気候危機に対して、最先端のマルクス研究をもとに切り込んだ「人新世の『資本論』」(集英社新書)が16万部を突破した。
筆者は、大阪市立大学大学院准教授の斎藤幸平さん。
環境活動家のグレタ トゥーンベリさんの訴えに対する「応答」として本を書いたという。
この本は、環境保護や貧困対策などをめざすSDGsで満足してしまうのは「ごまかしだ」と主張している。もっと大胆なシステムの変革が必要だ、と。インタビューをした。
SDGsで”やったフリ”に警鐘
ーー「SDGsは大衆のアヘンです」「ごまかしだ」と主張されています。
様々な企業が「SDGs」「SDGs」と連呼しています。
持続可能な社会に向けて考えるきっかけになる面があるとはいえ、弊害のほうが大きいと私は考えています。
なぜなら、企業は活動のごく一部をSDGsと呼べば許されてしまうからです。消費者もそうした企業の商品を選びさえすれば、「それでいいや」となる。
ーー安心してしまうということですか?
ええ、企業はSDGsをPRに使っているだけだし、消費者もSDGsっぽい「別の物」を買って、エシカルであるという新しい意味を付与して満足するだけです。
真の問題は、経済システムそのものに横たわっているということに気付かないといけません。
マイバッグやマイボトルでは、環境問題の根本解決にはならない。
巷の「SDGs」や「エシカル」という言葉は、システムを変えないで済むための「免罪符」なのです。
グレタ トゥーンベリさん「気候ではなく、システムを変えろ」の意味
ーーでは、何をしたら良いのですか。「システムを変える」というのは壮大すぎます。
際限なく利潤を生むための運動をする、資本主義というシステムそのものに挑む必要があります。資本主義が気候変動を悪化させた犯人ですから。
ソ連を目指せというつもりは毛頭ありませんが、ソ連崩壊以降、「資本主義ではないシステム」は存在しないという意識が、蔓延するようになり、新しい社会を想像する力が失われました。
しかし、欧米の若者たちが新しい動きを見せています。
たとえば、(スウェーデンの環境活動家の)グレタ トゥーンベリさんは「System change, Not climate change=気候ではなくて、システムを変えろ」という明確なスローガンを出していますよね。
彼女が求めているシステム・チェンジとは、資本主義そのものを変えろ、ということです。
彼女は飛行機に乗りませんよね。
そんな彼女に対して、「飛行機に一切乗るなと言うのか」「私たちには無理だ」と批判する人がいます。
しかし、彼女の狙いは、飛行機に乗らないことがいかに難しいことなのかを、みんなに気がついてもらいたいということではないでしょうか。
つまり個人の選択が及ばないほどシステムそのものがおかしくなっている。それに向き合わない限りは、ただ時間だけ過ぎ去っていってしまう。
気候変動を一刻も早く止めなくてはならないのにもかかわらず、です。だから、グレタさんはあれほど真剣に「システム・チェンジ」を訴えているのです。
——グレタ トゥーンベリさんに対しては「過激で、非現実的な若者」という意見もあります。
僕も子どもがいるのでよく分かるのですが、小さい子どもたちも含め若い世代の視点で気候変動を見ると、それは生存を脅かす危機ですから、現実の恐怖です。
気候変動の影響で居住地を失う難民の数は億単位になると推計され、国際秩序はきわめて不安定になる。
農業や漁業にも大きな害が予想され、食糧危機が起こるでしょう。年間27兆ドルの経済的損失が出るという試算もあります。
だから、欧米では、若い人たちが主体的に運動に参加して社会を変えようとしている。
メディアが「煽っている」のではなく、自分たちの問題として考えているからこそ、グレタさんに共感し、行動しているのです。
僕自身も、マルクス研究をやっている人間として、グレタさんの活動には応答したいと感じました。
それで書き上げたのが、資本主義が環境危機の原因であることを示し、資本主義から脱することが必要だと訴えた『人新世の「資本論」』です。
冷笑系が見過ごす、リアルで深刻な現実を受け止めざるを得ない世代
ーーなぜ価値観は変わってきているのですか。
2008年のリーマンショックが大きいですね。多くの人たちが失業し、日本でも派遣村が話題になりました。
僕のようなミレニアル世代や下のZ世代は、「失われた30年」しか知らず、高度成長期の記憶などありません。
ミレニアル世代は、生涯年収が上の世代よりも低くなる、はじめての世代だとも言われています。
若い世代は、学生ローンを抱えて社会に出ても、不安定な雇用しかない。そのうえ、気候変動も加わって、地球環境はめちゃくちゃになる。
そりゃ、価値観も変わりますよ。
それが可視化されるようになったのが、2010年代でした。ニューヨークの「ウォール街占拠運動」、スペインの「15M運動」など、世界のあちこちで資本主義や新自由主義に疑問を投げかける運動が続きました。
2016年にはアメリカでサンダース旋風がまきおこり、2019年にはグレタさんたちの運動も世界中に広がりました。
こんなふうに資本主義への抗議の声が広がっている。
日本だと、僕よりちょっと上の40代の世代に冷笑系の方が多いですよね。「気候危機って言ったって、どうしようもないんだよ。人間なんだから、欲望にまみれていて当然。資本主義で行くしかないだし」みたいな。
けれども、地球環境が壊れてしまうという危機から逃げ切れない若い世代にとっては、資本主義の引き起こした気候変動は、リアルで深刻な問題なのです。
都合の良い言葉「資本主義のチューニング」
——システム変革の話に戻ります。たとえば環境負荷が高い製品に税金をかければ、企業は変わります。今の資本主義を「チューニングする」のでは、だめでしょうか。
今おっしゃった「資本主義のチューニング」は、今の大人の世代にとっては都合がいいんですよ。SDGsを唱えて良い気になっているのと同じで、自分も社会も変わらなくてすむわけですから。
多くの科学者が言うように、2050年よりも早く脱炭素社会を実現しないといけないのであれば、今日のこの段階で、すでに相当早いペースでの削減をしていなければなりません。
市場のインセンティブに任せていたら間に合わない。石炭火力やガソリン車販売に対しては、国家による禁止措置も必要です。これは市場原理主義とは対極の「計画経済」です。
2050年までの脱炭素化に向けた30年の1年1年は非常に貴重です。
それでも、資本社会は経済成長したいわけですよ。けれども、『人新世の「資本論」』で詳しく論じたように、経済規模が大きくなれば、エネルギーも資源も使うことになります。だから、本気で気候危機に挑むなら、経済成長をスローダウン、スケールダウンさせていく道を探るべきです。
もちろんグローバルな公平性を考えれば、発展途上国の経済成長は認めなくてはなりません。
その余地を残すためにも、先進国は、意識的にスローダウンしていくことをますます考えないといけないのです。
その際、先ほど述べたような若い世代の意識変革は、大きな希望です。彼らは、資本主義システムの負の側面ばかり見て育っているので、「資本主義ではない、別の仕組みを試しても良いのでは」という意識が強い。
あとに回すほどひどい痛み伴うツケとは
——やはり資本主義ではだめですか。
資本主義を続ければ、地球の大部分は人間が住めない環境になるでしょう。
すでに、人類の経済活動が地球を壊す「人新世」の時代に突入しているのです。
今の僕たちは、便利な暮らしをしています。だけど、まさにその便利さは、将来の世代の繁栄の条件を破壊しているし、現在でも途上国からの収奪のうえに成り立っているものです。
だから、本気でSDGsを掲げるのであれば、先進国は非常に大きな決断をする必要があります。
電気自動車に乗り換えたり、再生可能エネルギーを増やしたりするだけでは不十分ということです。
もし2050年までに脱炭素社会を実現させたとしても、グローバルな不公正さが残ったままでいいのか。そうではないですよね。
事実、各国のあいだで資源争奪戦はすでに加熱していますが、今後さらに激化する可能性があります。それは、公正な社会とはかけ離れたものになるでしょう。
——企業が膨張するからこそ社会は豊かになり、雇用も生まれるのでは。
それは、典型的なトリクルダウンの考え方ですね。
でも、トリクルダウンの成果なんて、この間少しでもあったでしょうか?
トリクルダウンで豊かになんてなっていないですよね。
グリーン・ニューディールが進めば、電気自動車や再生可能エネルギーの需要が増えて企業は儲かりますが、電気自動車や太陽光パネルを作るために、相変わらず満員電車にのって通勤し、残業をして広告を作成し、業績に追われてストレスをため、趣味や社交の時間を犠牲にしたいですか?
消費主義ではない、もっと別の豊かさの可能性もあるはずです。労働時間を減らすなど「もっと別の転換」をするのです。
こうしたシステムの変更は今すぐ、やった方がいい。
あとから、やろうとすればするほど、ますます短い時間で脱炭素社会への移行を成し遂げなきゃいけなくなります。そうなったとき、もっと強制的で、今よりずっとひどい痛みを伴います。
今、システムの変更に取り組めば、まだぎりぎり間に合います。
もちろん、最初は痛みが伴うし、今までの企業のやり方と違うことをしないといけなくなりますが、だけど、今のやり方にすがりつくと、ますますつらくなる。
ただ、逆にいったん移行さえしてしまえば、「結構悪くなかったね」と振り返ることのできる社会が待っているんじゃないか、と僕は希望を持っています。
「市民の手」で変わるシステム転換が鍵
——我慢が続く「息苦しい社会」にならないのでしょうか。具体的なイメージは。
もっとスローダウンして、週20〜25時間しか働かないようにする。コンビニやファストフードも全国で24時間あけておく必要はありません。
もちろんちょっと不便になる。ただ、その分、他のことを人間は楽しめるようになるはずです。読書や自炊、家族や友人との時間も増えます。
サイクリングをするかもしれませんし、公園でフットサルをしたり、キャンプに行くようになるかもしれません。
東京から大阪にリニアで日帰り出張したり、ニューヨークへの3日間の出張のためだけに飛行機を使ったりするのではなく、Zoomで会議をすれば良い。
こうした「転換」ができる余地はまだあります。しかも、それは生活の質の改善を伴うものです。
「やったふり」程度の対策だけでこのまま何もしなければ、気候危機はどうしようもなくなる。
そのときは、旧ソ連や中国のような、権威主義的な政治体制を敷いて、無理矢理「環境シフト」せざるを得なくなる。そのとき犠牲になるのは民主主義です。
しかし、今から「転換」を始めれば、市民の手で、民主的な形で――部分的には国家や企業の力も借りながら――より「豊かな」社会へと跳躍ができるのではないでしょうか。
>>>後編に続く(「マルクス」を読み解くことで、私たちはどこまで資本主義「以外」を想像できるのか、というテーマになります)
プロフィール
斎藤幸平さん 1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。専門は経済思想、社会思想。「ドイッチャー記念賞」を日本人で初めて、歴代最年少で受賞。