2018年のフィリピンはどのような課題を抱え、どのような道に進んでいくのだろうか。克服すべき政治・社会・経済の課題は何なのか。邦訳書も多い比の作家で90歳を超えた今も執筆活動を続けるシオニル・ホセ氏と近畿大国際学部の柴田直治教授(東南アジア政治)がフィリピンの現在と未来をめぐって対談した。(聞き手はまにら新聞編集長=石山永一郎)
ーまず、過激派によるマラウィ占拠を振り返って。
ホセ 作家になる前の1950年に私はマニラ・タイムズ紙の記者として1カ月ほど、ミンダナオ地方のホロ島を出張取材した。これはホロ島のイスラム教徒が自治を求めて武装蜂起し、国軍と激しく衝突したため、長期にわたる取材になった。つまり自治を求めるイスラム教徒と軍との衝突は、もう70年近くも続いているわけだ。本質はキリスト教とイスラム教の対立ではなく、比における宗教的少数派を政府がどう扱ってきたかという問題だと思う。ドゥテルテ大統領の主張する連邦制がその解決につながる可能性はあると思うが、効果は未知数だ。
柴田 バンサモロ基本法案(BBL)が早く成立し、長年の問題解決への第一歩となればいいと考えるが、その先に大統領の言う連邦制があるのだとすれば、違和感を抱かざるをえない。比ではそもそも中央集権制が確立しているとはいいがたい。地方では、特定の一族が地域の政治権力を一手に握り、中央政府の意向も届かないケースが多い。知事や市長、町長の中には、私兵を抱えるギャングのような連中もいて、汚職で私腹を肥やしている。地元のラジオ局キャスターがそういうふるまいを批判すれば、平気で殺し屋を雇って殺す。09年にマギンダナオで起きた政敵、ジャーナリストの虐殺事件はその典型だ。中央が地方政治家の横暴を制御する仕組みがない。そんな中で連邦制に移行したら、混乱が広がるだけではないか。
ホセ 1946年の独立以来、比がずっと抱えている問題がまさに国の統一であることは事実だ。それはまず、ルソンからミンダナオまでの地域が『フィリピン』という国家に帰属意識を持つかどうかだった。国民の帰属意識は70年余をへて総体としては高まっていると思うが、抗日ゲリラ『フクバラハップ』の流れをくむ共産勢力、さらにはイスラム武装組織が中央政権に反旗を翻すという構造は今も変わっていない。
柴田 スペイン植民地時代からイスラム教徒は辺境の民として扱われてきた。そんななかで戦後、モロ民族解放戦線(MNLF)、モロ・イスラム解放戦線(MILF)などが政府・国軍との間で武装闘争を繰り返してきた。和平の話し合いがまとまりそうになると、武装闘争を継続しようとする勢力が分派して戦いを続ける。その繰り返しだった。背景にはやはりミンダナオなど南部のイスラム教徒居住地の貧しさ、首都圏から疎外されてきたという被差別意識があると思う。
ーマラウィ占拠を主導したマウテ・グループなどをどう見ているか。
柴田 BBLの審議が始まろうとしていた中で和平に背を向けるという意味ではこれまでの分派活動と同様の面はある。マラウィの名家出身で資金もコネも豊富だった。今回の反乱の特色は、『イスラム国』(IS)という国際テロ組織の旗を掲げた点だ。これまでの地域闘争をグローバルジハードの文脈のなかに置くことで、国外の組織からのお墨付きや支援を得て内外の注目を集めた。
ー戒厳令延長については。
ホセ マルコス大統領が共産ゲリラ掃討などを理由に全土に戒厳令を布告した1972年当時のことを私はよく覚えている。当時、国民の多くは『治安が良くなった』などと言って戒厳令を支持した。今はその時と似た状況かもしれない。マルコス時代は戒厳令下で次第に経済状況が悪化し、残忍な人権弾圧もあいまって政権への不満が募っていった。同じことが起こらないとも限らない。
柴田 戒厳令の布告がマラウィの戦闘終結に寄与したとは思えない。戒厳令があってもなくても国軍がやることは一緒だろう。戒厳令を延長したことでイスラム過激派を根絶できるのだろうか。今後、ミンダナオ島だけでなく全土に広げるようなことになれば、経済にも悪影響が出るだろう。戒厳令下の国に投資しようという企業や旅行する客は少ないからだ。
ードゥテルテ政権の外交政策はどうか。
ホセ 中国と以前より友好的な関係を築いたことは評価できる。ただ、この国はもともと中華系比人財閥が国を牛耳っている。カエタノ外務長官は南シナ海の領有権問題をめぐって中国を擁護する発言を繰り返しているが、この点には疑問がある。アキノ前政権は南シナ海問題をめぐって国際海洋法に基づく仲裁裁判所に提訴したが、これは正しかったと思う。ドゥテルテ氏は台頭する中国だけでなくロシア、日本、米国などとバランスをとった外交を今後も心掛けるべきだ。
柴田 大統領は一昨年の中国訪問で、仲裁裁判所の決定を高値で売ったという印象だ。巨額援助の約束を取り付け、ルソン島西方のスカボロー礁で比人漁師が漁を再開できるようにした。実効支配から埋め立てを狙っていたと思われる中国も今のところ自制している。日本を含めた近隣国やロシアともうまくやっている。オバマ前政権で冷え切った米国との関係も、トランプ大統領の就任を機に改善させた。ASEANの議長役も無難にこなし、外交面では成果を上げている。
ー親日家のドゥテルテ大統領の下、比日関係は「過去最高の友好関係」(ロケ報道官)とも言えるが、12月8日マニラ湾岸に建てられた慰安婦像をめぐって日本政府は「日本の立場と相容れない」と比政府に抗議した。
ホセ 日本政府は抗議などせず無視するべきだった。
柴田 韓国の場合とは事情も像の形も異なる。日本政府の立場とはそもそもどのようなものか分からないが、抗議したことで逆に、像を設置した団体の思惑通りの結果になったのではないか。
ー他の内政問題について。ドゥテルテ政権の麻薬戦争をめぐっては国内外からの批判はなお強いが。
ホセ 治安が大幅に改善したことは比人の誰もが実感している。これはドゥテルテ氏がやったことの中でも最も革命的といえる政策だ。1万3000人ともいわれる超法規的殺人を擁護するつもりはないが、アジアにおける革命的な改革には犠牲が伴う場合が多かったことは史実としてある。インドネシアでも親共産党のスカルノ政権をスハルト政権が打倒した時は多くの血が流れた。比の宿痾ともいえる麻薬汚染と犯罪率の高さを知らずして、欧米が批判できる問題ではないと思う。隠された問題としては、その麻薬のほとんどがドゥテルテ政権が友好関係を結ぶ中国から来ていることで、この問題では中国に対してもっとものを言うべきだ。
柴田 麻薬汚染は深刻だ。多くの人々が超法規的に殺されていることを比国民は知っている。そのうえで、大統領の政策を支持していることが世論調査でもはっきりしている。とすれば外部からの批判は差し控えるべきかもしれないが、私のみたところ、問題の核心は警察の腐敗にある。麻薬取引の後ろ盾になり、押収した覚せい剤を横流しして、口封じで関係者を殺している。警察とその背後にいる悪徳政治家に手を付けない限り、根本の解決はない。大統領も警察が『芯から腐っている』と言っているが、警察組織を今後、どこまで浄化できるかが課題だ。私は悲観的だが。
大統領には『ドゥテルテ・ダイハード・サポーター』(DDS「不死身のドゥテルテ支援団」)といわれる熱烈な支持者たちがついている。DDSの代表的なブロガーを政権に入れたり、大統領府に招いたりする一方で、批判するメディアは容赦なく攻撃する。米国の大統領と似たメディア対応ともいえるが、最高権力者がこうした姿勢を続けると、社会の分断や亀裂は深まるだろう。言論の自由はフィリピンの重要な価値であるはずだ。これを大統領も国民も大事にしてほしい。
ー好調とされるフィリピン経済をどう評価するか。
ホセ かつて私の出身地パンガシナンの農村では、最も貧しい農民でも1日2回の食事はできた。しかし、今はどうか。マニラでは1回がやっとの人もいる。路上生活をしている人も増えた。貧富の差は広がっていると懸念する。
柴田 確かに格差はより深刻になりつつあるが、次々とビルや道路が建設されている様子や中間層が増えている様子などを見ると、比経済が急激な成長を続けていることは疑いない。
ホセ ドゥテルテ氏はこの国で初めて、オリガーキー(寡占支配層)以外から出た大統領だ。政権の経済政策で最も評価するのは寡占の解体だ。比では主要なサービス、商品が財閥系大企業による寡占状態で供給されており、資本主義でありながら健全な競争原理が働いていない。スマート、グローブの2社に独占され、劣悪なサービスのままの通信業界がその一例だ。ドゥテルテ政権が「第3の通信」を導入しようとしていることは高く評価する。ただ、なぜ、それが中国電信(チャイナ・テレコム)なのか。NTTなど日本の大手通信業界にも声をかけないのだろうかと疑問に思う。
柴田 同感だ。ミャンマーでは民主化後、国際入札をした結果、日系をはじめ複数の外資が参入し、サービスは劇的に向上した。ドゥテルテ大統領が第3の通信社を中国からと決めた経緯は不透明だ。世界に門戸を開き、第4、第5の参入お進め、消費者により多くの選択肢を与えるべきだ。
ー最後に、ホセさんの今後の執筆活動について。
ホセ 新しい小説を今も書いている。年に一度は日本に行くが、日本滞在中がいちばん筆が進む。いろいろな新しい刺激を目にするからだと思う。一昨年の天皇皇后両陛下のフィリピン訪問の際、マニラの日本大使公邸に招かれ両陛下にお会いした。順番があって天皇陛下とは叶わなかったが、美智子皇后とは短いながら直接会話する機会があった。美智子さまに『どんな小説を書いていらっしゃるの』と聞かれたので、『セックス・アンド・バイオレンスです』と答えた。90歳を超えている私が言ったことがよほどおかしかったのか、美智子さまは大笑いをされていた。実際、それは今でも私のテーマの一つだ。
シオニル・ホセ
FRANCISCO SIONIL JOSE 1924年パンガシナン州ロサレス生まれの英語作家。48年、サントトーマス大卒。雑誌編集者、新聞記者などを経て創作活動に入る。代表作に故郷を描いた「ロサレス物語」、日本語をはじめ各国語に訳された「仮面の群れ」など。比の過去100年の道のりを題材とし、社会の深層をあぶり出す作風。80年に文学の分野でマグサイサイ賞を受賞
柴田直治
しばた・なおじ 1955年兵庫県生まれ。早大卒。79年、朝日新聞社入社。大阪社会部などを経て94〜96年、マニラ支局長。2005〜09年、バンコクでアジア総局長。論説副主幹を経て15年に退職。16年から近畿大国際学部で東南アジア政治、ジャーナリズムなどを教える。著書に「バンコク燃ゆ」など。