社会学者 平山亮氏の記事を読んで、「おぉ!」っと唸った。以下は話題の牛乳石鹸のCMについての抜粋。
『彼が「がんばって」いたのは、家事育児がイヤでしかたがない気持ちを抑えること、ではないのか』
胸がスッとした。これまでなかなか言語化できなかったモヤモヤが言葉になった感じ。
表立ってはなかなかYESとは言わないかもしれないけど。
家事育児の両立と、この気持ちを抑えることを混同してしまってる男性は、実は多いんじゃないかと思う。
記事にもあるように、牛乳石鹸の炎上動画を見ればあのパパがいったい何を頑張っているのかが見えてくる。 確かに、彼は家事育児は頑張っていない。自分の父親像と照らし合わせて、家事育児をやらなくてはいけない社会の価値観とのギャップと、戦うことをがんばっているのだ。
正直に言う。
そんな自分の父親像と、今の自分が置かれた状況を比較して悩むなんて時間の無駄でしかない。
自分の育った家庭環境は一例ではあれど、ロールモデルではない。だって、違う家庭環境で育った者同士が結婚してるんだから。 自分達家族のカタチは、自分達で築いて行くしかないのだ。
掃除してる男がかっこ悪いとか、洗濯してるのが女性っぽいとかじゃない。
かっこ悪いのは「そんな事させられてる俺」であり、もっと言えば「家事をさせる力がない俺」と見られること。
自虐的に「恐妻家」とか「尻に敷かれてる」とか言うけど、そう言うことで自分に支配力がないんじゃなくて、妻が特別なキャラクターだから仕方ないんだよ。運が悪かったんだ!って、言いたいんだと思う。
それはまるで「奥さん」って言うステータスを取り損ねたことに対する言い訳のようだ。
かつて女性が男性を選ぶ基準に「3高(高学歴・高収入・高身長)」があり、それがステータスになっていたように。( いつの時代だwww)
今もまだ男性は「奥さん」と言う内助の功を「身につけている」という幻想に憧れるのかもしれない。
本人が憧れていなくても、男性の周辺の人たちは奥さんステータスの所有を「男のステータス」として見がちだと思う。
例えば「帰っても晩ごはんないの?奥さんは?(作ってくれないの?)」「奥さん、シャツにアイロンしてくれなかったの?」など。
奥さんがいれば、これらは男性が自分で心配しなくてもいい事項になってしまう。
まずは、周りの人達が「奥さんステータス」をなくしていかないと!
そして今の時代では「奥さん」なんてステータスは、所詮は幻想なんだって気がついた方がいい。
僕らが手にすべきは、アクセサリーのような主従関係ではなく、共に手を取り歩いて行くパートナーシップでしかない。
Posted from tadaima!.
2017年9月14日NPO法人tadaima!:「奥さん」と言うステータスに惑わされる男たち より転載・加筆