「移民や難民の人たちとサッカーをする大会があるんだけど、よかったら取材に来ない?」
友人からの誘いにふたつ返事で頷いて、埼玉県浦和市のサッカー場に足を運んだ。
当日は雲ひとつない快晴。会場に着くと、木陰でくつろいでいる人たちの姿が見える。
「あそこにいるのは在日ロヒンギャ民族の方々です。他の参加者もそろそろ集まってくるはずですよ」
そう教えてくれたのは、大会を主催している「一般社団法人Seeds」の代表、西野恭平さん。
この日の大会には、在日クルド人や在日ロヒンギャ民族の参加者をはじめ、計9国籍、70人が参加するというから驚きだ。
芝生にゆったりと腰を下ろし、活動の経緯や意義などを聞いた。
医師なのに、サッカーで「つながりの総量」を増やす?
ーー今日はよろしくお願いします。早速ですが、Seedsの活動や西野さんについて教えてください。
Seedsは「サッカーで、世界とつながる」を目的とした団体です。僕は医師として医療系NGOsや国際機関での活動を通して、世界各地の医療の現場、例えば難民キャンプや紛争の起きている地域、貧困地域などを見てきました。どの活動にも同じ熱量で臨んでいるので、Seedsも医療も本業です。
大きな問題を抱えた地域でいつも感じていたのは、「なぜ同じような問題が世界にあり続けるのだろう」ということでした。もちろん、地域ごとに複雑な背景があるのですが、偏見や差別、そして分断の根底にあるものは人同士のつながりの欠如だと思うんです。
そこで「何かできないか」と考えたときに思い浮かんだのが、サッカーでした。自分が幼い頃からサッカーをやっていたということと、サッカーを通して国籍や言語、宗教を超えて交流をしてきた経験があったので、そこをヒントに社会課題の根っこにアプローチし、つながりの総量を増やせるのではないかと考えました。
今日これから開催する「Beyond borders CUP」は国内でのイベントですが、元々は日本の子どもたちと海外へ行って、現地の子どもたちとサッカーをして人と人のつながりを築いた上で、その地域を知るという活動が始まりです。去年はカンボジアへ行き、今年はネパールへの遠征を計画しています。
ーーサッカーは目標ではなく、ツールということでしょうか。
はい。サッカーという共通言語を通して、人と人のつながり、そして世界とのつながりを築いてほしいと思っています。
一緒にご飯を食べて、ホームステイをして、ゴミ山やスラム街などの社会課題を自分の目で見る。実際に訪れることで、「遠く離れた外国」ではなく「自分の友達の国」だと思えるようになれば、移民や難民の人たちのことも、社会のことも、もっと自分ごととして考えられると信じています。それに、幼いうちから「自分たちが生きている社会って、世界のごく一部なんだ」と体感できることは、視野を広げたり、想像力を育んだりする上で大きな財産にもなります。
メディアからの情報を受け取ったり、講演での話を聞いたりすることも大切ですが、情報が発信者を通している以上、どうしてもフィルターがかかってしまいますよね。なので、誰の言葉も介さず、ただ生で見て、感じて、その先で自分を主語にした会話ができる人になってくれたらいいなという希望も込めています。
旅先で同じものを見て違う感想や視点が聞こえてくるのも面白さですし、何より頭ではなく心に残る体験になっているように思います。
子供から大人への「リバースエデュケーション」
ーー活動をしていて、特に印象的だったことや学びについて教えてください。
いつも「うわ!すごい!」と驚くのは、子どもたちの打ち解ける速さですね。一緒にサッカーをする前はもじもじとして、まともに挨拶もできないくらいに緊張していた子でも、相手チームの子たちと一緒にボールを蹴り始めたら、すとんっとその緊張が取れることに感動します。
途上国をはじめとした、外国の子どもたちと一緒に日本の子どもたちがサッカーをする。最初はそうした「交流」に着目していたのですが、いざそういった光景を見ていると「文化や国籍、人種や民族が違う同士だけど、一緒にサッカーで交流しよう」という感じではなくて、ただ“同じ”子どもたちが無心に同じことを楽しんでいるだけなんだと気付かされます。
外国人と日本人、先進国と途上国など、無意識のうちに自分でも隔てて考えすぎていたように思えて、とても反省しました。そういう意味で、この活動は子どもから大人へのリバースエデュケーションとしての側面もあると思っています。
ーー今日のイベントには、大人の参加者もたくさんいらっしゃいますね。
はい。今日の大会はどんな世代の人たちでも参加できて、飛び入り参加も大歓迎です。サッカーでつながると言っても、やっぱりある程度の真剣味があると時間が濃密になるので、勝負として成り立つように、小・中学生の部と、大人の部に分けているんです。
これは少し余談になるんですけど、大人が特に子供の前で全力で楽しんだり、恥をかいたりする場所があるのも良いですよね。
大人がつまらなそうにしてる国より、ワクワクしてる国の方が、子どもたちも希望が持てるじゃないですか。日本の大人たちは仕事で忙しい人が多いですが、サッカーに限らず、もっと“遊びの場”に足を運んでみてほしいですね。
「ブラックフェイス」や「〇〇難民」の裏側にあるもの
ーー元々は日本の子どもたちと海外へ行ってサッカーや交流をすることが主な活動だったとのことですが、今回のような、日本でのイベントを始めた背景にはどのようなものがあるのでしょうか?
日本への「残念」という気持ちが大きかったのかもしれません。
僕は以前、ロンドンやジュネーブに住んでいました。そこでは国籍や肌の色や髪が違うことは当たり前だったのですが、日本に帰ってきてみると、そこには「日本人」と「そうじゃない人」という雰囲気を強く感じました。
母語や文化、肌の色などが違うだけで、日本に住んでいるのに仲間として認められていない、またはいないことにされてしまうことさえある。偏見も多く、いかに横のつながりができていないかを痛感したんです。
ーー確かに、ブラックルーツの人を模倣して肌を黒く塗る「ブラックフェイス」や「〇〇難民」といった軽率な言葉の浸透など、多様性へのリテラシーが欠けているのを強く感じます。
はい。それは社会の仕組みも大きく関係していると思っています。入管施設で人が亡くなったり、先進国の中で最も難民認定率が低かったり、整った制度がない中で外国出身の人が労働力としてばかり必要とされたり、明らかに排他的な方向に日本社会が動いている。そんな状況下では、多様性への感度が鈍ってしまうのも無理はありません。
今日の参加者の中には、クルド人や、難民認定を受けている人もいます。ただでさえ外国籍の人が守ってもらいにくい社会なのに、現地のコミュニティとのつながりがないって、すごく寂しいですし、心細いじゃないですか。そこで、そういった閉鎖的な社会への違和感に、子どもたちが気づいてくれたらと思い、日本でも今回のようなイベントを定期的に開催するようになりました。
移民や難民と聞くと、遠くのことのように感じる人も多いですが、すでに日本にある多様性を知るということは、とても大切なことです。外国人や移民、難民である前に、未来を担う子ども同士が友達になれば「自分の友達が国籍を持てないのはなんでだろう」「仮放免って何だろう?なぜ仕事をしてはいけないの?」というピュアな疑問につながっていく。そういった違和感を出発点に、時間はかかっても温かい国にしていきたいんです。
ーーまさに未来への種(Seeds)まき、ですね。
はい。プロジェクトを通して何を学び、何を感じるかは参加者それぞれです。そして、その経験に対する解釈や解像度も時を経るにつれて変わってくると思います。
Seedsでの経験が参加者一人一人にとっての種となり、5年、10年という期間を経て、芽を出し、この世界を温かく彩る自分なりの花を咲かせる機会になればいいなと願っています。
「問いの主語」を変えて、社会を考える
ーー西野さんは、日本の学校で講演をされることもあるそうですね。
はい。僕は中学校などで、難民問題についてお話しなどもしています。
難民問題について子どもたちが最も驚くのは、難民キャンプなどでの過酷な生活ではなく「日本が難民をほとんど受け入れていない」ということです。難民問題は「外国の問題」だと思っている子が多いんですね。「何かしたい」という子は多いけれど、日本での難民認定率の低さや閉鎖的な社会の姿勢についてはあまり知られていないんです。
しかしそのショックは彼らにとって「今の日本が自分の期待とは違う」という証拠だと思います。その事実に向き合うことで「日本は」ではなく「自分は」何をすべきだろうか?と問いの主語を変えて考えることができるようになると思います。最初の種をまく瞬間ですね。訪問先で出会ったサッカー部の生徒が、イベントに参加してくれることもあるんですよ。
Seedsの考えに賛同してくれる大人たちがいるということも、大きな希望です。
自分の子どもたちが外国で、見知らぬ人たちとサッカーをすることに対して「危なそうで行かせられない」「それでサッカーが上手くなるわけじゃないでしょ」と考える人もいると思います。
しかし、活動の意義を理解して、子どもたちを応援してくれる人もいるからこそ、今の活動が成り立っています。
そういった人たちとのつながりも大切にしながら、今後も多様で温かい日本に向けて、長期的な種まきを続けていきます。
・・・
取材の途中、何度か西野さんの電話が鳴り「電車が止まって大遅刻になりそう」「急遽このメンバーたちが全員出られなくなっちゃった」と参加者たちからの緊急連絡が届いた。しかし、西村さんの柔らかい口調がその音色を変えることはなく、「あらら、困ったねぇ」「大丈夫大丈夫。気をつけて来るんだよ」と温厚な返答が電話の先へと届けられていく。
筆者が「大変ですね。オンラインで取材を改めることも可能ですよ」と声をかけると、「いえ、大変じゃないですよ。死ぬわけじゃないので(笑)」と爽やかに一蹴し、「むしろ待たせてしまって、すみません。せっかく来てくれたんですから、もう少しお話ししましょう」と真摯に言葉を紡いでくれた。
国籍や言語、世代を超えて、多くの人が西野さんの元に集まってくるのは、第一に西野さん自身が温かく素敵な“人間”であるからなのだと強く感じた瞬間だった。
「じゃあ始めましょうか!サッカーやる人は集まってくださ〜い!」
取材後、照りつける真夏の日差しの中、西野さんの掛け声と共に、サッカーフィールドでの“会話”が始まった。