「子どもを主語に変えたら、本当に変わります」
「『先生のいうことを聞かない子どもがいて先生が困っている』じゃなく、『子どもが困っている』」
大阪の大空小学校初代校長、木村泰子さんはそう語る。
みんなと同じ「ふつう」でいることに生きづらさを感じている子どもたちは多い。発達障害児や不登校児は増え、若者の自殺が社会問題となっている。
一方で、映画『みんなの学校』の舞台となった大空小学校は、発達障害と診断された子や不登校だった子など、さまざまな問題を抱えた子どもたちがともに学び合い、元気に卒業していく。
子どもたちの学びに、親や先生や地域はどう向き合えばいいのだろう?
教育改革、大切なポイントは何だろう?
『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』を著した木村さんに、前編に続いて話を聞いた。
保護者は子どものために立ち上がった
――映画『みんなの学校』や木村さんの本に影響を受けて、「うちの学校も変えていきたい」と思う教師や、「子どもが通う学校も変わってほしい」と思う親は多いと思います。まず何から始めればいいのでしょうか。
「自分に何ができるかな」って、自分事として考えて動かないと何もはじまらないんですよ。
他人事を自分事にできる大人がいる学校は変わりはじめています。
講演会の最後にいつも伝えているのは、「校長先生、大空みたいにやってよ」、「あんな校長みたいになってよ」と言ったら全部つぶれるよ、ということです。
だって比較したら、「大空はできるのにうちはできない」という否定や批判がはじまるじゃないですか。そうして校長がダメ、学校がダメとか言っている間は、誰一人困った子どもを守れませんからね。
――たとえば、どんな取り組みをはじめているのでしょうか。
ある学校はまず保護者が変わりました。その学校は閉鎖的で、しんどい子がどんどん不登校になっていくのを問題視した保護者たちから、何回か講演に呼ばれたんです。
そしてどうしたらいいか作戦を考えていた保護者のリーダー的なお母さんがPTA会長になりました。
それから学校の空いている教室をひとつ、PTA専用の部屋として使わせてもらうことにして、ピンクのエプロンつけたお母ちゃんたちが、「困ってる子はみんなここへおいで」と声をかけはじめた。
そしたら、学校に行けなかった子どもたちが、その部屋に来はじめて、一緒に給食を食べられるようになったそうです。
――学校を変えることは難しくても、「みんなの部屋」だったら作ることができるかもしれない。
校長や学校がどうであれ、保護者が自分の子どもを育てたかったら、「自分の子どもの周りにいる子ども」を育てることが先決です。
その中で困っている子を探して、ちょっとでも困りごとをなくせるように関わっていく。そういう大人が子どもたちの身近にいることが、結果的に自分の子育てにもつながっていくんです。
子どもはみんな弱者です。貧困、障害、不登校、虐待、いじめなど、さまざまな課題が学校にはありますが、すべての子どもが何らかの困り感を抱えているのが今の社会。
子どもは自分で生きていけませんから、大人の前ではみんな弱者なんですよ。
ところが今は親が(虐待などで)子どもを殺す時代です。これは裏返したら、親だけが子どもを育てる時代ではなくなった、ということ。地域の大人が、地域の宝である子どもを育てる時代が求められているのです。
――大空小は、誰でも出入り自由でとても開放的な雰囲気です。一方、防犯のため門や玄関の鍵がかかっている学校もあります。まず地域住民の受け入れシステムを考える必要がありそうですが……。
そんなことを言ってたら、みんなの学校はつくれません。
学校が受け入れシステムを作るとか、地域住民が学校に受け入れてくださいとか、そんな上下関係をつくること自体、過去の悪しき慣習を引きずっているんです。
公立の学校は税金でまかなわれているパブリックな場所ですから、地域の学校は地域住民のものです。学校が地域住民に対して「ノー」と言える立場はどこにもない。
「地域の人、手伝ってください」というような「ギブアンドテイク」の関係は必ずゴールが来てしまいますから、お互い「ウィン・ウィン」の関係であるべきなんです。そういうふうに子どもの周りの大人が自分の考えを持たなければいけない。
防犯について言えば、大阪市に300校ある小学校を、大阪府警が毎年1回セキュリティチェックして回るんです。その大阪府警の担当者が、「300校のなかで不審者が一番入りにくいのは大空や」って言ってました。
なぜかというと、大空小にはいつも大人がウヨウヨいるから。人の出入りが多い学校は不審者が入りにくいそうです。
子どもと親を救うためにできること
――虐待などで苦しんでいる子どもは、親も貧困などの問題を抱えていたりするケースも多いです。大空小は、そういう大人のセーフティネットにもなっていると感じました。
大空小に転校してきたある男の子は、風呂にも入れず、ご飯も食べさせてもらえない家庭環境でした。
民生委員さんたちは最初の頃、「あの母親に問題がある」と言っていた。その母親は道を歩いていると周りをにらむから、人が遠ざかるんですよ。
でもなんでにらむと思う? 大事なのはそこでしょう? 人を憎み、社会を恨みながら、つっぱっていないと生きられへん理由があるんです。
だからまず私は、母親にアタックして心を開いてもらおうと思いました。
そうして少し信頼関係ができた頃、その母親は「学校さえなければもっとマシな人間になっていたと思う」と話してくれました。
なぜなら、子どもの頃、学校に通えないほど複雑な家庭環境だったため、やむをえず給食だけ食べに行って、周りの生徒たちに「給食泥棒」と言われても生きるために我慢していたから。
ところがある日、担任に見つかり、「勉強もしないヤツは給食を食べる資格はないから帰れ」と言われて、そこから給食も食べに行けなくなってしまった……。
そんな過去があったことを語ってくれたのです。
――どれほど大変だったことか……。
子ども時代にそんな過酷な経験を余儀なくされた母親に、学校は「あやまる」こと以外に何ができるでしょうか。
見た目はどんなに怖くて近寄りがたくても、見えないところを見ようとすると人と人はつながる。そのことを、私はこの両親から学びました。
子どもも同じです。「問題児」と言われる子どもたちはみんな、大人を信頼できない環境に置かれています。
親でも教職員でもない、斜めの関係の大人が、困っている子どものそばにそっと寄り添える。そんな地域の大人が増えてほしいです。
子どもの自殺が増加している
――現実には、文科省の統計にあるように、子どもたちの不登校は増えています。
不登校だけでなく自殺する子どもも増えています。子どもだけでなく、神戸の東須磨小学校みたいに、先生が先生をいじめる問題まで起きていますからね。
日本全体の自殺者数は減っているのに、子どもの自殺は増えている。事故死として判定しているケースも多いから、それも含めたらすごい数ですよ。
――日本の若い世代の死因1位は自殺。なぜこのような状況になっているのでしょうか。
教育現場にいる人を苦しめている原因の一つは、全国学力調査の競争だと思います。平均正答率をあげることが学校の教育目標になっていますから。
大阪市は、「学力調査の結果を上げたら校長の給料を上げる」という驚くべき発言を当時の市のリーダーがマスコミを通して表明しています。
それが、先生も子どももすべてテストの点数でしか評価されない構造を生み出しているといっても過言ではない教育現場の悪しき空気をつくり出しているのではないでしょうか。
「子ども」を主語にすれば教育は変わる
――教育現場の主語を「先生」「親」から「子ども」に変えることで、何をしたらいいかが明確になり、事態が好転する話にもハッとさせられました。
子どもを主語に変えたら本当に変わります。
「先生のいうことを聞かない子どもがいて先生が困っている」じゃなく、「子どもが困っている」。
「先生がどうしたいか?」じゃなく「困っている子どもたちがどうしたいか?」を考える。
公立の学校の目的は、地域の学校に通うすべての子どもが、安心して学べる環境をつくることですから、その目的を果たすためにあらゆる手段を考えました。
そうしたら、先生一人で対応できないことは人の力を活用しよう。校長の出番だ。その子のことを知っている地域のおばちゃんやおじちゃんの力も活用しようと、次から次にアイデアがあふれてきたんです。
そうして、すべての子どもが、地域の学校に「ふつう」に通えるようになりました。
大切なのは、子どもを変えようとするのではなく、大人の自分たちが変わること。そうすれば、子どもだけでなく教職員も保護者も地域の人も、みんなが安心して学び合える空気ができます。
そこから豊かなものが生まれてくるんです。これこそが本当の学びです。
この学びが、10年後の多様な共生社会で生きて働く力になるんですよ。
※木村葉子さんの新刊『「ふつうの子」なんてどこにもいない』が発売中です。
(取材・文:樺山美夏 編集:笹川かおり)