こんにちは。小幡和輝です。
今日は9月1日。1年間で最も子どもの自殺が増えると言われている日です。そのことを7月21日のブログに記載したところ、ある人からこんなコメントをいただきました。
「実は僕、小中高といじめられていたんです。ツラい想いをしながら毎日通っていました。でも、あのときの経験があったからこそ今の自分がいるような気もしていて......なんかうまく説明できないので、よかったら一度お話ししませんか?」
僕に声をかけてくれたのは、面白法人カヤックの加勇田雄介(かゆだゆうすけ)さん。
加勇田さんは不登校ではありませんでしたが、小中高といじめに遭い、深く心が傷ついたそうです。しかし「今振り返ってみると「いじめられていた」というコンプレックスがあったからこそ、今、全身全霊を捧げられる仕事と出会えた」と話します。
これは、一体どういうことなのでしょうか?
そこで今回は、加勇田さんをお招きして行なった対談の様子をレポートさせていただきます。僕ら二人の言葉が、学校生活に悩んでいるみなさんの元に届くことを願って。
【対談相手のプロフィール】
加勇田雄介|かゆだゆうすけ
「企画=(柳原可奈子+池上彰)÷2」をモットーに、前職では、スポーツメーカーでありながら「PCスーツ」「正しいサボり方研修」を仕掛け、ランニングタイツの企業の福利厚生での導入、ヨドバシカメラなど家電量販店での展開を促進。2016年5月にカヤックへ移籍。会社の活動そのものを「コンテンツ」と捉え、編集の考え方を拡張して、会社をつくることを目指す「編集部」所属
いじめからは逃げていい
小幡:
今日はよろしくお願いいたします。僕は、学校に行った時間よりも学校に行かなかった時間のほうが長い人間なんですけど...加勇田さんはどんな小中高時代を過ごしてきたんですか?
加勇田:
ドラマであるようなトイレに入っていたら水をぶっかけられたり、上履きに画鋲を入れられたり...ってことはなかったんですけど、無視されることが多かったですね。"ここにはいない人"にされたというか。
たとえば、修学旅行だと自由行動のときにグループをつくるじゃないですか。でも、誰も僕に声をかけてくれない。かといって、僕からも声をかけられない。"いい子"を装うのが上手な同級生が空気を察して入れてくれるんですけど、僕がいじめられていることを先生に知られたくないからなんですよね。僕も自分が貧乏くじだと気づいているから、グループの他のメンバーが楽しめるように気配を消してついていっていました。
何がきっかけだったかは全く思い出せないんですよね。突如としてそういう雰囲気になってしまった。
小幡:
中学校とかは特に、教室の空気が毎日のように変わりますからね...。流行りも3日くらいで廃れてしまう。だから、いじめも急に始まるんですよね。
僕は、物理的ないじめに遭っていましたね。
幼稚園のはじめくらいから小学校2年くらいまではちょこちょこ休んでいて、それからはほとんど行ってなかったんです。クラスに馴染めなかったし、集団行動は苦手だし、勉強もおもしろくなくて、学校自体好きじゃなかったので。
僕の実家がある湯浅町は人口1万人くらいで学区のコミュニティーも小さいので「小幡が不登校」という情報はあっという間に広がるんですよ。ただ、学校へ行かないと目立つ。親からも「行きなさい」って言われて。それで、学校へ行ったときに隣のクラスのいじめっ子にいきなり殴られました。
たぶん、ある種の嫉妬はあったと思うんですよ。「俺が毎日通っているのに、なぜ小幡はたまにでいいんだ」って。本当に理不尽だと思いましたね。
加勇田:
それもツラいですね...。どっちもツラい...。
小幡:
ただ、僕は殴られたことで学校へ行かない明確な理由ができた。これは、親にとっても大きい出来事だったと思います。学校でも問題になったし。
加勇田:
話を聞いていてすごいと思ったのは、小幡さんが"逃げる勇気"を持てたことだと思います。僕の場合は、逃げる勇気がなかった。「不登校=いけないこと」という先入観が強くて、内申書を気にして、たとえば修学旅行に行かないというカードを切ることもできなかった。もし当時の自分に声をかけられるのなら「そこから逃げていいんだよ」と教えてあげたいですね。
小幡:
僕は、適応指導教室という学校以外に居場所があったから逃げることができたんですよね。学校よりも楽しかったし。もし「学校へ行く」という選択肢しかなかったらツラかったと思います。ブラック企業からいかに脱するかという話にも似ているんですけど、「最悪辞めちゃえばいいや」と思えたら、途端に気持ちがラクになるんですよ。今、過去に不登校だった人とたくさん話すんですけど、他に居場所がある人とそうでない人は違いますね。
だから僕は、適応指導教室にはすごい感謝をしています。以前は自治体の予算でやっていたんですけど一度潰れてしまい、今はそのときの職員がNPOでやっているんですよ。「ここを潰すのはダメだ」って。あらためてすごいなって思います。
加勇田:
確かに、僕には学校以外の居場所はなかったですね。どうすれば"第二の居場所"ってつくることができるんですか?
小幡:
僕は小学校低学年だったから親の協力は欠かせませんでしたね。今なら、SNSを活用すれば何かしら見つかりそうな気がしますけどね。
コンプレックスをさらけ出すと世界は広がる
小幡:
加勇田さんは「いじめられた過去があったからこそ、今の自分がいる」と話されていましたね。詳しく教えてください。
加勇田:
教室にいても空気みたいに扱われていて、声もかけられないし、自分から声をかける勇気もないって子どもだったんですけど、今の仕事にはそのときの経験が役立っているんですよね。今は面白法人カヤックという会社で戦略PRという仕事をしているんですけど、たとえば、誰かに「どんな仕事をされているんですか?」って聞かれたときは「職業はマツコ・デラックスです」と答えているんです。
小幡:
え???
加勇田:
...ってなるじゃないですか(笑)。でも、そうやって気にしてもらえたり、興味を持ってもらうきっかけをつくることが、今の仕事なんです。
つまり、学生時代に声をかけてもらうことがなかったから、「どうすれば声をかけられるのか、興味をもってもらえるのか」を考えることが好きになった。
僕は、自分にしかできないことってコンプレックスのすぐそばにあると思うんですよね。戦略PRの仕事って、ざっくり話すと概念をつくることなんです。たとえば「スイーツ男子」という言葉ができる前って「甘いものが大好きです」って表立って言う男の人って少なかったと思うんです。でも、新しい概念ができたことで気軽に言えるようになる。そういう誰かにとって、有利な環境を意図的に整える仕事。
そういう概念ってマイノリティーだった経験、声に出したいけど言い出せないみたいな経験があるとすごくつくりやすいんですよ。そういう仕事に出会えたのは大きいですね。
小幡:
おもしろいですね。どうやって戦略PRの仕事に出会ったんですか?
加勇田:
新卒で入社した1社目の会社である人に教えてもらいました。そのときにコンプレックスをさらけだして立てた企画が世の中に出たんですけど、そのときに「ありがとう」って言われたのがものすごく嬉しくて。そのことがきっかけでハマっていきましたね。今思い出してもしょーもない企画なんですけど(笑)。
だからですね、コンプレックスをさらけ出すと拾ってくれる人っているんですよね。自分にとっては恥ずかしいことかもしれないけれど、発信するとビジネスになり得る。こういう言い方をすると打算的ですけど、成果をドヤ顔で自慢するよりも、コンプレックスをさらけ出したほうが親近感を抱いてもらいやすいんですよね。
小幡:
大賛成ですね。もちろん当時を思い出すとツラいんですけど、今考えるとそのときも含めての自分だと思うし。
たとえば僕は不登校の期間にゲームをトータルで3万時間ほどやっていたんですね。1日8時間で約10年。どの仕事も3年やって一人前みたいな話があるじゃないですか。そういう意味では僕はプロなんですけど(笑)。
こういう話ってネタとしてもおもしろいし、これをきっかけにゲームに関する連載をやらせてもらったり、「ゲームを通じて歴史を学んだ」という実体験をもとに『わかやまトランプ』という和歌山の歴史を絵柄にしたトランプをつくったりしました。引きこもっていたときの経験をさらけ出したことで、いろいろなチャンスをつかめているんですよね。
加勇田:
僕はキャリアっていかに自分に磁力を蓄えられるかだと思っていて。コンプレックスすらもさらけ出せば磁力になるんですよね。今回も「僕、いじめられっ子で...」ってさらけ出したことで実現した対談ですしね。
小幡:
もちろん無理にさらけ出す必要はないです。嫌なら出さなくてもいい。でも、出したほうが確実に世界は広がっていくんですよね。いつからコンプレックスさらけ出せるようになりましたか?
加勇田:
東京へ来てからかもしれませんね。
初めて渋谷に降り立ったとき、隣が表参道、代官山、原宿だったことにものすごく衝撃を受けたんです。文化の異なる街が隣接して成立しているということは、渋谷で変だと思われても、表参道なら受け入れられることもあるような気がしたし、むしろ際立たせていけばブランドになる予感がした。東京だからこそさらけ出せた部分はあったかもしれません。
小幡:
確かに東京は多様性に寛容な街ですよね。
僕の場合は、中学生の頃は不登校のことを隠していたんです。中2で遊戯王の大会に出場したときに「どこの中学?」って聞かれても、普通に学校へ通っているテイで答えていました。たぶん「なんで行かないの?」と言われるのが嫌だったんですよね。
でも、中学を出て夜間学校に入学してから堂々と言えるようになりました。そもそも当事者じゃなくなったし、朝から夕方までバイトして、そのあと学校へ通っていたんで、よその高校生よりがんばっている自負もあったんです。時間が解決してくれる部分はあるかもしれませんね。無理する必要はないんです。
加勇田:
あと、生きていれば「この人になら言っていいかな」って思える人と出会えるんですよね。僕の場合は1社目で戦略PRの仕事を教えてくれた人がそうでした。そういう人ってびっくりするくらい教えてくれたり、考えてくれたりしてくれているから、そういう人のそばにいて自分のタイミングで話せばいいんだと思います。
コンプレックスを武器に変えるきっかけを提供したい
小幡:
加勇田さんは当時の自分に話しかけられるとしたら、何て声をかけますか?
加勇田:
やっぱり「逃げていいよ」ですね。僕は親や先生が絶対だと思っていたんです。だから、いじめられていても"いい子"を装っていたし、学校へ行かないという選択もしなかった。彼らの価値観に合わせて無理をしていたんです。
小幡:
地方だとことさら「学校に行く」という選択以外の「学校に行かない」という選択がそもそもありませんからね。学校に行ってなくても成功している人を知らないから。今の世の中、元不登校の有名人はたくさんいるし、大学を中退して起業ってもはやブランドじゃないですか(笑)。でも、地方だと「え!?」ってなる。サンプル数が違いすぎるんですよね。
僕は学校へ行っていなくても頑張っている人がいるということをもっと発信していきたい。そして、一般化すればいいなと思います。
加勇田:
小幡さんは、今いじめに遭っている子どもがいたら、何て声をかけますか?
小幡:
親に真剣に伝えるってことですかね。「体調が悪いから休みたい」とかじゃなくて、真実を。先生の「学校へ来なさい」は受け止めなくてもいいから、親にはちゃんと伝えたほうがいいですね。子どもがいじめられているのに「学校へ行け」という親はいないと思うので。
僕の場合、ちょっと特殊で親が教師なんですよ。自分の子どもが学校へ行っていないと仕事上マズイじゃないですか。たとえば、よその子どもが不登校になっても「学校へ来なさい」とは言いづらい。「自分のところをどうにかしろ」って言われてしまうので。最初は衝突したんですけど、同級生に殴られてからは理解してくれて適応指導教室に通わせてくれました。
だから、今ではものすごく感謝しています。
加勇田:
適応指導教室やフリースクールもそうですけど、日本のセーフティネットって、実は充実しているんですよね。僕はセーフティネットが充実していることを知って、最悪クビになっても平気だと思うようになりました。
それにセーフティネットは自分でもつくることができるんですよね。複業もそのひとつ。複業をきちんと確立していれば、本業で「この企画が通らないならクビにしてくれ!」くらいの思い切った提案もできるんですよ(笑)。
こんなことを言ったら婚期が遅れてしまうかもしれないけれど、今の僕にとって、仕事以上のエンターテインメントはないんですよね。そういう人生ってなかなか送れないと思う。でも、きっかけはいじめだったんです。いじめがなければ、普通に大学を卒業して、普通に就職して、普通に定年退職していたかもしれない。そういう意味では、たぶん人間としての根本は変わってないけど、それを才能に変換できる環境は手に入れられるということも伝えていきたいです。
小幡:
結局、後付けでどうできるかですよね。僕は不登校で良かったと思っていますし、学校行ってたら今の自分は存在しないと思うし。今はすごく楽しいんで、不登校でよかったですね。おおっぴらには言えないですけど(笑)。
加勇田:
コンプレックスってやり方次第で武器になるんですよね。自分で武器にすることができなくても、武器に変換してくれる人がいる。そういう人となるべく早く出会ってほしいなとおもいます。そして、僕も悩んでいる人がいたらお手伝いしたい。話すタイミングがあったらぜひ声をかけてほしいと思っています。
小幡:
僕は加勇田さんの「逃げる勇気を持とう」というメッセージにはすごく共感しました。僕はん逃げていたので。だから僕にとっての居場所になった適応指導教室やフリースクールの存在はもっといろんな人に知ってもらいたいですね。そして、行ってほしい。
あ、加勇田さん、適応指導教室って名称が少し怖いので、新たにネーミングして通いたくなるようなブランディングしたいんですけど一緒にやりませんか?
加勇田:
いいですね(笑)。やりましょう!
小幡:
おおお!楽しみです。今日は長時間ありがとうございました!そして、もし僕らに話を聞いてもらいたいという方がいたら遠慮なく声をかけてください。
撮影場所 BOOK LAB TOKYO
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クラウドファンディング実施中です。
不登校から高校生社長へ。自分の実体験を本にして、日本中の学校に配りたい!
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