アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領は11月8日、アルメニア人勢力が実効支配してきたナゴルノ・カラバフ地域の要衝「シュシャ」を奪還したと発表した。
一方、アルメニア側はシュシャで「激しい戦闘が続いている」として、アゼルバイジャン側の発表を否定した。旧ソ連の2カ国間の紛争は大詰めを迎えることになりそうだ。
■26年ぶりの大規模な紛争となったナゴルノ・カラバフ
ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャン領だが、同国では少数派のアルメニア人が多く住む地域だった。旧ソ連崩壊直後の1992年1月、アルメニア人勢力は「ナゴルノ・カラバフ共和国」の独立を宣言。独立を認めないアゼルバイジャン軍と激しい戦闘になった。
隣国アルメニアの協力でアゼルバイジャン軍を打ち破り、1994年5月に停戦した。その後、「共和国」は国際的な承認を得られなかったものの、ナゴルノ・カラバフとその周辺を含むアゼルバイジャン領の約16%を実効支配してきた。アゼルバイジャン政府は「共和国」の存在を認めず、自国領をアルメニアが軍事占領していると批判していた。
ナゴルノ・カラバフでは2020年9月27日から両国の軍事衝突が始まり、26年ぶりの大規模な紛争となった。ロシアやアメリカの仲介で、たびたび停戦合意をするもすぐに破たんし、アゼルバイジャン軍がナゴルノ・カラバフの中心部まで侵攻していた。
■アリエフ大統領の演説の内容は?
アゼルバイジャンと友好関係にあるトルコの国営放送は、アリエフ大統領の演説動画を掲載した。それは以下のような内容だった。
28年間、アルメニアに占領されていたシュシャが解放されました。シュシャは今、自由です。私たちは殉国者を出し、この勝利を手に入れれました。殉国した全ての人にアッラーのご加護があるように祈ります」
シュシャはアゼルバイジャンの歴史において重要な位置にあります。ここは古く由緒あるわたしたちの領土です。何世紀にもわたりアゼルバイジャン人がシュシャで生き、シュシャを築き、シュシャを繁栄させてきました。シュシャはアゼルバイジャンのみならず全カフカスの真珠です。
歴史的な記念碑をすべて元通りにします。礼拝の場をすべて元通りにします。28年ぶりに シュシャに礼拝の時刻を告げる『エザン』が響き渡ります。
この成功は 国家の団結がなければ手にすることができなかったでしょう。もしアルメニアが我々の要求に応じなければ最後まで戦います。鉄の拳で敵の頭を押しつぶしました。押しつぶしていきます。尊いシュシャよ、あなたは自由です。
シュシャは私たちのものです。ナゴルノ・カラバフは、私たちのものです。ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンなのです。
■アルメニア政府はシュシャ陥落を否定
一方、国営アルメニア放送によると、アルメニア国防省は8日「街や周辺地域や道路で、一日中激しい戦いが繰り広げられた。勢いは弱まったが、戦いはまだ続いている」として、シュシャ陥落を否定する記者会見をした。国防省の広報官も9日、シュシャ周辺で「集中的な戦闘が行われており、敵は後退して、友軍は有利な陣地を占めている」とツイートした。
■要衝「シュシャ」とは?
シュシャはナゴルノ・カラバフの主要都市。18世紀にカラバフ・ハン国の首都として、パッナ・アリ・カーンによって築かれた城塞都市だ。アルメニア語では「シューシ」と発音する。
1990年代の紛争前は、この地域としては例外的にアゼルバイジャン人の人口が多かったが、「ナゴルノ・カラバフ共和国」の実効支配後は住民のほとんどがアルメニア人となった。「アゼルバイジャンを知るための67章」によると、紛争前には多くの芸術家を輩出し、絨毯作りでも有名だったため、アゼルバイジャン人にとっては「心のふるさと」だという。
AFP通信によると、シュシャは「共和国」の「首都」とされるステパナケルトから約15kmと近く、「共和国」を支援するアルメニアからの幹線道路もある。もし、陥落が事実であれば、アルメニア人側は一気に不利な状態に立たされることになりそうだ。