国際オリンピック委員会(IOC)が、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、今年7月開催予定だった東京五輪の日程変更を検討することを発表した直後の3月24日、東京五輪を、パリ五輪開催予定の2024年に順延するのが、現在の状況を考えると、最も現実的なのではないかとの意見を述べた(【東京五輪「2024年への順延」が最も現実的な選択肢ではないか ~「国際社会の要請」の観点で考える】)。
しかし、同じ3月24日、安倍晋三首相は、IOCのバッハ会長と電話会談し、東京五輪を「おおむね1年程度延期することを検討してもらいたい」と提案、「100%同意する」との返答を得たとして、東京五輪の延期の方針を公表した。
世界的感染拡大の状況で、東京五輪来年夏開催決定
感染が全世界に拡大し、世界の感染者が累計80万人に達し、死者は約3万9000人に上る。米国ニューヨークも医療が限界に達し、イタリア、スペインでは医療崩壊状態、ロックダウンは、スペイン、フランス、イギリス、アメリカをはじめ、欧米各国に拡大している状況である。
日本でも、特に東京の感染経路不明の感染者が急増し、首都東京封鎖の可能性もあるという状況で、日本経済が受けるダメージも、計り知れないものになっている。
ところが、3月30日、五輪組織委の森喜朗会長とバッハ会長らの電話会談で、東京五輪の新たな日程について、来年7月23日に開会式、8月8日に閉会式を行うことで、合意に達した、との信じ難いニュースが報じられた。
世界的な感染拡大が止まらず、感染収束の見通しも全く立っていない現状で、安倍首相は、来年夏に東京五輪が開催できると、本気で思っているのだろうか。開催に向けて、競技施設の確保、実施体制の整備、ボランティア募集、各競技団体での代表選考、スポンサー企業との調整など、どれだけの労力がかかり、そのために、どれだけの人と人との「接触」が必要となるのだろうか。まさに、国難とも言える状況を、国民全体が結束して乗り越えていかなればならないのに、来年夏の東京五輪の開催に向けての準備をやっている余裕などあるのだろうか。
28日の夕方に総理官邸で開いた記者会見で、安倍首相は、感染収束の時期も不明なのに、来年、東京五輪が開催できるのかとの質問に対して、「治療薬の開発」を強調していた。ワクチンの開発には1年以上かかると言われているので、来年夏五輪開催に間に合わない。だから、既に他の効能で承認されている医薬品をコロナ治療薬として使うことに期待しているということであろう。しかし、感染拡大は抑えることができず、症状を何とか治療薬で抑えているような状況では、世界各国から選手や観客を集めて五輪開催などできるとは思えない。
「2024年東京五輪への順延」が最も合理的な選択肢
経済損失は、開催を中止した場合が7.8兆円、1年延期の場合が6400億円との試算もある(3.24日経)。
最悪なのは、来年7月開催に向けて、さらに巨額の費用をかけて準備をした末、結局、感染が収束せず、開催を断念して中止になるケースである。延期の費用に中止の損失が加わることになる。
感染拡大が深刻な状況となり、経済的にも壊滅的な打撃を受けているフランスでも、五輪開催に向けての準備はすべてストップしているはずだ。東京五輪とパリ五輪をそれぞれ4年順延にするしかない。五輪開催の準備をいつ再開できるのか、見通しがつかない状況のフランスにとっても、2024年から2028年への延期は、まさに「渡りに船」ではなかろうか。
日本の社会や経済にとって、「来年7月開催」という決定が合理的とは到底思えない。すぐにも、東京大会とパリ大会を4年順延する方向でフランス政府と協議し、両国の意向に基づいてIOCに申入れをすれば、2024年への4年順延は決して困難ではないはずだ。
しかも、「順延」は、東京での五輪開催自体を「中止」することではないのであるから、開催のためにかけた費用のうち建設費などが無駄にならなくて済む。そういう意味では中止にするよりは経済的損失も小さくてすむはずだ。
記者会見で、安倍首相は、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、国民の皆様と共に来年のオリンピック・パラリンピックを必ずや成功させていきたい。」と述べたが、2021年7月では、「打ち勝った証」となるという保証は全くない。「2024年東京五輪」であれば、治療薬やワクチンが開発されてコロナウイルスが克服された後に、国際間の協調によって経済を立て直していくことにも十分な期間がある。
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」にすることができる可能性も、「2021年夏」より遥かに高いことは明らかであろう。そうすれば、東京五輪を、ウイルス克服・経済危機打開に向けての「国際協調の象徴」として、改めて位置づけこともできるはずだ。
「2021年夏開催決定」は“非常識の極み”
しかし、そのようなことは全く議論の対象にされないまま、「来年夏までの開催延期」から僅か6日間で「2021年夏開催」が決定された。それに対して、新型コロナウイルス感染爆発が起きている米国からは、「世界中が疫病と死と絶望に包まれている時に、なぜ日程を発表する必要があるのか」として「無神経の極み」との批判の声が上がったり(【「無神経の極み」と批判 五輪日程発表で米紙】)、海外メディアから、そもそもの東京五輪招致の経緯に関する疑惑が報道されるなど(【東京五輪招致で組織委理事に約9億円、汚職疑惑の人物にロビー活動も】)開催に好意的とは言えない反応が起きている。
ところが、そのような海外からの反応とは異なり、日本国内からは、「2021年夏開催」に対して、目立った反対意見は出されていない。
2020年開催の五輪出場をめざして厳しい練習を重ねてきた選手達のこと、特に、年齢的に4年後では出場の見込みが低い選手のことへの配慮が早い時期への延期の方向に働くことも致し方ない面もあり、日本国内では、まだ、多くの国民にとって、感染が身の回りで目立った形になっていないため、一種の「正常性バイアス」(自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと)が働いていることもある。
しかし、オリンピックの歴史の中では、開催が戦争で中止されたことは複数あったし、モスクワ大会などのように、国際情勢のために参加中止になった例もある。まさに、人類が、コロナウイルスという共通の敵と戦わなければならない現状で、「2020年大会」の開催が中止になるのはやむを得ない。むしろ、それによる影響を最小限にとどめる方法を考え、選択する方向にリーダーシップを発揮するのが、首相の、そして、政権の役割ではなかろうか。
「レガシー」への安倍首相の個人的こだわり
それなのに「2021年夏開催」が急遽決定されたことの背景には、年齢的にも体調的にも、会長のまま五輪に臨むのは来年夏が限度のように思える森組織委員会会長への配慮に加えて、安倍首相自身の「個人的な動機」が影響しているとしか思えない。
安倍首相の自民党総裁としての首相の任期は2021年9月。来年夏開催であれば、東京五輪を花道、レガシー(政治的遺産)にして任期満了を迎えることができる。それが現時点での「来年夏開催」という、どう考えても日本社会にとって最悪の決定をした理由としか考えられない。
東京五輪開催の問題以外にも、最近の安倍政権の対応には、「習近平主席の国賓としての来日を考慮したと思える中国からの入国禁止措置のおくれ」「消費税減税・国民への一律現金給付などへの消極的姿勢」など、多くの国民に疑問を持たれる対応が相次いでおり、もともとの安倍首相支持者からも痛烈な批判を浴びている。
本来、首相として、国民に訴えかけることが最も重要な状況であるのに、総理官邸での記者会見でも、真っすぐ国民に視線を向けるのではなく、左右のプロンプターに視線を遣り、そこに映し出された官僚作成の原稿ばかり読んでいる安倍首相の姿には、「とにかく、この時期に失策をしたくない」という消極的心理が働いているように見える。
安倍首相には、戦後最長となった首相在任期間の最後の形へのこだわり、花道、レガシーで飾りたいという意識、間違っても、政権の最後を、第一次安倍政権のような惨めなものにしなくないというトラウマが強く働いているのではないか。その結果、どう考えても日本の社会や国民のためにならないと思える判断が繰り返された。それに対して、政権内部や官僚の世界からの批判が顕在化しないのは、まさに、これまで続いてきた「権力一極集中」という政治状況による「負の遺産」なのである。
今、我々が真剣に考えなければならないのは、このような安倍首相、安倍政権の下で、まさに、首相自身も言っている新型コロナウイルス感染拡大という「国難」を乗り越えることができるのか、ということだ。
これまでの経緯からすると、東京五輪についての判断が適切に行えるとも思えないし、森友問題への対応で、それまで以上に関係が緊密になったと思える財務省の意向に反した対応がとれるとも思えない。それが、危機的状況を克服するための大胆な経済政策を阻害することになるのではないか。
「大連立内閣」による国難克服しかない
今年2月14日、新型コロナウイルスの問題が、まだ、中国国内での感染拡大と横浜港に停泊中のクルーズ船ダイアモンドプリンセスでの感染の問題にとどまっていた時期に、【国民の命を守るため、安倍内閣総辞職を〜新型肺炎危機対応のため超党派で大連立内閣を】と題して、安倍内閣総辞職、与野党を超えた「大連立内閣」樹立の必要性に関して、
日本政府の適切な対応の障害になり得るのが、まず、今後の感染の拡大如何では、今年の夏開催される予定の東京オリンピック・パラリンピックへの影響が生じかねないことだ。もちろん、「国民の生命」と「東京五輪の開催」と、どちらを優先すべきかは言うまでもない。しかし東京五輪開催中止が日本経済に与える影響が、安倍内閣の判断に様々な影響を及ぼす可能性があることは否定できない。
と述べた。
それから1カ月半、東京五輪をめぐる問題が、日本政府の適切な対応を様々な面で阻害してきたことは否定できない。
今こそ、与野党の対立を一時棚上げし、全国会議員が、感染拡大の危機に対応し、国民の命を守ることで心を一つにすることができるはずだ。現野党幹部には、東日本大震災・福島原発事故という「国難」で政権側での経験と「失敗の教訓」を持つ議員も少なからずいる(この時は、民主党政権側からの大連立内閣の提案を自民党は拒否した)。
今回の「国難」への対応のためには、自民党内で、「東京五輪2024年への順延」「消費税減税」「国民への一律現金給付」などの政策を掲げる新たなリーダーを選定して、「大連立内閣」を樹立することを野党側に提案すべきだ。
それ以外に国民の生命を守り、日本社会を救う手立てはない。
(2020年4月1日の郷原信郎が斬る「今こそ、「大連立内閣」樹立を~「東京五輪来年夏開催」決定は“安倍政権の末期症状”」より転載)