2018年末、僕は専業主夫として初めて「ママ&ベビー」プレイグループに参加した。当時は、毎日が同じことの繰り返しのように感じていた。
生後5カ月の息子は、何時間もかけて寝かしつけても20分後には起きてしまう。早く抱き上げればこの世の終わりと言わんばかりに泣く。テレビで見るような「父親はオムツも変えられない」という社会の偏見や、道行く人が良かれと思って僕のことを「ミスター・ママ」と呼ぶのを聞いては気力を失っていた。
プレイグループは、ニューヨーク州アルバニーの自宅からほど近い寺院で行われていた。息子をブランケットに寝かせると、すでにほとんどの母親たちがグループになって、おしゃべりやアドバイス、次回遊ぶ計画の話で弾んでいた。その場に唯一いたもう1人の父親は、娘におやつをあげていた。
プレイグループの重要性
音楽やお話の読み聞かせ、遊びを含むプレイグループ(主に未就園児が集まり遊ぶサークル)は、赤ちゃんと親、両者にとってとても大きな助けとなる。こうしたプレイグループはアメリカでは公的なものではないが、オーストラリアでは幼稚園などと並ぶ重要な就学前教育として政府のカリキュラムに認定されている。また、オーストラリアの家族問題の研究機関によると、プレイグループは子どもの社会性、自信、言語能力を向上させ、早期教育やメンタルヘルス、その他のサービスへの入り口として機能することができるという。
プレイグループで息子が想像力を発揮し、ブロックで要塞を築き、そして壊すのを目の当たりにし、僕はそういった効果を直接実感した。歌に手拍子やジャンプをしながら絆を深め、息子は運動能力を高めていった。やがて彼は、キッチンセットの鍋で誰が遊ぶかについて、友達と交渉することまで学んだ。
それでも僕は、常に自分の居場所がないように感じていた。ある母親は、彼女の息子を僕に渡し、「男同士の時間を楽しんで」と言った。もう1人は僕に、他の女性たちとうまく馴染めないけど、プレイデートを計画したいと打ち明けてくれた。でも、彼女は数人の女性と仲良くなると、すぐに僕とは話さなくなった。
育児中の専業主夫の居場所はどこにあるのか
この「よそ者」的な状況は、父親にはよくあることだ。2008年にランス・ソマーフェルド氏とマット・シュナイダー氏が父親のための育児グループ「City Dads Group」を設立された頃、育児中の専業主夫の多くは、僕のように1人で毎日を必死に過ごし、存在しない自分のコミュニティを探していた。シュナイダー氏によると、メンバーはママ友を作っても、彼女たちの夫たちが快く思っていないと告げられたという。もっとも、男性たちは完全に無視されていたという。
他にも、子どもを連れて公園に行くと、他の保護者たちに警戒され避けられ、まるで不審者のような気分になったという報告もある。シュナイダー氏はあるママグループに参加しようとしたが、「母親たちにとって快適」な空間でなければならないとの理由で父親の参加を認めていないと言われたそうだ。ソマーフェルド氏にとっては、特別なグループを作ることは、コミュニティを育むためだけでなく、最高の父親や保護者になるためのリソースとして不可欠だったという。
性別で分けたプレイグループの問題点
今や、多くの父親が積極的に育児をしていると認識されるようになり、ソマーフェルド氏は喜んでいる。「誰」が育児をしているかに特化せず、子どもや家族を中心とした育児の場も増えている。
しかし、それでも足りていない。
子育て支援グループの多くはママ向けかママオンリーで、「ママ&ベビー」の交流やアートプログラムなどの場もたくさんある。家庭で育児をする父親も年々増えていて、僕らのためのイベント需要も大いにあるのではなかろうか?
だからといって、誰もが父親向けのグループを作ることが解決策だと考えているわけではない。『父親像:フェミニストなパパになるには』の著者であるジョーダン・シャピロ博士は、性別で分けられたプレイグループの概念に異議を唱える。「プレイグループは子どもに最善のものであるべき」と話し、性別によって分けられたプレイグループは先入観や偏見をより強いものにしてしまう可能性があるという。
同じ価値観を共有する父親たちで集まってビールを飲むのはいいが、ジェンダーに基づくプレイグループは「問題ある権力構造を強化することにしかならない」とシャピロ博士は述べた。
プレイグループで父親たちがよそ者のように感じている一方、「ママ&ベビー」の構成は、母親は子どもと「魔法の絆」で結ばれているという神話をより強いものにし、膨大な育児のプレッシャーを与え、彼女たちがキャリアに集中することを選択した際は罪悪感を感じさせる。そして同時に、それは父親たちを育児から遠ざけている、とシャピロ博士は語った。
やっと見つけたプレイグループ友達
寺院での「ママ&ベビー」のグループに数カ月参加した後、僕は地元の図書館で行われる絵本の読み聞かせなど、性別に特化しないイベントに参加したが、結局は同じような政治が行われていた。母親たちがママ向けウェブサイトで見つけたイベントの話をして、それに合わせてお互い次に遊ぶ予定を立てていた。中には、僕と全く話さない母親たちもいた。1人は僕のやることなすことを褒めてくれたが、僕を「パパ保育園」と呼んだ。
僕は、グループにいた数人の男性たちを避け、部屋の逆側に座って目を合わさないようにしていた。彼らと話すと、女性たちからさらに距離ができてしまうと心配したからだ。
幸いにも、僕の孤独は永遠には続かなかった。ある水曜日の朝、地元の子育てグループで、息子は大好きな司書のメリッサ先生が絵本を読む間、椅子の座面を叩いていた。すると、近くにいた1人の母親が息子の仕草を見て彼に微笑んだ。遊びの時間になると、彼女の娘は僕の息子が電車のレールを破壊するのを一緒に手伝い、その母親(僕の最初のプレイグループ友達)と僕は、子どもとの添い寝の話で意気投合した。
僕らはお互いの子どもの近況報告や、新しい絵本の読み聞かせの情報交換などをメッセージし合った。彼女はユダヤ人ではなかったが、我が家の安息日ディナーに家族で来てくれた。
友達ができたことで、自信もついた。プレイグループが終わった後も残り、子どもがみんなにおままごとのアイスクリームをあげている間、他の保護者たちととおしゃべりをした。もし他の父親が1人で座っているのに気づいたら、「調子はどう?」と声をかけるようにした。
僕らが最初に行った「ママ&ベイビー」のプレイグループは今ではオンラインに移行した。僕と息子は毎週金曜日に参加し、手拍子したり、歌ったりしている。半年前、このグループは「ベビー&幼児タイム」に名前を変えた。その後友達となったグループリーダーのエイミーに理由を聞くと、他の専業主夫が歓迎されてないと感じ、名前を変えてほしいと頼まれたそうだ。
「そんなこと、考えたこともなかった」とエイミーは話した。「私が閉鎖的だとかではなく、今までこれでうまくいっていて、それで安心して満足しちゃっていたの。だって今まで、こういうグループは必ずそう呼ばれていたから」
この夏、新型コロナウイルスの感染対策による規制が少し緩和され、少し社会がオープンになってきたので、僕と息子は再び公園に足を運ぶようになった。しかも新しく生まれた娘も一緒だ。一緒のプレイグループのママたちを見つけると、自然と駆け寄って親子で遊ぶ予定を計画した。みんなが人との繋がりを強く求めていた。
子どもたちがよちよち歩き回る中、仲間に入れず居心地が悪そうな新しい親や保護者にも出会った。気まずそうに立っているのは男性だけではない。育児や保育は単調で、ときに孤独になることもある。人付き合いを重荷に感じるかもしれないが、助けになるかもしれない。
なぜなら、みんなコミュニティが必要だから。
なぜなら、子どもたちは一緒に本を読み、歌い、社会性を学ぶ必要があるから。
なぜなら、子どもたちのために、僕らは優しさの手本になる必要があるから。
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筆者:Jay Deitcher氏は、パートタイムのライター、元ソーシャルワーカー、ニューヨークに住むフルタイムの父親。ワシントンポストやエスクワイヤなどにも寄稿している。彼の作品はこちらのウェブサイトで→ jaydeicher.com
ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。