「瀬戸内寂聴」と聞いて、どんな顔が頭に浮かぶだろうか。
生き方に悩む人々に温和な笑顔で教えを説く「僧侶」の顔だろうか。それとも、女性の愛と性を巧みに描く「小説家」の顔だろうか。
寂聴さん自身、夫の教え子や妻子ある作家との「道ならぬ恋」に身を焦がしたこともあった。
そんな彼女も今年で95歳。近年は腰の圧迫骨折や胆のうがんを患い、壮絶な闘病生活が続いたが、居を構える京都から東京へ遠出できるまで回復した。
「もうすぐ死ぬんだから」。寂聴さんは口癖のように語る。だが、そこに悲壮感はない。肉と酒を愛し、仏門にいる身とは思えないほど「生」を謳歌しているように見える。
「人間は生きている以上、自由であるべきよ」――。95歳の寂聴さんが、今を生きる日本人に伝えたいメッセージを聞いた。
――寂聴さん、最近のお体の具合はいかがですか。
人前だと元気だけど、そのあとにどっと疲れますね。出掛けたりすると気を張ってしまうのもあって...。
でも、いまは東京にも来れるし、こうやって取材も受けられる。病気してた頃と比べたら、こんなことできるようになると思わなかったね。
――最近、ハマっていることがあると聞きました。
最近は週刊誌が好きで、よく読んでいます。ここのところ年をとって、よく病気をするでしょ。それでね、重い本を寝ながら読むとね、落としたりしてうまくいかない。でも週刊誌だといくらでも読める。これは面白いなと思って。
いままで、そういうのは読む暇なかったんですよ。ず―っとね本当に読まなかった。でも、週刊誌が大好きになりましたね。あれとこれと比べたりする。だんだん、過剰に通じてきたのよ(笑)。
最近の週刊誌は面白いのね。ゴシップ記事とか。それを全部読んで、いつの間にか寝てるっていう(笑)。
――寂聴さんはお肉が好きと聞きましたが、本当ですか?
お肉は大好き。昔は、肉も魚も嫌いだったんですよ。偏食で豆しか食べなかった。でも二十歳のときに断食をしましてね。それから体質が変わって、なんでも食べれるようになったの。
――出家されてるので「お肉食べていいの?」って、心配に思っていたのですが。
なんでも大丈夫です。もうみんなバレてるからね(笑)。ただ、いつだったか輪袈裟を外すのを忘れて、かけたままお肉を食べていたところがテレビで放送された時には、上のほう(比叡山)から電話かかってきましたよ。
「肉を召し上がるのはね、もう仕方がないですけど、そういうもの食べるときは気を付けてください。袈裟ぐらいは外してください!」って。その時は、「すいません」って(笑)。
袈裟を外すってことはね、坊主じゃないってことなの。でも、そんなの形だけじゃない?別にいいじゃないのと。また怒られちゃうかしら、私。ちょっと口が過ぎるのよね。でも、肉を食べるから若々しくいられる。肉を食べないと駄目ね。
――これまでの人生で食べたものの中で、一番好きな食べ物は。
「大市」のすっぽん料理ね。
――京都にある、すっぽん料理の名店ですね。
あそこはおいしいのよ。死ぬ前に食べたいものを聞かれたら、大市のすっぽんね。でも、食べたら死ねないわね。むしろ生き返るかもしれない(笑)。
あのお店は、すっぽんをお酒で煮るんですよ。だからお酒飲めない人はね。酔っ払っちゃう。
昔、(社会運動家の)荒畑寒村さんを連れていったことがあってね。一口食べて「これはおいしい!」って言ったと思ったら、ぶっ倒れたの。あの人、一滴もお酒飲めなかったのよ(笑)。
――昔のお写真を拝見しましたが、とってもおしゃれだったんですね。
昔はスタイル良かったのよ(笑)。
――普段は、お洋服もお召しになられてるんですか?
誰にも会わないときは、セ―タ―とパンツみたいな。Gパンもずっと履いてますよ。ただ、やぶれてるGパンだけは抵抗があるの。
今は、新しいハンドバッグが欲しいわね。昔はたくさんあったんだけどね。病気をしたら考えが変わって...。なんか、もう死ぬと思ったら、みんなにあげちゃってね。ないんですよ。
――お酒は今も召し上がるんですか?
体調が良くなってからは、また飲んでますよ。うちへ来る女の子は、みんなお酒が好きになって帰りますね。うちに来たら、まず飲ませてあげるの。
――お酒が強いと聞きました。
顔に出ないんですよ。「文壇酒徒番付」の西の大関と呼ばれました。若い頃は相撲をあまり知らなかったからね、大関がどんなもんか知らないでしょ。
だから、人に会うたびに「私は、文壇酒徒番付西の大関です」って紹介したら、相手は「おお!」ってびっくりしちゃって。ちなみに東の大関は、石原慎太郎です(笑)。私は酔って乱れたことないの。
(寂聴さんの秘書、瀬尾まなほさん):ありますよ(笑)。結構酔うと、足が軽くなって、すごい足取り軽くなるんですよ。あと、ろれつが回らなくなって。
この頃ね、ろれつが回らなくなるのよ。
(瀬尾さん):それで結構暴言吐くんですよ。着物姿で寝ようとするから「とりあえず着物だけ脱いでください」って言うと、「うるせ―、帰れ、黙れ」って。これビデオ撮ってますよ(笑)。
――先生、それは...(笑)
(瀬尾さん):「うるせ―、黙れ」は、ちょっと...。
構わないわよ。どうせ、もうすぐ死ぬんだから。
――「もうすぐ死ぬんだから」と口癖のようにおっしゃいます。でも、死ぬまでに書きたいこと、まだあるんじゃないですか。
それが、もう書けるかどうか...。もう、書かないほうが潔いんじゃないかなって、今迷ってるんですよ。
もう体力が、ちょっと追いつかないわね。短編とかなら...。
病気してね、もう憂鬱になってね。病気って、鬱っぽくなるでしょう。だから、これをどうやって逃れようかなと思って...。そんな時、自分にとって一番うれしいことを考えるんですよね。
――「一番うれしいこと」とは。
何がいいかなと考えたんですが、私はやっぱり小説を書いて本にすることが一番うれしい。でも、小説を書く気力もない、体力もないなと思ったの。
そこで思いついたのが、「俳句がある!」と思ったのね。俳句なんて私は下手だから、もちろん本にもしてないですよ。でも、初めての句集を出してやろうと思って。そうしたらなんか、わくわくしてきてね。
それで本当に『ひとり』っていう句集を作ったの。とてもうれしくてね。鬱なんかもう治ってしまって。洒落たのを1冊(句集『ひとり』)を残せたんですよ。
――51歳で出家して、今までひとりで書いて、生きてきた。
私、ひとりが好きなの。ウチで働いてくれている人たちは、夕方5時にはみんな帰ってくのね。みんな「そんな、夜は恐くないですか?」って言うんだけどね。むしろ、せめて夜ぐらい一人でいたい。
そしたら、たまにちょっと家のセンサ―に当たったりする。そしたら、(警備会社)のセコムが来るんですよね。家の奥まで入ってくるんですよ。ふっと扉を開けたら、あなたみたいな若い男が立ってて。思わず「コラーーッ!!」って言ったことがありました(笑)。
――お一人でいるときは、何をして過ごしてるんですか?
いつも仕事をしてます。物を書いてるか、本読んでるかです。
一人の時間をすごく大切にしていますね。あんまりべったり、ずっと人といるのは好きじゃないんで。ワイワイするときもあるけど、やっぱり一人の時間っていうのは、絶対必要だと思います。
小説家は一人、孤独であるべきです。
――「小説家は孤独であるべき」ですか。なぜでしょうか?
結婚なんかしてたら書けませんよ。だって、相手のことが気になるじゃないの、愛してたら。「ご飯作ってあげなきゃ」「〇〇しなきゃ」って。
――書き手やクリエイターは「ひとり」であるべきだと。
誰かを好きになって、その人のことを思っていたら、気になって仕事できないですよ。
でも私、ダメ男が好きだからね。いや、私はダメと思わないんだけど、人から見るとダメ男らしいのね。だから「私が愛した男は全部ダメになる」って言ったらね、みんなが「そうじゃない。初めからダメな男が好きなんだ」って、そう言うの(笑)。
この間、作家の佐藤愛子さんと対談したの。愛子さんも男運悪いのよね。だからね、やっぱり続かないのよね。
――直木賞作家の佐藤愛子さんですね。
愛子さんはね、私が見ていて「この人はいい」と思った人と付き合っていたの。有名な野球選手(※別当薫氏のこと)。そのときは、愛子さんも一生懸命になって尽くしてたのよ。だけど、相手に奥さんがいてね。
愛子さんはその野球選手に「奥さんと離れないの?」って言うの。でも、離縁しなきゃならない状態なのに、その男は優しくて、よう離縁しないのよね。
それでとうとう愛子さん怒ってね。ある日その男の荷物を全部、タンスやら机やら、往来に投げ出して追い出したらしいの。
しかも、その男が帰ってくるのを階段で待って、泥が入ったバケツをぶっかけて「恥知らず!」って言って、すぐ逃げたって(笑)。
――壮絶ですね...。先生はそこまではしない?
そんなことしたことないよ。私、全部許すもん。
(瀬尾さん):でも先生、「腹が立ったから、いい食器とか割ったことある」って。
昔ね。それ以来、ザルとか壊れないものを投げるように...。
――思いっきりモノにあたってるじゃないですか(笑)。
その昔、平林たい子さんという小説家がいてね。あの人は、小堀甚二さんと結婚してたけど、小堀さんがお手伝いさんと子どもを作って、離婚した。怒って、そのことについて新聞で発表したんですよ。
私も昔、若い男性と付き合っていた時、その男と喧嘩になったのね。物投げたりね、ひっぱたいたりしたこともあった。
そうしたら彼が「それだったら、平林さんと同じじゃないか」って彼が言ったの。「そうか」って思ったけど、ちょっと考えて「平林たい子と同じでどこが悪い!」って。そのときは、もうむちゃくちゃでした。
――恋愛にタブ―ってないんでしょうか。寂聴さんは結婚もされ、不倫もご経験された。でも、今の社会では「不倫」は社会的に厳しい目で見られます。
でもね、「不倫」がなければ世界中の名作小説はありませんよ。不倫を書いた名作って、たくさん残ってるんですよ。そもそも、普通のものを書いて誰が読むの?
紫式部の『源氏物語』も、モーパッサンの『女の一生』も、ドストエフスキーの『アンナ・カレーニナ』も。全部不倫ばかりですよ。
――古今東西を問わず、「好きになったらしょうがない」ってことでしょうか。
そうです。人を好きになるって、雷が落ちるようなもの。当たったらしょうがないのよ。不倫したいと思って付き合うんじゃなくて、好きになっちゃったから付き合うんだもの。でも、人の幸せを奪っての幸せはダメよ。
――寂聴さんと話してると、人生なんとかなりそうな気がしてきますね。
そうよ。大体なんとかなるものよ。仏教と一緒。全て、物事は変化するの。
だから今はつらいつらいって思っても、それがずっと続くことはない。変わるの。今、嬉しくてしょうがなくても、それもまた変わるの。
つらかったらうれしくなる。だから大丈夫、なんとかなる。
――「諸行無常」ですね。
この年で、まだ法話をしてるでしょ。なぜそんなことをするかといえば、聞きに来てくれる人はみんな悲しそうな顔してるの。
でも、私の法話を聞いてね、帰るときはみんな明るい顔になるの。それを見たらやっぱり「私も役に立ってるのかな」と思うじゃない。
【寂聴先生の法話のワンシーン】
39歳でニートという息子さんの話。先に死んだ夫の遺産もあり、息子が働かない......。理解しがたいと、眉間にしわを寄せていた人もいたが、先生は、「あなたが恋人を作って再婚して、息子さんを家に居づらくしてしまいなさいよ!きょうから婚活ね」
(瀬尾まなほ『おちゃめに100歳!寂聴さん』より)
人間は生きている以上、自由であるべきよね。「自由でありたい」がために、生きてるんだから。親の介護とか、夫や子どもの面倒を見て一生を終わることなんてないのよ。
――もっと自分自身をの幸せを考えたほうが良い、と。
若い人には「自由であれ」ってことを言いたい。生まれてきた以上は、自由になることが幸せ。だから、幸せとは何かなって、いろいろ考えました。やっぱりそれは、あらゆる点で「自由」であることだと思うの。
終戦のとき、私は中国の北京にいました。いまは前の戦争(太平洋戦争)を知らない人が多くなった。中には「戦争って大したことない」と思ってる人もいるようです。
でもね、戦争中は、もうどうしようもなかった。「戦争に行きたくない」なんて言ったら「国賊だ」って言って、やられるしね。そりゃ悲惨なもんでしたよ。
逃げることも勇気ですよ。権力者の都合で変わる道徳にとらわれないでね。逃げると言っても、自由を求めて逃げるんだから、名目はちゃんと立ってるの。どうせ生きるなら、自分のしたいことをして、自由に生きてね。
瀬戸内寂聴さんの秘書・瀬尾まなほさんの新著『おちゃめに100歳! 寂聴さん』は光文社から発売中。
ハフポスト日本版は、自立した個人の生きかたを特集する企画『#だからひとりが好き』を始めました。
学校や職場などでみんなと一緒でなければいけないという同調圧力に悩んだり、過度にみんなとつながろうとして疲弊したり...。繋がることが奨励され、ひとりで過ごす人は「ぼっち」「非リア」などという言葉とともに、否定的なイメージで語られる風潮もあります。
企画ではみんなと過ごすことと同様に、ひとりで過ごす大切さ(と楽しさ)を伝えていきます。
読者との双方向コミュニケーションを通して「ひとりを肯定する社会」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
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