某U社のニュースを見た人たちが意外そうに驚くのを見て、(当たり前のことなのだけれど)たんなる映画館のお客さんには内情は何もわからないのだな、ともどかしい気持ちを抱いた。
そして、この「もどかしい気持ち」が当事者のそれなのだろうかと考える。世の中の問題に対して声を上げて戦っている人たちは、わたしも含めた外部の「ぴんと来ていない感じ」に、こんなふうにもどかしい思いをしているのだろうか。そう思うと、自分も積極的に自らの立場をあらわして、世の中を変えようとするさまざまな声に加わるべきなのかもしれない。
いまとなっては、わたしはU社での仕事の経験には感謝している。しかし、当時はずっと頭の片隅に「いつ辞めるのか」という考えを持ちながら働いていたように思う。ひどいときは、半ば冗談で(半ば本気で)「社長席にだけ隕石が落ちないか」「自分が犠牲になって社長を殺せばみんなのためになるのではないか」と考えたこともあった。
一緒に入社した同期たちはみな一年以内で辞めてしまい、自分より若い同僚たちはよく泣いていた。体調が悪くなったまま、しばらく会社に来なくなってしまう人もざらだった。
わたしは二年きっかりでU社を辞めた。
一年目は右往左往してばかりだったが、二年目になると慣れて仕事も楽しくなってきた。そして、三年目に突入という段になり、なぜ辞めたかというと「この会社のために働く甲斐がない」と思ったからだった。
もちろん仕事は自分のためにはなる。いろんな話題の通じる同僚も好きだった。しかし、あまりにも社長の人柄に敬意を払うことが難しく「この社長の下で必死に身を削って働きたくはない」と思った。わたしは新しく入った社員に引き継ぎをして退職したが、その社員も一ヶ月後には辞めてしまい、その後も後任が何人か新しく入っては辞めていったと聞いた。
当然のように残業代はつかない。みなし残業代もなし。土日出勤しても休日手当てはなく、二日出勤した分の代休は一日分しかとれない。
入社当時、月に平均50時間前後残業をして手取り16万。年収は300万を大幅に下回る。時給換算するとおよそ500円を切る、と計算してみてショックを受けた。一度、会社で初めてボーナスが出た年があったが、振り込まれたのは8000円という金額だった。
正社員なので副業もできず、副業ができるような時間も体力もない。面談の際、給与について相談したことがあったが、社長の反応は「16万でなんで生活できないの?」というものだった。シフトをたくさん入れているアルバイトスタッフのほうがよほど稼いでいた。
それでも正社員でいたのは「アルバイトではできない仕事」があるからだった。社長は「本当は払いたくない給料」をしぶしぶ払って「従業員に仕事をさせてやっている」のだと思った。
U社のオフィスは劇場の入っているビルの4Fにある。
劇場のアルバイトスタッフたちが「4Fのオフィスを敬遠している」と言うのを聞いたことがあるが、それくらいオフィスの雰囲気は悪いらしい。いつも4Fでは誰かしらが怒鳴られていた。そして、わたしは他人が怒鳴られているのを見ては、自分が標的にならないよう祈っていた。
社長には「特定の社員が気に入らなくなる時期」というのがあり、それが次々と標的を変えていくのだ。祈ったところで順番は回ってきて、標的になっているうちはことあるごとに社長から突っ掛かられて集中砲火される。普通にデスクに向かって仕事をしていても「おい、いま何してる!?」といちいち問い詰められる。自分が標的じゃなくなるまでは、ただ息を潜めてじっと耐えるしかない。
先日、面接に行った会社で「いままで働いていたなかで、どういうことにストレスを感じましたか?」とたずねられた。どんなことでもいいですよ、と言うので、わたしは「業務自体にストレスを感じることはなかったですが、つねに社長の怒鳴り声が響き渡っているオフィスの環境にはストレスを感じました」と答えた。
それに対して「なぜ相手が怒っているか理解していますか?」という質問が返ってきたので、便宜的に「社長の理想のヴィジョンに従業員が追いつけていなかったのだと思います」と言った。
わたしにしてみると「なぜ相手が怒っているか理解していますか?」という質問は的外れだった。
工事現場の隣に住んでいた人が「工事の音がうるさかったのがストレスでした」と言うことに対して「工事の音がうるさいのはあなたにも原因はないのですか?」と問うくらいナンセンスだ。工事の音は「ただうるさい」のだ。そこにうるさくてしかるべき筋道などない。
もしこちら側に非があるのであれば、間違いなく「そこに住んでしまったこと」であり、選べるのはその場を離れるか否かということだけだ。
しかし、外部の人にはわからないのだろう。
四六時中、半ば言いがかりめいた内容の怒号が飛び交っている狭く雑然としたオフィスと、それを見て見ぬふりをしながら黙って仕事をし続けるしかない人々の緊張と倦みの入り混じった異様な空気。あの光景は当事者以外の人間には、とても「本気」では想像できないにちがいない。
U社を辞めたあと、別の会社で働き始めたわたしは、何よりもまずオフィスの静けさに心の底から驚いた。そして、静かな世界の空気を思いきり吸い込み「これがふつうなんだ」と思った。
今回、わたしが元同僚である原告たちの声明に共感したのは、自分もU社の掲げるポリシーと内情が矛盾していることに落胆した一人だからにほかならない。
そして、同じような不当が他の会社でも常態化していることを目の当たりにし、つねに「映画業界はこんなものだ」という諦めと払拭しきれない違和感の間で苛まれてきたからだ。
ある会社では毎月の給与明細を出してもらえず、退職した月の給与は給料日に振り込まれなかった。理由を問うと「辞めた人は社員と扱いが変わるので」と言われ、一週間後に振り込まれたのは本来の金額の三分の一の額。ハローワークへ行くと雇用保険にすら入っていないということがわかった。
また、ある会社では契約更新が決まっていたにも関わらず「経営が厳しいので二週間後に辞めてほしい」と言われ、離職票が退職の三週間後にiMessageで送られてきた。離職理由の欄に「自己都合」と書かれていたので、理由を問うと「去年、契約更新した際に契約書をつくっていなかったから期間満了では審査が通らない」と言われた。(なぜか会社側は期間満了にしたかったようだが、最終的に申し立てをして会社都合の人員整理ということになった。)
こういったケースに対して、わたし個人としては可能なかぎり向き合ってきたつもりだが、これらの経験を通じて言えるのは、社員をまともに雇う余裕のない会社が多く存在しているということだ。もはや業界全体の基本的な体質が「やくざ」なのだと思わざるをえない。
世界に目を開かせるような素晴らしい映画が世の中に存在する一方、作品が人々に投げかける自由な言葉とは裏腹に、そこに携わる人々を取り巻く状況があまりにも抑圧されたものになっている。
そのせいで映画がたんなる会社のブランディングのための建前、あるいは経営者を満足させるためだけのくだらない飾りに思えてくる。映画の影に心が死ぬような労働があると思うと作品が色あせて見える。
映画には罪はない。
だからこそ、映画に携わる者は映画以前の問題に立ち返るべきではないだろうか。それをさしおいて「どれだけ多くの人に観てもらえるか」と映画のことを気にかけるような資格が誰にあるのか。
映画業界の片隅にいる人間としては、今回の件が業界全体にこびりついている醜く古い垢を洗い落とす一つのきっかけになってくれることを祈るばかりである。
(2020年06月17日の〆さんのnote掲載記事「元従業員として思うこと」から転載)