これまで私は台北に4年弱、ベトナムに1年と、日本と同じアジアのふたつの国で暮らしてきた。顔立ちや肌の色、思考方法など日本と似ているなと感じることがよくある。でもそれ以上に、日本との違いを見つけて彼らから学ぶことも多い。
台湾とベトナムの人から学んだ「食材の買い方」について、紹介しようと思う。
会話をしないと食材が手に入らないアジアの野外市場
初めて台湾に越したとき、バイクで疾走する街の人や、慌ただしく聞こえる中国語の響き以上に驚いたことがある。それは「伝統的な市場」(台湾の人たちはスーパーマーケットと比較して市場のことを「伝統的な市場」と呼ぶ)の存在だ。
台北のランドマークである101タワーから歩いて5分ほどの場所に、路上いっぱいに肉や魚や野菜、その他にも生活用品が売られる市場が毎日のように朝早くからオープンしていること。聞けば6時前に開店する店もあるそうだ。
市場の店主は車やバイク、そして私たちが往来する道路の端にゴザを敷き、その上いっぱいに食材を並べている。まだ生きている魚や、口から砂を吐く貝。色とりどりの野菜たちに、大きな肉の塊が所狭しに並べられていた。
買い物の仕方はスーパーマーケットとは違う。店の前に立ち止まり、値段も分からない食材を指差し、いちいち「これは何? これはいくら?」と店主に聞かなければならない。店主は「これは◯◯で、これは△△円。で、どれくらいいるの?」と返してくる。それから自分でお店のかごの中に必要な分を入れるか、店主に□□グラム欲しいと伝える。そして支払いをし、やっと買い物が終わるのだ。
あぁ、面倒だ。
日本のスーパーマーケットなら、全ての食材は単身用や家族用と用途に分けてプラスチックトレイに入れられている。値札がひとつひとつのトレイに貼ってあるので、手にとった瞬間にいくらか分かる。買い物かごにつめた食材たちをレジの店員さんに渡し、機械に表示された金額を支払い、渡されたレジ袋に食材を詰めて店を出る。入店から退店まで、ひとことも発せずに買い物ができる。
なんて、便利なんだ。
私にこの路上市場を紹介してくれた台湾人のおばさんに、最初手間がかかると文句を言ったことがある。しかしおばさんは「スーパーで食材を買う方が怖いよ。だって売ってる人の顔も知らないじゃない」と私の背中をバンバン叩きながら言った。
市場で食材を見るのが怖かった理由は?
市場では、食材はコミュニケーションをして買わなきゃいけない。でもそれ以上に私を悩ませたのが、食材が売られているその“姿”だった。伝統的な野外市場では、肉や魚は生々しい姿のまま売られている。生きている頃の姿を、ありありと想像できる形状で。
私は、命を失った動物たちの姿を見るのが怖かった。私たちが食べるために、そこに並んでいるのに。市場に通い出した頃、肉屋の前を通るときは目をつぶって歩いていた。あまりに生々しい、見たくない。
日本のスーパーマーケットなら、肉や魚は調理をされていることが多い。生々しい肉たちが生きている頃の姿はすっぱりの取り除かれて、清潔な白いトレイの中に入れられている。
いちいち心を痛めながら買い物をしなくてもいい。やはりスーパーで買い物をするのは便利だと思っていた。
近所の世話好きのおばさんは、不便だと文句を言う私をそれでも毎日のように市場に連れて行った。そのおかげで、私は市場での手間がかかる買い物にも慣れ、生々しい肉の塊を見ても何も思わなくなっていった。
不便な買い物が私の「食べる」意識を変えた
4年弱台湾で住んだあと、ベトナムで暮らし始めた。ここでも台湾と同じ、毎日の食材は野外のマーケットで手にいれる。言葉が全く通じない土地で、Googleの翻訳アプリを使い欲しい食材を買う。ここは台湾よりも難易度が高い。なんせ値段は毎日店主の気分次第で変わるのだ。ときには値段の交渉をする必要がある。
私は日本で生活をしていた頃、スーパーマーケットでしか買い物をしたことがなかった。でもアジアの国々で5年間暮らすことで、食材を買うことと食べることに対する意識が変わったと思う。
面倒だと思っていた、お店の人とのコミュニケーションも慣れれば、おまけがついてきたり、おいしい野菜や果物を選んでもらったり、今の旬の食べ物を教えてもらったりできる。顔なじみになった人から食材を買うことで、腐らせたり無駄に捨てたりすることが減った。
また生々しい肉の塊を見ることで、自分はいろんな命をいただいて生きていると、毎日のように思い返すことができる。食べることは、私たちが普段思っている以上に、特別なことだと今は思っている。
環境にやさしい生活とは、不便な暮らしのこと?
きれいなトレイ入りの食材を買わなくなって、自然に我が家からプラスチックごみは減った。日本にいるころの私なら、市場で買い物をする私を見て、なんて不便な生活をしているんだろう、先進的でないと思うだろう。だって買うのにも一手間、そして調理をする際にも、自分で血抜きをしたり食べる分を切って準備しなくちゃいけないのだから。
でも不便であったとしても、昔から変わらない市場での買い物を通して、ずっとずっと食べることを大事にしつつ、環境にやさしく暮らせるようになった。
環境問題をどうするのか? 例えばプラゴミを分解して土にするとか、レジ袋の有料を義務化するだとか。頭を使うことも、新しいルールを作る必要もない。ただ少し、日々の生活を不便にして手間をかければいいのではないかな、と今は思う。
もちろん台湾もベトナムも、環境問題を抱えている。でももし彼らの生活の中に、日本がいまだに解決できていない問題を解決できるヒントがあるとするならば…。私たちは日本にはない、その不便さを取り入れてみてもいいのでは、と思う。
今では日本に一時帰国すると、日本のスーパーが清潔で便利すぎると、逆にとまどってしまう。そして騒々しいアジアの市場が恋しくなるのだ。店主が大声で注文を聞いて、泥がたっぷりついた野菜を売る姿をついつい思い浮かべてしまう。
今日、おじさんが売るバナナはいくらで買えるんだろう。
おじさんと話してみないとまだ分からないけれど。とにかく話さなきゃ、交渉しなきゃ何も買えないのだ。
さぁ、市場へ買い物に行こう。
(文・東洋子/編集:榊原すずみ)