こんにちは、木曜日担当のPlus Action for Children 高畑です。
息子たちには、自立できる力を身につけて欲しい、そんな思いを日頃から抱いています。
以前は、私たち親のサポートが無くても生きていける、困らない、そんな風に考えていました。
あるとき、熊谷晋一郎さんのインタビュー記事、
「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」(TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行))
を目にし、はっとさせられました。
「実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。」
私は、誰にも頼らない、一人でも生きていけることが「自立」だと考えていましたから、もう、頭をガツン!とやられたような、そんな感覚でした。
自分自身のことを改めて考えると、なるほど、多くの依存先にサポートされながら生活しているんだと実感します。
そのサポートが受けられない、受けにくい状態に陥った方が生き難さを感じるのだと考えられるようになりました。
どのような状況に立たされても、複数の依存先を確保できる、サポートを受けられる社会であれば、私たちはそのような状況に立たされることを必要以上に恐れることなく、安心して社会生活を営むことができます。
自立が、何にも依存しないことではなく、多くの依存先を確保できることであるならば、特定の困難な状況に陥った人たちだけではなく、誰もが多くの依存先を確保する、サポートを受けられる社会であることが望まれます。
その中で、依存先が限定され、又は失ってしまい、サポートを受けることが困難な状況の方が生じたのなら、その方々が依存できる依存先を新たに提供できれば良いのですよね。
明石市の泉房穂市長のインタビュー記事
「「子どもの貧困対策をするつもりはない」と 対策先進市・明石市長が言う理由」(Yahoo!JAPANニュース2016年7月20日 9時54分配信)
では、明石市の行政サービスの姿勢が明らかにされています。
「なので、児童手当を該当する市民に行き渡らせようとすれば、またその機会を活用してご家庭のお困りごとを解決していこうとすれば、結果的にそこで浮かび上がってくるのは貧困家庭の子どもたちだったりするわけですが、それは結果であって、その子たちに向けてサービスをしているわけではない。
すべての子どもたちが対象です。 」
とあるように、全ての子どもたちにサポートを提供する、結果としてそこに困難な状況にいる子どもたちの存在が浮かび上がってくるので、その子たちに向けてサポートを提供する、ということなのですね。
自立と依存を対義関係と捉えるのではなく、膨大な依存を得られる状態が自立だと考えれば、誰もがどのような状況に置かれても依存先を複数確保できるようにすることが、誰もが自立した生活を送れる社会なのだということになります。
そして、依存先が限られ何らかのサポートを必要としている方が居たとすれば、それはその方の問題なのではなく、依存先を提供できていない社会の問題なのですよね。
私も何らかの事由で依存先を失う、サポートを受けられない、受けにくいという状態になることは十分に有り得ます。
どのような状況にあっても、十分なサポートを受けられるようであれば、安心して生きていくことができます。
自分が自覚せずに受けている膨大なサポートの存在を自覚し、そのサポートが不足していることで困難な状況にある人たちに十分なサポートが提供されるような社会となるように、これからも活動を続けていこうと思っています。
そして、息子たちには、私たち親だけではなく、社会の中に広く数多くの依存先を確保でき、自立できるような大人になれるように、アドバイスを送り続けたいと思います。
(2016年7月28日 「ムコネットTwinkle Days 命耀ける毎日」より転載)