東日本大震災が起きた2011年3月11日。青森県の八戸港に停泊していた海洋研究開発機構(JAMSTEC)の地球深部探査船「ちきゅう」は、見学中の子どもたち48人と共に津波に襲われた。船内にいたのは、地元の八戸市立中居林小学校の5年生だった。
不安に包まれる中、乗組員が「みんなで歌を歌おうよ」と子供たちに呼びかけ、みんなで合唱した。張り詰めていた空気が明らかに和らいだ。
そんな体験が絵本になった。3月5日に冨山房インターナショナルから発売された『津波の日の絆 ━地球深部探査船「ちきゅう」で過ごした子どもたち』だ。
震災から8年を迎える中、どのように被災体験を語り継ぐのかが重要になってきている。文章を担当したJAMSTEC技術主任の小俣珠乃さんに、当時の体験を絵本にした経緯をインタビューした。
「最初はクレーンが動いているかと」
━━震災当日の事を教えてください
震災発生当時、地球探査船「ちきゅう」が八戸港に停泊していたのは、4日後の2011年3月15日に八戸沖の研究航海が予定されていたからでした。
世界中から選ばれた研究者たちが船に集まり、まもなく八戸沖で掘削が行われるというタイミングでした。その研究開始を前に、我々が子どもたちに船内見学の機会を提供していたんです。
当日は、午後1時半から午後3時まで、約1時間半の見学会を予定していました。
━━地震発生時刻の午後2時46分はまだ見学会の途中だったはず。当時の船内はどんな様子だったのでしょうか?
当時は、船内にある研究棟に児童を案内しようとしていた最中で、いざ説明を始めようとしたところでした。
実は最初は私が地震の揺れだと分からなくて、研究棟のすぐ側にあるクレーンが動いているのかと思っていました。しかしその次の瞬間、バァーっと物凄い揺れになったんです。
児童たちが悲鳴をあげたり、「怖い」と言っていたので、とにかく「大丈夫、落ち着いて」と声を掛けることしか出来ませんでした。
まだこの時は、この後に巨大な津波が来るとか、一夜を船で過ごす事になるとか、歴史に残るような大震災が起こっているなんて、考えてもいなかった。
揺れが収まればすぐに見学会が再開されると思っていましたが、その後見学は中止となって、児童たちも我々職員も、船内の大きな会議室に一同に集まりました。
地球探査船は、全長210mと巨大な船だからこそ安全な面があり、児童たちに提供出来る食料などの備蓄もありました。ただ、外の様子は見られないし、入ってくる情報も限られている。それゆえ、大人も子どもも、当時は皆同じように不安を感じていました。
最初の揺れを感じてから約1時間後に、津波は八戸の港に襲来しました。
地震発生後にもし下船していたら、児童たちが津波の犠牲になっていた可能性も否定できませんでした。
ですから、「船内で一夜を明かす」という船長の選択は結果的に本当に賢明な判断だったように思います。
船内の空気を変えたのは、児童たちの「歌声」だった
━━船内で児童たちと過ごした中で、最も印象に残っている時間は?
津波がまもなく来るというタイミングだったんですが、当時の船内では、児童たちが、意外にも皆気丈に振舞っていました。
子どもたちにとっても、このような事態は当然これまで経験がないことなので、状況がよく分からない分、例えば泣き出すとか、文句をいう子どもは全く居なかったんです。
ただやっぱり、辛抱の時間がしばらく続いて、船の外で何が起こっているか分からないという事に緊張しているのは感じられたし、どこかシーンとした静かな空気が漂っていました。
すると、それを感じ取ったのか、船の安全環境管理を担当するオランダ人の船員が「みんなで歌を歌おうよ」と、児童たちに提案しました。
児童たちはその提案を受け入れ、自分たちで選曲し、自分たちの校歌とTHE BOOMの『島唄』、『ムーン・リバー』の計3曲を皆で歌いました。
時間にしてたった15分の出来事だったんですが、その時のことはとても印象的で、絵本の中でも一番のハイライトとして描写しました。
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その時、「ちきゅう」の船員さんが言いました。
「みんなで歌を歌おうよ。」
僕たちは何を歌おうか相談しました。
そして歌を歌い始めました
(中略)
僕たちも大人たちも、
みんなの顔は少しだけ明るくなっていました。
その時は、みんな同じことを思っていました。
「みんなで助かると信じよう。」
(絵本『津波の日の絆━地球深部探査船「ちきゅう」で過ごしたこどもたち』より)
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歌を歌った後、張り詰めていた船内の空気が明らかに和らいだんです。
どうなってしまうんだろうとネガティブになっていた気持ちが「やっぱり、助かる事を考えなきゃね」と、前向きなものになりました。
子どもたちの気持ちが一つになって、一つの想いを発する時っていうのは本当に大きな力があって、大人の心をも動かしてしまうんだと、この時改めて感じました。
普段は我々大人が子どもの世話をしていると思っていたけど、それは実は逆で、子どもたちに大人たちが勇気づけられていたんです。
それに気づいたのが、あの日でした。
絵本のはじまりは「紙芝居」から
━━絵本にする構想は3年前からあったと聞いています。経緯を教えてください
実は、最初から絵本にしようと思っていたわけではなかったんです。
毎年3月11日が近づくと震災の事を思い出すので、同機構の職員として、震災後も子どもたちに当時の経験を伝えるということは継続して行ってきました。
一方で私は、それと並行して、全く仕事に関係なく個人で小学生の児童向けに読み聞かせのボランティア活動をしています。
その際、いつも図書館にある本を読んで聞かせるんですが、「あの時の話を紙芝居風にして児童に伝えたら、どうなるかな?」と3年前にふと思ったんです。
そこでまずは、本にする前に、紙芝居形式で小学生に向けて話をしました。
━━話を聞いた児童たちからの反応は?
ある日、横浜のある小学校で読み聞かせをした時、本当に皆が真剣に聞いてくれました。
被災していない地域の児童の心にも届いたことに手応えを感じて、「これは絵本にしてみるといいかもしてない」と思ったんです。
このことがきっかけで、絵本としての出版に向けて動き出しました。
━━物語を伝える手段は数多い。その中でも、なぜ「絵本」を選んだのでしょうか?
あの日、船内で過ごしたのは小学5年の子どもたちでした。
当時の彼らと同じような子どもたちにこの経験を語り継ぎたいと考えた時、一番伝わる手段が『絵本』だと思ったんです。
小学生くらいの子どもたちだと、文章ではなく、絵からの方が情報を受け取りやすいんではないかと思いましたから。
━━絵本を制作する過程を通して、どんな気づきや発見がありましたか?
考え方が変わりましたね。
あの時のことを思い出しながら絵本にまとめることを通じて、改めて『子どもたちの力』を感じました。その力をもっと信じて、信頼関係を築くことが大事なのだと。
同時に、これこそが今回の絵本で一番伝えたかったメッセージだったんだと後になって思いました。
小学3年から6年生向けに制作した絵本でしたが、出版を前に大人にも読んでもらったんです。すると「大人でも十分感銘を受けた」との声を沢山寄せて頂きました。
大人たちに向けて『子どもたちの力』を訴えられたことが大きかったです。
子どもの力や歌のパワーは万国共通で、地震や津波といった自然災害はどこでも起こりうるので、将来的には海外の地震が多い地域などでこの絵本を翻訳して、子どもたちに広めていけたらと思っています。
この絵本は『子どもたちからのプレゼント』
━━絵本の出版、当時の子どもたちにはどのように報告を?
発売前となる2月26日、八戸で出前授業をしました。そこに当時の児童が会いに来てくれて、中には震災ぶりに話が出来た子もいました。
当時小学5年だった児童は高校を卒業しました。その成長ぶりには驚きましたが、久しぶりに会って姿が変わっていても、あの日のように「先生!」と元気に声を掛けてくれたことが嬉しかったです。
表現しようのないほどの喜びでした。
当時は小さな子どもたちだったけど、船内で過ごしたあの日、たった1日で我々大人たちは彼らとの信頼関係を築くことが出来ていた。
子どもって、大人が思っている以上に自発的で案外大人なんですよね。もしかするとこの絵本は、『子どもたちからのプレゼント』なのかもしれません。
震災からまもなく8年となる今だからこそ、子どもだけでなく、大人にもこの絵本を読んでほしい。
そして『子どもたちの力』を、改めて信じてみて欲しいと思います。