たちの話を多く聞き、本や映像資料にもたくさん当たっています。前述したように、「話をしてくれた全員のことを書く」というのも、その工夫の一つです。もちろん、人物設定はフィクションとしてすべて作り直していますけれどもね。
そうやって注意しながら、「支援者はなぜ、人を助けるのか」ということを、ソレーヌを通して書きたかった。無関心の殻に覆われたソレーヌが、会館の女性たちの力になろうと、その殻を破っていく過程です。
ソレーヌが長い手紙を書くシーンがありますが、あれは傍観者が支援者になっていく、重要なターニングポイント。物語を書く私にとっても、登場人物がパァっと動き出した瞬間で、とても面白い体験でした。
自分の住む街で、見ないようにしていたこと
ーー『三つ編み』はインド・カナダ・イタリアが舞台でしたが、今回の『彼女たちの部屋』は、コロンバニさんが長年住んでいるパリのお話です。実は『三つ編み』の日本での書評には、「なぜフランス人作家が他国のことを書くのか」という声もありました。
実は私自身も、『三つ編み』を書き終わった後、『それで、私の住む街はどうなの?』と思っていたんです。
『三つ編み』を書いたとき、私は遠い世界の女性たちに興味があった。でも、困窮する女性たちは大都市のどこにでもいる。インドの不可触民のように、見えない存在にされている女性たちは、たくさんいるはずなんです。
そうして改めてフランス、パリを見たのが、『彼女たちの部屋』。この話を書きながら、私自身、自分の国や街で意識しきれていなかったところを、見られるようになりました。
物語を書くことは私を成長させてくれる冒険ですが、『彼女たちの部屋』は、前作よりもさらに大きく、私を変えてくれたように感じます。
――フランスの読者の反応はいかがでしたか?
私と同じように感じてくれたのか、『彼女たちの部屋』ではより多くのフランス人男性から、感想をもらいました。
主人公の設定が仕事のバーンアウトだったこともあり、フランス的な「人生の危機」に共感してくれたのかもしれません。私は、女性問題は男性との協働で前進すると確信しているので、嬉しいことでしたね。
その他では、読後に行動に移してくれた方々からのお便りも多かったです。先週もとても嬉しいお知らせが届いて、「あなたの小説を読んで、自分も代書人になると決めた」と書かれていました。読後に思い立って、女性会館に寄付するための募金をしたという高校教師の方もいます。
そういう声は、しみじみ心に響きますね。本を読んだ劇作家やプロデューサーから連絡があり、ミュージカルやテレビドラマ化の話も進んでいます。児童書バージョンの出版予定もあります。
物語によって人は行動を起こすことができる。本がただのモノではなく、きっかけとなっている事実に、私自身がとても力をもらっています。文学の力に共鳴すれば、少しでも世界を変えられると、読者の方々が教えてくれるんです。
そして文学もまた、現実の影響を受けて豊かになる。構想中の次回作は、読者の方にいただいたお手紙に着想しているんですよ。
――コロンバニさんは、文学の力を信じていて、その力を実感されているんですね。
全面的に信じています。私にできることはささやかだけれど、これが世界をほんの少しでも変えるために、私に与えられた武器ですから。
世界には悲惨なことがまだまだ多く、その原因には悪意だけではなく、多くの無関心や無知があります。実際、読者の方からの手紙や感想で多いのは、「知らなかった」という言葉なんです。パリに、女性たちに、こんなことがあるなんて、と。
私は文学で、そんな無知や無関心を少しでも変えたい。ポジティブな登場人物が、物事を動かしていく姿を、知らなかった人たちに気づいて欲しい。その気づきが共感に繋がって、一人一人ができることをするようになったらと、願って止みません。小さなことでいいんです。繰り返しますが、世界には今、その小さなことが必要なのですから。
コロンバニさんが、日本のオンライン・トークイベントに登壇されます。
日時:11月21日(土)18:00~19:30(最長20:00まで)
視聴URL:https://www.youtube.com/user/instituttokyo/featured
(アンスティチュ・フランセ日本のYoutubeのページ)
言語 : 日本語ーフランス語(同時通訳)
当日、中江有里さんらが登壇するアンスティチュ・フランセ東京での聴講を希望されるは、入場は無料ですが、座席数が50席のため事前にチケット予約が必要です。チケット予約はこちらから。
(取材・文:髙崎順子、編集:笹川かおり)