新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために2カ月の外出禁止期間を取り、5月11日から段階的に社会を再始動させているフランス。
現時点で治療薬やワクチンのないウイルスを「共存するしかない相手」とし、「防護・検査・隔離」を柱に行動ガイドラインを定めた。店舗や企業向けにも、業種別に60種類以上のガイドラインが発表されている。
0〜3歳の子どもたちが利用する保育サービスにも、37ページに及ぶ「保育衛生指針」が設けられた。国の連帯保健省が、保育の業界団体や代表者と意見交換をしながら定めたもので、掃除機のタイプや消毒液の規格、使用時の濃度まで、事細かに提示する。
保育所はすべて認可園とし、保育中の安全管理や保育士の待遇改善を国レベルで監督してきた、フランスらしいやり方だ。
しかし、その細かな指針に対し、現場からは疑問の声も上がっている。
環境や資金力の異なるすべての保育従事者が、厳格な感染対策を一律で導入するのは可能なのか? 対策を遵守することで、何より大切な「子どもとの関わり」が後回しになってしまうのではないか?
withコロナの世界で、保育現場の感染対策はどうあるべきか。在宅勤務にシフトする保護者の働き方とこれからの保育の可能性は? フランスの状況をレポートする。
※文中の「保育衛生指針」はフランス連帯保健省公式サイトより、筆者が訳出した。
再始動の柱は「規模の縮小」と「段階的な復帰」
3月16日に外出禁止令が発布される前、フランス全土で家庭外保育を受けていた乳幼児の数は約85万人。1万4000カ所の保育所と15万人の保育士、29万人の保育ママが支えていた保育現場は、その日を境に激変した。
「家庭外保育」は原則禁止となり、例外的に保育が継続されたのは、医療関係やインフラ・物流関係などの職を持つ保護者の子どものみ。
5月11日に外出禁止令が解除されるまでの約2カ月間、運営を続けた保育所は全体の15%ほどだった。リモートワークの不可能な保護者に「保育休業手当」が給付されたこともあり、大多数の子どもたちは2カ月間、保護者と家庭内で過ごしていたのだ。
外出禁止令の解除に伴い、政府は以前から保育サービスを利用していたすべての世帯がその権利を維持すると明言。家庭外保育の再始動に当たって、「規模の縮小」と「段階的な復帰」の二本の柱を提示した。
まず、1カ所で保育する子どもの数は10人までと限定。可能な限り顔ぶれは固定し、同じ場所を違うグループが交互に使うのは避ける(必要な場合は、グループの入れ替えごとに場所を消毒する)。
保育の受け入れは、リモートワークの不可能な保護者やひとり親など、家庭外保育の有無が生計維持に直結する世帯から優先的に再開するとした。
そして、乳幼児・保育従事者・保護者など、すべての関係者の感染予防を念頭に置き、「清浄」と「バリア行動」を軸にした感染症対策ガイドラインを新たに定めた。
細部まで定められた「洗浄」と「バリア行動」
感染症対策ガイドラインの核をなす「清浄」と「バリア行動」のノウハウは、定量・定性の視点から、具体的な目安とともに示されている。
「バリア行動」の主軸は、マスク着用と手洗い。保育の現場で働く全スタッフにマスク着用が必須となり、保育ママの場合には、保育時間中に同じ家に滞在する保育ママの家族全員にもマスク着用が求められる。
※保育ママは、「家庭的保育事業」とも呼ばれ、フランス最大の保育手段で、託児児童数は団体保育園より多い。地方自治体の担当局から合計120時間の研修と保育場所(主に自宅)の監査を受け、認可を受けた保育ママが「家庭的保育者」が0~2歳の子どもたちを預かる保育制度のこと。
マスクはフランス工業標準化協会(AFNOR)の基準に則した既製品・手製品を指定し、各地方自治体が入手を支援する。ただ、3歳未満の子どもは窒息の危険から、マスク着用を禁じている。
手洗いは、従来通りの食事前後やオムツ換えなどのほか、各保護者との接触後や、各児童のトイレ付き添い後などが加わった。スタッフだけではなく、子どもにも最低2時間ごとの手洗いを指導しているが、誤飲への懸念から、子どものアルコールジェルの使用は不可とされている。
その他の指針は以下、箇条書きで紹介しよう。
換気:朝・昼・晩の1日3回、各部屋をそれぞれ10〜15分ほど換気する。
備品・道具:子どもたちの触れる備品や道具は1日2回消毒し、ウイルス除去効果の認定されている消毒液(欧州規格のNIF EN 14476)を使用する。
床掃除:掃除機はHEPA(高性能)フィルター対応品のみ使用可能、それ以外は使用不可。蒸気系掃除機は溶剤吸入のリスクにより使用不可。使い捨ての床拭きシートを使用する際は、使用後、個別のビニール袋に入れて破棄する。
消毒液:同上のEN14476商品を使用し、ジャベル水(次亜塩素酸ナトリウム)を使用する際は0.5%希釈とする。
リネン類:使用後すぐに洗濯機に入れる。リネンはすべて60度以上の湯で30分以上洗う。
ゴミ捨て:マスク、オムツ、おしりふき、ティッシュなど使い捨て用品は、二重にしたゴミ袋に封入後、24時間置いてから回収に出す。ゴミ箱は毎日消毒する。
食材:搬入後、外せる包装材はすべて外し、保管ルームに入れる前に24時間空気に晒す。
保育再開前後、2週間のロードマップ
ガイドラインでは上記に加えて、預かり児童にコロナウイルス感染の兆候が見られた時の対応指針を掲載。
具体的で細部に渡る記載内容は「分かりやすい」と評価を得ているが、実際の導入には、物理的・精神的な準備期間が必要とみられる。
約2カ月間、完全に閉鎖されていた保育施設では、既存の設備のチェックから始めなければならない。指針ではその準備期間を1週間とし、そこから再開2週間後までを目安に、「いつ」「何をするか」のロードマップを示した。
<再開前の1週間>
・保護者に連絡し、保育希望者を確認する
・保育士に連絡し、勤務可能者を確認する
・貯水タンクを空にする
・レジオネラ属菌検査をする
・空調などの設備が機能するか確認する
・備品や消耗品の発注をかける
・自治体に連絡し、再開後3週間以内に考えうる問題やそれへの公的支援について話し合う
・監督保健所に連絡し、新型コロナウイルス関係の相談ができる窓口を確認する。その人物と衛生指針の適用について話し合う
・規模の縮小に伴う「メンバーの固定」を念頭に、子どもと保育士のグルーピングを行う
・再開に必要な情報をメールで保育士・保護者に共有する
<再開3日前から当日>
・保育士を集め、再開に必要な情報の共有度を確認する。「バリア行動」「清浄」の感染防止対策の必要性を強調する
・グループごとの子どもの年齢に合わせた備品、おもちゃなどを区分けする
・保育室、おもちゃ、備品を清浄する
<再開当日>
・保育を再開する
・保育士たちと第1回ミーティングを行い、保育を再開してみて必要を感じた変更・対応をリスティングする
・保育施設の責任者とビデオ会議を行い、再開1日目の報告と、必要な場合の変更について決定する
<再開第2週目>
・保育士たちと第2回ミーティングを行い、必要を感じた変更・対応をリスティングする。可能であれば受け入れの拡大を検討する
・各施設ごとに「新型コロナ対策下での保育計画」を作成し、保育士・保護者と共有する
感染症対策と保育は両立できるのか
明解で分かりやすく対策を示した指針だが、現場では、その実現性に疑問を呈する声も上がっている。特に、自宅で単身で活動する保育ママにとっては、指針の適用に要する実働や経費の面での負担が切実な問題だ。
「新しいガイドラインと保育の共存を断念し、職を去った同僚もいます。あれを遵守せねばならないのなら、自分の信じる’’良い保育’’は続けられない。私たちにとっては、それだけ適用の難しい内容です」
保育経験18年のベテラン保育ママであるフランソワーズ・ノーゼさんはそう語る。
たとえばガイドライン通りに保育場所や道具の清浄・消毒を行うと、勤務時間が2時間は延長される。自宅を職場とする保育ママには、この2時間は家庭との両立に多大な影響をもたらすものだ。
また指定されているEN14476消毒液はその毒性が指摘され、注意喚起をする環境団体もあるため、導入に抵抗を示す保護者や保育ママも多い。
保育面でも、ほぼ実行の不可能な項目がある。食事に関しては、「子どもの食事は同時に摂らせず、時間をずらして一人ずつさせる」とあるが、現在、最大6人までの子を保育できるフランスの保育ママが、1人の子の食事の介助をしているとき、他の5人の子どもたちはどうするのか? 時間をずらした場合の食事の支度の段取りは…?
「字面通りの遵守は不可能」と、ノーゼさんは断言する。
「感染症対策に清浄や予防行動が必要なのは分かります。でもそれを行う間、私たちは子どもに向き合うことができないのです」
ガイドラインを徹底するということは、子どもたちとの関わりを犠牲にすることにもなるのだ。ノーゼさんは現在、医療の専門家の意見を考慮しつつ、保護者の同意のもと、導入可能な形にガイドラインをアレンジした上で、対策を講じているという。
フランスの保育所では、保育士の他に清掃専門のスタッフを雇用しており、保育室や道具の清浄は彼らが担当する。しかし個人事業主の保育ママは、清掃も当然一人ですることになる。
最善とされる策の導入には現実的な限界がある。ガイドラインの厳しさにモチベーションを失い、保育の仕事を諦める人も実際に出始めている。
フランスの家庭外保育は、乳幼児100人につき19.5%が保育所に、33%が保育ママに支えられている。
新型コロナウイルスとの共存を前提とした「新しい保育」に、多くの保育ママが対応できなくなった際、その影響をダイレクトに受けるのは、保育される子どもたちと共働き世帯だ。
新型コロナがもたらした価値観の変化
新型コロナウイルスをきっかけに保育のあり方を悩むのは、保育従事者だけではない。
「規模の縮小」と「段階的な復帰」が前提のため、現時点で実際に「家庭外保育」を再開できているのは、医療従事者やシングル親など、数の限られた「預けざるを得ない人たち」だ。筆者の暮らすパリ周辺では、まだ多くの保護者が変則的な勤務状況のもと、子どもを自宅で保育している。
そんな「Withコロナ」の新しい生活は、親たちにも、価値観の変動をもたらしている。
外出禁止に伴う親子関係の変化は、虐待の増加などネガティブな面が多く語られている(それは確かに深刻な社会問題である)。しかしこの機に「仕事と家庭の両立」のバランスを、前向きに問い直している人々もいる。
前述のノーゼさんも、その変化を体感する一人だ。
「私の知る限りですが、多くの保護者はこの外出禁止期間中、’’子どもとかけがえのない経験をした’’と話しています。’初めての一歩’など成長の大切な一瞬は、家庭外保育をしていたら逃してしまうもの。それに立ち会える喜びを再確認して、以前の生活に戻るのを躊躇している人も多いんです」
これまでは親が働く場合、勤務時間中の子どもの保育は家庭外で行うしか、選択肢がなかった。しかし社会でリモートワークが標準化され、親の働く場と形が変われば、保育のあり方が変わっていくのもまた、必然だろう。
とはいえ家庭外の職場でも在宅でも、親が働く以上、子どもには適正な保育サポートが必要なことに変わりはない。親が子どもを保育しながら、同時に仕事をすることは不可能だ。
これからは、「家庭内保育」と「在宅勤務」をどう両立させていくかが、新たな課題をなっていくはずだ。その新しい両立のあり方を支えるために、勤務時間の柔軟化や保育の選択肢の多様化が進んでいくのでは、と言われている。
保育問題は親の労働問題であり、保育の変化は、親の働き方の変化に連動するのだから。
在宅勤務、これからの保育の可能性
日本での家庭外保育は、保育所での団体保育が主流であり、緊急事態宣言の期間中の対応も自治体主導で異なるなど、フランスとは状況が違う。
しかし、ウイルスに国境はなく、親の働き方が保育のあり方に直結する構造も、国を問わず同じだ。
まして日本は、コロナ以前から保育士不足や過重労働が問題視されてきた。働き方改革の必要性が強く求められている保育現場に、さらに感染症対策を担わせることの影響は、決して小さくはない。「感染症対策をしている間、保育士は子どもたちに向き合うことができない」ことは、世界共通の現実である。
保育で最も大切な「子どもとの関わり」を大切にした感染症対策は、どうすれば可能なのか。在宅勤務を選ぶ親の子どもたちには、どんな保育の可能性があるのか。
フランスの新型コロナウイルスとの共存を前提にした指針は、保育を受ける子どもたちと、保護者にも保育関係者にも、大きな問いを投げかけている。
(取材・文:髙崎順子 編集:笹川かおり)