最近、月旅行や月面基地のニュースが聞かれるようになってきた。さらには人が火星に行く時代もそう遠くはないのかもしれない。
そんな中、世界では長期宇宙滞在にむけたシミュレーション(模擬実験)が行われている。日本でも模擬実験の施設をつくろうとする動きが民間から起きている。その舞台は旧南極観測船「SHIRASE」の船内だ。計画を進めているNPO法人は、朝日新聞社が運営するクラウドファンディングサイト「A-port(エーポート、https://a-port.asahi.com/projects/shirase/)」で支援を募っている。
人類はすでに国際宇宙ステーションで半年程度の長期滞在を繰り返している。だが火星に到達し、そこでしばらく滞在し、再び地球まで帰ってくるとなると、所要時間は少なくとも往復3~4年(約1000~1500日)はかかる。
はたして人はそんなに長い時間、宇宙で過ごすことができるのだろうか?
一度の飛行で人類史上最長の宇宙飛行をしたロシア人宇宙飛行士のワレリー・ポリャコフの記録は437日だ。宇宙での長期滞在には、放射線や無重力への影響といった医学面からの検証に加え、閉ざされた空間や閉ざされた人間関係から受ける精神的な影響も無視することはできない。
世界ではいま、有人火星探査に向け、精神面での分析やさまざまなシミュレーションをするための実験がいくつも行われている。アメリカの民間団体「火星協会」が行うMDRSと呼ばれる施設を使った実験はその老舗的存在だ。協会の設立者はロバート・ズブリンという有人火星探査の提唱者。2001年以降、これまで200回近くの模擬火星実験を行ってきた。
この協会が2016~2017年にかけ、アメリカ・ユタ州のMDRSという施設と、カナダ・北極圏のFMARSという施設で行った計約160日間の実験に、日本人として唯一選ばれたのが極地建築家・村上祐資さん(40)だ。
東京大学大学院工学系研究科で建築を学び、宇宙という極めて厳しい環境で建築は何ができるのかを研究した。そのなかで自ら厳しい環境に身を置き、そこで暮らす人たちの暮らしに学ぶべきだと感じ、地球上の極地を目指した。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の閉鎖環境適応訓練設備で被験者となったほか、第50次南極観測隊として越冬。富士山旧測候所やエベレストのベースキャンプなどで滞在することで厳しい環境の暮らしを学んだ。
極地での暮らしは1000日を超えた。時間としては、そろそろ火星を往復したことになる。「日本で最も火星に近い男」とも称される村上さんが今年、日本でも模擬火星実験をしようと動き出した。今年10月には自らが理事長となり特定非営利活動法人フィールドアシスタントを設立し、事業を本格化させた。
アメリカの模擬火星実験施設といえば、人里離れた無人地帯のできるだけ「火星っぽい場所」に作られることが多い。村上さんも当初、北海道函館市や東京都の伊豆大島など遠隔地の環境を検討した。だが最終的に選んだ場所は現在、千葉県船橋市の岸壁に係留されている旧南極観測船「SHIRASE」という船だった。
「都内からも近いこの船であれば、よりコンパクトに成果を出せる。日本に模擬実験ができる施設があれば日本のさまざまな技術や企業が活用できるはず」と村上さんは言う。
船を管理するWNI気象文化創造センターの協力を得て行われる村上さんらの計画はこうだ。2019年2月から2週間、SHIRASE船内で最初の模擬実験を始める。この実験は予備的な位置づけで、SHIRASEが本当に模擬施設として成立しうるかどうかを測るものだ。そのため実験に参加するクルーは過去に同様の模擬実験を世界で経験した人から選ばれる。
その後2019年中には国際的な公募を行い、2020年初旬にクルーを選考する試験を実施。2021年と2022年初旬にそれぞれ2回、計4回の模擬実験を行う計画だ。
来春の実験では、船を宇宙船区画と地上区画に分け、一方は火星へ向かう宇宙船、もう一方を地上の管制室と想定する。クルーたちは「船外」に出るには宇宙服を着用し、期間中は限られた水、保存のきくフリーズドライを中心とした食事で過ごす。管制室との交信にも片道3分、往復6分の遅れが出る。「もしもし」と言って、返事が来るのは6分後。そんな環境で2週間を過ごす。
ただ、村上さんは言う。「僕はこの実験を宇宙のためにやるつもりはありません。むしろ宇宙という視点からこの地球で暮らし続ける人たちのことを考えたい」と。
話が少しややこしくなるのだが、この宇宙を想定した実験は、宇宙であろうとなかろうと、人が暮らすことの本質をつかもうとする試みであると説明できるかもしれない。そのために、この実験にはこれまでの宇宙開発とは無縁だったアーティストやジャーナリスト、ひょっとしたらもっと違った人たちが参加する可能性すらある。村上さんはそうした人たちこそ、これからの宇宙に必要な視点だと考えている。
2030年くらいに本当に人類が火星に向けて飛び立つ時代が来たとき、2020年代にこんな実験がおこなわれていたという事実をモニュメントのように残し、示唆を与えることをもくろんでいることも明らかだ。「僕は建築家として、将来宇宙でだれ一人苦しめたくない」そう、村上さんは話す。
■クラウドファンディングに挑戦
クラウドファンディングによる支援は2019年2月28日まで受け付けている。支援者には金額に応じて、第1次南極観測隊の時代から羽毛服を提供してきたPOLEWARDS製の衣類や、船内見学などのリターン品が予定されている。詳細は、https://a-port.asahi.com/projects/shirase/ (今井尚)