「退職すると決めた理由の一つは子育てです。正直、辞める以外の解決策が見つかりませんでした」
2022年2月、東京・丸の内の喫茶店。在京紙の社会部で警視庁捜査一課の取材を担当していた私は、上司であるデスクとキャップにそう伝えた。ちょうど「仕切り」(複数いる捜査一課担当記者のまとめ役)の任期を終え、翌月から部内で異動する予定だった。
上司はみんな仕事一筋。子育てはパートナーに任せている人が大半で、育休を取る風潮もない。上司に退職の決意を伝えた翌日、本社で社員証やパソコンなどの備品を返却していた時に、ある幹部が私にこう言った。
「母ちゃん(妻)厳しいのか?」
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2021年に長男が生まれた私はその1年後、子育てを理由に新聞社を退職した。
男性の育児や育休取得の推進を発信しているメディアだが、内側にいる若手・中堅記者たちは仕事と家庭の両立で悩んでいる人もいる。一方、前述したように「子育て=女性」といった感覚を持っている幹部もいる。
なぜ会社を辞めるしかなかったのか。育児中心の生活で変わった記者としての視点とは。これまでの経緯を振り返る。
事件事故が中心だった新聞記者生活
私は瀬戸内海に面する山口県の港町で育った。県立高校を卒業後、奨学金を借りて都内の大学に進学。2013年4月、在京紙に就職した。
育った家庭は地方の一般家庭。両親が都内に訪れた際、父親は本社周辺を歩きながら「こんな都会の会社に就職したんやのう」と、しみじみビルを見上げていたのを覚えている。
初任地の福島、いわき両支局では県警や裁判、住民避難が続く双葉郡地域を取材。その後、社会部に配属され、事件事故や災害現場を取材する方面担当を1年間任された。
そして、殺人事件などを取り扱う警視庁捜査一課担当の記者になり、忙しい日々が始まった。体力・精神的に負担の大きい仕事ではあったが、充実感に満ちあふれ、「自分は社会部の記者として生きていくのだろう」と思っていた。
長男が生まれたのはそれから約1年半後。3人いる捜査一課担当の記者をまとめる「仕切り」になった翌月だった。
ほとんど家にいなかった
どのメディアでも、警視庁担当の記者は日々、早朝から深夜まで捜査幹部や刑事の自宅を訪れて非公式に取材する「夜討ち朝駆け」を繰り返す。
警察が事件について公式発表するのは、基本的に捜査に一定のめどがつき、容疑者を逮捕した後だけだ。その内容も簡潔な概要に絞られる。
だから、夜討ち朝駆けで捜査関係者から情報を引き出さなければ、記事を書くのに十分な材料を集められない。そして、極秘に進む捜査を察知して独自取材を始めることもできない。
もちろん、簡単に捜査の内容を話してくれる人はいない。だから夜討ち朝駆けを積み重ね、少しずつ人間関係をつくっていく。他社が先に報じる「抜かれ」は許されない。その重圧のなかで黙々と夜討ち朝駆けを繰り返すことになる。
「仕切り」は捜査一課担当記者のリーダー役。捜査一課を数年担当した年長の記者がその役に就くのが慣例だ。
ほかの一課担当の記者、通称「2番機」「3番機」に指示を出し、早朝深夜問わず上司からの問い合わせにも対応する。計3人の一課担当グループが出す記事も取りまとめる。事件・事故の発生や他社の「抜かれ」があれば、休日でも、遅い時間でも、1人で子どもを見ていても出社する。土日祝にかかわらず、宿直勤務もこなす。
つまり、ほとんど家におらず、いつ呼び出されるかわからない状態だった。
「俺は別の部屋で寝てる」
フルタイムの仕事をしていた妻は、私が仕切りの1年間、育休を取得すると言ってくれた。しかし、私は妻のキャリアを考え、自分の口から「半年ずつ育休を取ろう」とは言えなかった。
一課担当は仕切り、2番機、3番機の3人の記者で回しており、仕切りは捜査のトップ、捜査一課長への取材も任されている。途中で一時的に抜けると、同僚に迷惑がかかると思った。
また、男性の上司で育休を取った人を知らず、パートナーと同じレベルで子育てをしている人を見たことがなかった。部署にそのような風潮もなかった。
ひとまず目の前の仕事をこなしていったが、時間がたつにつれて不安が大きくなっていった。「妻が復帰したあとはどうすればよいのだろうか」ーー。
私たち夫婦は遠方の地方出身で、近くに手を借りられる親族はいない。担当替えがあったとしても、社会部の一線で働く限り、夜遅くまで仕事が続く。急な呼び出しや土日祝の出勤・泊まり勤務もある。
「先輩や上司はどうしているのだろうか」。私は数人に話を聞いた。しかし、パートナーが仕事を抑えていたり、近くに親族が住んでいたりする人ばかりで、不安は解消されなかった。
私が「長男の夜泣きで睡眠不足が続いている」と相談しても、先輩記者は「俺は別の部屋で寝てるよ」と一言。もちろん私の体を気遣ってくれたことはわかったが、夜泣き対応を全てパートナーに任せていることに驚いた。
「育休が数か月とれたとしても子育ては続く」
子どものスイミングスクールの場所を知らない上司や、数か月の育休から復帰した初日に「社内の風当たりが強い。俺、何も悪いことをしていないのに」とうつむいていた先輩もいた。
私も子育てと仕事のはざまで業務量が落ちていたのか、「相本さんは家族といた方が幸せなんですもんね」と同僚から言われた。
周りはパートナーが主に子育てを担うことで成り立っている。「休まない空気」のなか、部内の風潮も変わらないだろう。保育園の送り迎えや急な熱での呼び出しに対応できるのか。妻のキャリアを犠牲にしてしまうのではないか。たとえ育休が数か月とれたとしても、子育てはその後も続いていく。
妻と話し合いを重ねた結果、「どちらかが環境を変えて根本的に問題を解決するしかない」という結論になった。会社の制度を利用したり、シッターを頼んだりすることも考えたが、「子育ては続く」という観点や金銭面から現実的ではない。
子育てへの理解がある風潮であれば解決への糸口を見出せたかもしれない。しかし、私と妻が子育てと仕事を妥協しないで平等にやるためには、退職以外の選択肢は思いつかなかった。
そして、捜査一課担当の任期を全うしたあと、私が退職すると妻に伝えた。育休を平等に取っていない後ろめたさもあったが、率先して行動しなければ「女性=子育て」という風潮に自分も同意することになると感じた。
最後に出勤した日、「新聞記者は楽しかった。本当は辞めたくなかった」と幹部に伝えた。幹部はその話をノートにメモしていた。
いまは子育てと仕事の両立に奔走
いま、私は妻とともに子育てと仕事の両立に奔走している。
午前6時台から洗濯、掃除、朝食。長男の体温を測り、保育園の連絡帳に日記を書いて登園させる。保育園から迎えた後、夕食の買い物をして帰宅。風呂に入れ、肌にクリームをぬり、髪の毛を乾かす。
夕食後は絵本を読み聞かせ、寝かしつける。このほか、保育園の貸与品に名前を縫うことなど、やることは山のようにある。
もちろんスムーズにはいかない。朝夕のご飯は「イヤイヤ」と言ってちゃんと食べないことがある。夜も遊んでなかなか寝てくれない。何度も絵本を「読んで」と持ってくる。
トイレまでついてくる。トイレの扉を閉めると泣き叫ぶ。その後はずっと抱っこをしなければ機嫌がなおらない。保育園に送った後、発熱などで保育園から呼び出しされ、再び園に向かうことも度々ある。
子どもが誤飲やけがをしないよう1日中見守ることが、何より疲れるかもしれない。「仕事で一時的に赤ちゃんから解放されていた昨年の自分は、なんて楽だったのだろう」と再認識もした。
記者として気づいた新たな視点
一方、子育て中心の生活で気づいた記者としての新たな視点もあった。例えば、ジェンダーについてだ。
盛岡市で2022年9月末、新聞やテレビなどでつくる「マスコミ倫理懇談会」の全国大会が開かれ、私も「実名報道」の分科会で発表者として参加した。
オンライン含めてメディア関係者ら約330人が参加したこの大会。会場には各社の幹部や記者が大勢いた。そのほとんどが中高年の男性だったことに、違和感を覚えた。
昔だったら違和感なく大会に参加し、ジェンダーの話を聞いても「男性である自分には関係ない」と思っていたかもしれない。しかし、今回はまずそこに目がいった。
育児をパートナーに任せ、育休をとったことがない男性上司が多い場合、今の時代を生きる社員が仕事と家庭の両立で悩んでいる現状を、深く理解できるのだろうか。
特にメディアは、ジェンダーや男性の育児促進に関する記事も発信している。しかし、社内の風潮は記事の主張に沿っているのだろうか。違うのならば、変わらないままでよいのだろうか。
男性幹部こそ、ジェンダーに関する記事を書いてみたり、育児を主体的にしてみたりすることで、女性記者も働きやすい環境になっていくのではないだろうかーー。
さまざまな思いが湧き出た。自分の意識は、転職して主体的に子育てするようになった数か月のうちに、大きく変わっていたのだ。
なお、この大会で初めて開催された「ジェンダー」の分科会では、新聞社・通信社の管理職に占める女性の割合が8.6%(昨年時点)と示された。
父親が子育てするのは当たり前に
東京都内では最近、父親が1人でベビーカーを押している様子をよく見かける。公園や児童館に1人で子どもを連れてきている父親も地域によっては多い。
取材先で新聞社の退職理由を聞かれた際、「子育て」と答えると、「私も同じ理由で転職しました」と話していた元大手メーカーの男性もいた。
新聞記者、特に社会部は「特ダネ」を求められ、いつ大きな事件や災害が起きるかわからないことから、柔軟な働き方が難しいことはわかっている。
しかし、子育てに携わる風潮がなかった世代の幹部が、今の時代を生きる社員の現状に寄り添い、理解を深めることはできる。
私も1年間、育児の大半を妻に任せてしまった。男性版産休制度が始まったが、産後直後に制度を利用することは、パートナーを支える以外にも、育児の内容を直で知って働き方を見つめ直すなどの面から非常に効果的だと思っている。
昔とは違い、いまは「共働き」の夫婦も多い。どちらもキャリアを犠牲にすることなく、精一杯働ける環境づくりが進んでいってほしい。
《この記事の初出は2022年10月17日(BuzzFeed Japan News)ですが、反響が大きかったため、再度編集して配信しています。筆者は同じく相本啓太です)