あもりさん、ごめんね。

「私は、私が障害者のなかの“特別“でいることに、どこか居心地の悪さを覚えていた」

あもりさんという女性が書いた文章に出会った。

以前に紹介した欠損バー『ブッシュ・ド・ノエル』に勤務するその女性が書いたそのブログを、私は何度も読み返した。

「ひたすら障害を隠すことに必死だった自分にとっては、あまりにも眩しく、すぐに目をそらしました......」 「ただただ、テレビを見るたびにチラチラ視界に入る鬱陶しい存在」

とても、とても胸が苦しくなった。

私の存在が、彼女にこのようなしんどい思いをさせてきた。いや、彼女だけではない。あもりさんと同じような思いに苦しんできた方は、驚くほど多くいる。

「ほら、乙武さんだってあんなに頑張ってるんだから、あなたも頑張りなさい」

「あなたも乙武さんみたいに前向きに生きないと」

あもりさんの場合は本棚に『五体不満足』が置かれるという間接的なメッセージだったようだが、親御さんや周囲の方からこうした直接的な言葉をかけられたという人も少なくない。もちろん、かけた側だって悪気があったわけではない。むしろ、励まそうと口にした言葉だ。だが、かけられた側にしてみれば、そりゃしんどい。「私」と「誰か」は別人だ。

『五体不満足』で伝えたかったのは、「障害者といっても、じつに様々な人がいる」というメッセージ。出版当初、「なんだ、ちっとも伝わっていなかったのか」と肩を落としたのをよく覚えている。結局、健常者の方々からは「同じ障害者なのだから」とひとくくりにされてしまうのだな、と。

その一方で、この20年間、障害当事者やそのご家族から幾度となく耳にしてきた言葉がある。

「乙武さんは特別だから」

そうかもしれないなと思う反面、はたして本当にそうなのだろうかとも思う。

たしかに歴史を遡っても、私のように頻繁にメディアに登場し、発言の機会を与えられてきた障害者は稀有な存在かもしれない。そういう意味では、特異な存在と言われれば、そうなのかもしれない。しかし、なぜ私は"特別"になってしまったのだろう。

生まれたら、たまたま障害があった。育つ環境に、たまたま恵まれた。こんな「たまたま」が折り重なって、「乙武洋匡」ができあがった。負けず嫌いな性格もあって、ちょっぴり努力した場面もあったかもしれない。だが、私以上に努力してきた障害者なんて、それこそゴマンといるだろう。

大学時代、出版社から勧められるがまま書いた本が、歴史的なベストセラーに。最も驚いたのは、この私だ。気づいたら、「あの乙武さん」になっていた。ほかの障害者からは「あの人は特別だから」と言われるようになっていた。どうして私は"特別"になってしまったのだろう。じつは、いまだにピンと来ていない。

あもりさんはブログの終盤で、私の本を「今だからやっと読んでみようかなという気持ちになりました」と綴ってくださっている。その心境の変化は、もしかしたら彼女が欠損バーで働くようになったことで少しずつ自分のことを認められるようになってきたことが理由かもしれない。

しかし、彼女はその直前でこうも綴っている。

数年前にスキャンダルがあった時も、色んな衝撃もありましたが、私の中では「あぁ彼はただの人間だったんだ」と、スゥっと心にあったモヤモヤがなぜだか少し減りました。

彼女がずっと避けてきた『五体不満足』。このタイミングで読んでみようと思ってもらえたのは、もしかしたら「乙武さんは特別な存在なんかじゃなかった」と気づいたからかもしれない。そして、そんなふうに「なあんだ」とホッとしたり、心のモヤモヤが少し減ったりという心境になった障害者は、あもりさんだけではないのかもしれない。

そうだとしたら、それはそれで私もホッとする。心のモヤモヤが、少しだけ軽くなる。私は、私が障害者のなかの"特別"でいることに、どこか居心地の悪さを覚えていたから。

欠損バー、今年こそ行かなきゃなあ。でも、もし行ったら、きっと彼女たちを口説こうとしてしまうんだろうなあ。欠損ガールにフラれる欠損オヤジ。まあ、それも悪くないか。

(2018年1月5日「乙武洋匡オフィシャルサイト」より)

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