氷山の一角、女性記者へのセクシュアル・ハラスメント
財務省の事務次官がテレビ朝日の女性記者にセクシュアル・ハラスメントを行った事件。語るべきテーマは多岐にわたるが、まずは、これは氷山の一角であることを多くの人に認識していただきたい。たまたま変な官僚がいたという話ではない。組織と権力構造の問題なのである。もちろん、官庁だけの問題でもない。官庁とマスコミという二つの組織に(そして他の様々な組織にも)合わせ鏡のようにしみわたり、相互に影響し合って、女性の尊厳を踏みにじり、働く場を狭めている問題なのである。
テレビ朝日が未明の記者会見をした4月19日午前、旧知の元テレビ局記者から連絡がきて、彼女が約30年前に受けた被害の話に耳を傾けた。何度も夜討ち朝駆けし、家族ぐるみで親しくしていた警察官と食事をし、そのまま相手の自宅に行ったら家族は不在だった。力の強い警察官に無理やり寝室に引きずり込まれ、レイプされる寸前まで追い詰められた。激しく抵抗し、「お嬢さんがこういう目に遭っても許せるの?」と言って、ようやく逃げることができたという。
だが、彼女は被害を記者クラブのサブキャップ(二番手の先輩)にしか伝えず、サブキャップには他の人には言わないよう頼んだ。女性記者がまだ非常に数少なかった時代、被害が明るみに出ると「だから女性記者は記者クラブに置くな」と言われ、仕事ができなくなることを恐れたからだ。その30年後、財務次官のセクシュアル・ハラスメントについて「番記者を男に変えれば済む話だろ」と言い放った麻生財務相の発言と響き合う。
男性記者が感じない女性記者の「取材のしにくさ」
そして彼女は思う。もし、被害を受けた時に声を上げていたらどうなっていただろうと。「#MeToo」が広がった今だから、そのように考えるようになったという。女性記者数がはるかに増えた現在でも、女性記者の取材のしにくさはちっとも変わらない。「男社会って、何も変わっていないんだ」と、彼女は慨嘆する。
実は彼女は、被害を受けた警察官からその前に特ダネをもらったことがあった。被害のことを周囲に伏せていても、彼女は「寝てネタを取った」という目で見られた。その後もいくつか記者クラブを経験したが、セクシュアル・ハラスメントは様々な形で続いた。他社の記者に「いいよね、女性記者は寝たらネタを取れる」と言われたこともあった。
実は私も、若い時、先輩の男性記者に「取材先と寝てでもネタを取ってこい」と言われたことがある。その時は驚いてなんと言い返していいかわからず、黙ってしまった。それから十数年たって彼と会った時、この話を持ち出したら「オレは今でもそう言うよ」と堂々と言われた。この人にとって、女性(おそらく男性も含め)の尊厳など無価値であり、女性記者の取材には男性記者が感じない困難がつきまとうことなどとどうでもいいことなのだと、はっきりと理解し、私は彼に対して絶望した。
私自身は新聞記者時代、何度も夜討ち朝駆けをしたが、幸いなことに一対一で会ってもセクシュアル・ハラスメントはほとんど受けなかった。それよりも、社内で自分が受けたり見聞きしたりしたセクシュアル・ハラスメントの方が数多く記憶に刻まれている。私のいた新聞社はマスコミの中ではきちんと対応している方だろうと思うが、セクシュアル・ハラスメントは一向になくなっていない。
上下関係と女性差別の交点でセクシュアル・ハラスメントは起きる
今回の財務次官の問題で、テレビ朝日は当初、女性記者からの訴えに正面から対応しなかった。それは、「財務省との関係を悪化させたくない」という組織の利害だけでないだろう。上司は「二次被害」を心配したそうだが、表沙汰にすることで、その記者が財務省の取材をしづらくなったり、担当をはずれざるをえなくなったりすることを心配したのかもしれない。
私は、記者と取材先とは対等の関係であるべきだと考える。だが、「ネタをあげる―もらう」という上下関係に陥りがちであることも、よく知っている。権力の上下関係と女性差別が重なり合うところにセクシュアル・ハラスメントは発生する。「寝てでもネタを取れ」の残酷さと、そこにつけ込む取材先の卑劣さとは、表裏一体である。
財務次官や彼をかばう財務相よりもむしろ、被害を告発した記者やその上司、テレビ朝日をバッシングする言葉の蔓延を私は大変危惧している。それらを放置しておけば、女性記者の仕事の場がどんどん狭められていき、世間もそれをやむをえないことと受け止めかねない。だが悪いのはセクシュアル・ハラスメントをする側である。告発した女性記者の勇気を、私は心から称賛する。セクシュアル・ハラスメントをなくすには、結論だけを書くと、官庁やマスコミを含めあらゆる場所で、女性の数がもっともっと増えること。それに尽きる。
自治労コラム(4月23日)より転載