2018年、東海地方でローカル放送された後、メディア業界やネット上で大きな話題になったドキュメンタリー番組がある。東海テレビが手がけた『さよならテレビ』だ。
取材対象は、東海テレビ報道部のニュースフロア。テレビ局の中にいる人間が、番組制作の裏側をありのままに描いている。見方によっては、テレビの「悪いところ」を自ら戒めているような番組でもある。
放送後は「裏ビデオのようにDVDが出回った」というが、そんな“幻の作品”が、名古屋で開催中の「あいちトリエンナーレ」で9月22日(日)から一般公開される。
上映を前に、作品を手がけたプロデューサーの阿武野勝彦さん、ディレクターの土方宏史さんに話を聞いた。
――「さよならテレビ」は、東海テレビでしか放送されていないにも関わらず、ひそかな話題で、見たいという人がたくさんいます。
阿武野 「裏ビデオ」なんて言い方をする人がいますが、僕は「密造酒」と言ってくださいと言ってるんです。(笑)私たちの知らないところで、勝手に上映会が行われてるみたいですね。
――確かに、個人的な上映会もあるでしょうし、大学でもメディア関係者の勉強会が行われているとか。
阿武野 (ディレクターの)土方も上映会に4、5回呼ばれて行ってるし、僕もそのくらい行っていますが、それどころではない数のモニター会が開かれているようですね。
それは、このドキュメンタリーの中に労働問題や階層社会の話も入っていて、今の時代が描かれているからだと思います。派遣社員として東海テレビの報道局で働くことになった新人記者の話も出てきますから。
議論が深められるなら、「どうぞ題材にしてください」という考えです。ただ、今回のように、一般の方に向けて上映されるのは初めてですね。
――今回「あいちトリエンナーレ」で上映されることになった経緯は。
阿武野 あいちトリエンナーレの側から依頼が来ました。初めは「映画作品にならないですか」と聞かれたんですが、その段階では映画の形になるメドはありませんでした。ですから、今回は、テレビで放送したものが上映されます。
――土方さんは、過去に反響を呼んだ『ヤクザと憲法』や『ホームレス理事長』も撮られてきました。それらと比べても、テレビ局を内側から撮るということは大変だったのではないかと思います。
土方 やりやすさでいうと、『ヤクザと憲法』のほうがやりやすかったですね。この言い方はよくないかもしれないですけど、自分たちの会社を撮るのは相当困難だろうな、ということは撮る前から予想していました。
――以前にも阿武野さんに取材させてもらったんですが、そのとき、阿武野さんは、ドキュメンタリーというのは「イベント的な、派手なものを繋ぎ合わせてはいけない」と言われていたのが印象的で。今回の場合はまた違うかもしれませんが、土方さんはどう考えられていますか?
土方 基本的なことは一緒だと思います。
阿武野がよく言っていることですが、ドキュメンタリーの取材は「狩猟民族ではなく農耕民族」みたいなものなんですよね。時間をかけて取材対象者との人間関係を耕していく感覚があるというか。そんな風に、積極的に捕りにいくということはしないことが大前提なんです。
ただ、今回はテーマが「メディア」ということもあり、メディアの特性でもある狩猟的に捕りにいく部分をあえて隠さずにいこう、というのは意識していたと思います。
――狩猟的に、ということは、積極的に仕掛けた部分もあるということですか?
土方 いわゆる記録映画みたいにずっとカメラを廻して、目の前で起こっていることを撮っているだけがドキュメンタリーかといえば、そうではないと思うんです。
人によって色んなやり方があると思いますが、僕の場合は「今日は何をします、誰に会います」ということを先に聞いてそこについて行ったりもするし、もし取材対象として追っている人が悩んでいたら背中を押すこともある。そうすることで、描いていたイメージに結び付けていくということもします。
それってメディアの人間のいやらしさかもしれない。今日きていただいたライターさん、編集さんのお二人も、自分の考えていた落としどころにはもっていくために質問することもありますよね?
――確かに、記者であっても、この言葉が出たから、これで文をうまく締められると瞬時に考えたりするし、必要なものをわざと引き出そうともしますね。あまりやりすぎるとよくないなと思いつつ。
土方 はい。メディアの人間には、そういう逆算であったり、歩留まりみたいなものを考える癖が染みついているんじゃないでしょうか。
今回は、そういう部分も隠さずに表現したいと思いました。隠さずに見せることで、みんなにテレビやメディアについて考えてもらえるんじゃないかなと。
だから、一番最後のシーンにちょっとそういう意図的なものが出てきます。
――あの最後のシーンを見たことで、それまで見ていたものが翻るくらいの衝撃を受けまして。
阿武野 最後のシーンは、土方という表現者が最後に自分の一番腹黒い姿を見せているというか。
このシーンのせいで全部「作りもの」だと思われてもかまわない。現実は、虚実取り混ぜたもので構築されていて、そのことは、観ている人が一番知っているわけですから。
そういう混沌の中に入って、このドキュメンタリーを振り返ってみたら、どう観えますかという意図もあるんだと思っています。
――これはどこまで本当なの?と混乱してしまいました。
阿武野 テレビ局が作るメディアリテラシーの番組はたくさんあったと思うんです。
ニュースはこんな風に作られてます、カメラマンやディレクターはこんな風に番組に関わっていて、それぞれこんな奮闘をしていて…という風に、パーソナリティの薄い筋書きのあるドラマのようなものを見せてきたように思います。
でも、メディアリテラシーというのは「メディアの読み解き」という意味だと思います。ですから、テレビ局の側が、安直なドラマのようなテレビ局の姿を出すことは、今のテレビと視聴者の関係を真剣に考えていないような気がしてならないのです。ジャーナリズムとは何か、そして、いま報道の現場はどうなっているのか率直に伝えて、お互いの関係を再構築していく必要があると思います。
「華やかなテレビ局」という過去の幻想を再生産するより、裸になって、テレビの自画像をしっかり描くぞというのが今回の番組だったんです。
――きれいな裸じゃなくて、ありのままの裸を描こうと。もしかしたら、私がメディアリテラシーにどっぷり浸かってしまっていて、逆にこれは本当なのか?と思ってしまったのかもしれませんね。
阿武野 そこは受け取る人の読み解く力が試されるし、こちらの意図が観た人みんなにもれなく正しく理解されるというのも、表現としては、ちょっと気持ちが悪い、と思うんです。
小説だって多様な読み方があるし、同じ本でも、時間が経つと受け取り方が違ったりしますし、それこそ、その日の気分によっても違うように、テレビ番組もそうではないでしょうか。受け取り方は皆さんの自由です。
それと、やっぱりテレビに対する底なしの愛情がないと、『さよならテレビ』という番組は作れないと思うんですよ。
――そうですね。悪いところを見ないでいいところだけを見ることだけが愛というわけではないですし。作品でフォーカスがあてられる、新聞社記者出身の澤村さんの存在も印象に残りました。彼はドキュメンタリーの意図について土方さんに疑問を投げかけますよね。録音するためにマイクを仕込んでおく時点でドキュメンタリーとは言えないのではないか、と。
土方 はい、「ドキュメンタリーって現実ですか?」という問いかけとか。
――その澤村さんからの問いかけが印象に残りました。
土方 たぶんそこは記者とディレクターの違いでもあって、澤村さんが記者出身だからこそ、「狙った素材」をどんどん集めていくというスタイルに違和感を感じていたのかなと思います。
彼にはドキュメンタリーは、そういう「集めていく」というスタイルとは無縁であるべきじゃないのかっていう考えがあったんでしょうね。一般的にもあると思いますけど。
テレビの世界でも、バラエティやドラマには演出の強いものがあってもいいけれど、ドキュメンタリーって、その対極に位置しないといけないという思いがある人は多いですよね。
――私も同じ考えを持っていました。そういう目線の人だからこそ、あえて澤村さんを追っていこうと決めたのでしょうか。
土方 多分、メディア業界の外にいる一般の人たちの目線に近いものを持ってるだろうなと思いました。僕らが当たり前のようにやっていることについて、彼はおそらく違和感を持つんじゃないかと。
テレビで働く人間にとっては、当たり前になってることが、ちょっと距離を取っている人から見ると、どこかおかしく映るのじゃないかと思い、そこを指摘してもらう役割として彼を取材したというのはありました。
それと、僕自身は澤村さんのことを実直なジャーナリストの鏡のような感じに捉えていたんですけど…。プレビューで阿武野プロデューサーに見てもらったときに、そんな完璧な人はいないよ、とも指摘されて。誰であってもそうだと思うんですけど。だから、必ずしも完璧ではない部分も出すようにしたというところはあります。
――そうですね。理想だけで描くと、阿武野さんが言われたように、「筋書きのある、型通りのものを作っても仕方ない」というところに帰結してしまいますしね。
土方 でも、自分たちなりの倫理は持って臨んでいます。その一線はどこかっていうのは難しいですけど、例えば、ピンマイクをつけるという話も、僕はありうることだと思っていて。
以前、「ホームレス理事長」(※)を撮ったとき、理事長からお金を貸してくださいって言われたことがあったんです。
僕は「それによって関係性が変わってしまうのはドキュメンタリーとしてよくないから貸しません」って言ったんですけど、阿武野は「カメラが入った時点で、もうカメラがなかったときの関係性には戻れないんだよ」と。
だから、もうカメラが入った時点で、ちゃんと撮らないといけない。カメラが入ったことで、相手に影響を与えてるいること込みで表現しないといけないんじゃないか、と。だから、理事長にお金を貸してもいい。ただ、その後のことはしっかり撮っておかないと、ということですよね。
「さよならテレビ」に関しても、自分たちなりの一線を保ちつつ、もし何かしらの演出を行った場合は、それを必ず撮って出さないといけない。最後に「ネタばらし」を必ずしないといけないと思いました。
(※)「ホームレス理事長」:阿武野さん、土方さんが手がけたドキュメンタリー番組で、2014年に第6弾として劇場化された。高校を中退した球児たちを集め、再起させようとするNPO法人「ルーキーズ」の活動を追った。
――ほかのどのドキュメンタリーも、意図はないような顔をしていても、カメラを回した時点で意図や演出はある。それが「ない」ようなふりをしてはいけないとうことなんですね。
土方 それが誠実なのかどうかはさておき、公平でありたいというんですかね。それは、取材対象に対してもですし、視聴者に向けてもそうだなと思いました。
――派遣社員の方にしても、現状に悩んでいるキャスターの方にしても、表情がよすぎるというか、その状況に立ったとき、フィクションだったら100点だなというくらいの表情をされてて。そこに少し嘘くささを感じてしまったのですが…本当にそういう状況のときって、人はやっぱりそういう100点の表情をするんだな、とも思いました。
阿武野 現実って何なんだ、ということですよね。裏を返せば、本当に現実ってあるものなのかと。そこにカメラが入ることによって、現実はどう変容するのか。それも受け入れたうえで映像を見ないといけない、ともいえるんです。テレビを作る方も、最近はそういうことに鈍感になっているんじゃないかと思います。
最後のネタばらし的なところは、ないほうがいいんじゃないか、あれは興ざめだという人も随分いましたよ。でも、それを込みで見てくれて、きちんと自分に落とし込んで、感想を言ってくれることは、すごく尊いことだなと思いました。
表現って出したら終わりではなく、絶えずブーメランのように戻ってくることが重要なんじゃないかと思うんですね。
――一般公開は今回が初めてということですが、これまでマスコミ関係者の方の感想にはどんなものがありましたか?
阿武野 テレビジャーナリズムの現状はこんなに酷いのかという人もいれば、よく頑張っているという人もいる。「テレビの言論状況はどうなっているのか」と考える人が多いようです。
その意味では、「さよならテレビ」への感想が「今のメディアをどう見ているか」判断するリトマス試験紙のようになっているんじゃないかと思いました。それは、もう自由に考えてもらえばいい。
ただ、マスコミ関係者からは外側の話を聞かれることが多いんですよ。この番組の予算はいくらで、取材費はどれくらいで、テープをどのくらい廻して、社内のコンプライアンスはどうだったとか。
「さよならテレビ」の中に、自分や同僚を見つけられない、メディア関係者の想像力にガッカリしました。講演などでそんな質問ばかりだと「そういうことを話すためにここに来たんじゃない」と怒っちゃうんです…。(笑)
それと、「こんな企画はうちでは実現できない」ということを他局の方がよく言いますね。無謀な奴らと思っているのか何なのか分かりませんが、東海テレビのトップは、この番組を放送した後に、「番組にガバナンス(内部統制)が効いてないんじゃないか」と外部の人に言われたそうです。そう言われて、考え込んだようです。
それで、3カ月後に「信頼できるスタッフが作った番組に対して、ガバナンスなどを利かせないことのほうが、最も高度なテレビ局のガバナンスだと思う」というようなことを言ってくれました。
――圧力がないからこそ、良いものが作れるんだ、それが結果的に良い内部統制になっているということですね。
阿武野 テレビの最前線で番組を制作しているスタッフの自由度を落とすして、現場を委縮させることにこそ、命取りなのではないか。東海テレビのトップはそのことをよくわかっているんだと思います。
『さよならテレビ』はテレビを自虐的に描いているように見えるかもしれませんが、この番組を放送したことでのマイナスはそんなにないと思っています。
なぜ、こんなに「密造酒」を欲するのか、そこにこそ、答えがあると思います。「テレビって自由なものなんだ」「もっと自由でいいんだ」って思ってもらえたはず。現役のテレビマンには、「もっといいものを作ろうよ」となってくれれば一番うれしいことですね。
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阿武野勝彦(あぶの かつひこ)さん
1959年生まれ、静岡県出身。1981年、東海テレビにアナウンサーとして入社。ドキュメンタリー制作に転じ、「村と戦争」(95年)、「約束~日本一のダムが奪うもの~」(07年)などでディレクターを務める。「ヤクザと憲法」「人生フルーツ」など、社会派の東海テレビドキュメンタリー劇場作品を数多く手がける。日本記者クラブ賞(09年)、芸術選奨文部科学大臣賞(12年)、放送文化基金賞(16年)など個人賞も数々受賞。
土方宏史(ひじかた こうじ)さん
1976年生まれ、岐阜県出身。1998年東海テレビ入社。情報番組やバラエティー番組のAD、ディレクターを経験した後、2009年に報道部に異動。2014年、『ホームレス理事長 退学球児再生計画』でドキュメンタリー映画を初監督。自社キャンペーンCM。「戦争を、考えつづける。」で2015年ACC賞グランプリ(総務大臣賞)を受賞。他のドキュメンタリー監督作品に、指定暴力団に密着した『ヤクザと憲法』などがある。
(執筆:西森路代 @mijiyooon / 編集:生田綾)
あいちトリエンナーレでの「さよならテレビ」公演スケジュールは以下の通り。同芸術祭の公式サイトでもご確認ください。
9月22日(日)14:30 +上映後トーク
圡方さん、阿武野さん、津田大介さん(あいちトリエンナーレ2019芸術監督)9月25日(水)13:30
9月28日(土)11:00