【新型コロナ】「密」を避けない専門家たちの写真。緊急事態宣言を前に考えたい、科学者のコミュニケーション

新型コロナウイルス問題は長期化する。日常は大きく変容する。専門家が信頼を失ったら、社会に大切なメッセージが届かなくなる。発信の重要性が増すのは、今からだ。

「3密を避けよ」という当の専門家は…?

「他人との距離を取ることが最も重要な手段になる。1.8メートル、距離を取ってほしい」

アメリカで新型コロナウイルス問題の陣頭指揮をとる国立アレルギー感染症研究所のアンソニー・ファウチ氏が繰り返し、メディア上で語っていることだ。

ファウチ氏のメッセージはシンプルにまとまっており、大事なことだけを繰り返し、時に聞いている国民を励ますことで効果を保っている。

今、国内外の専門家たちは他人と距離を取ることを勧め、「密集、密閉、密接」が重なるところにはいくなと警告している。

例えば、政府専門家会議のメンバーで、厚労省クラスター対策班の西浦博教授(北海道大学)。彼は「早急に欧米に近い外出制限をしなければ、爆発的な感染者の急増(オーバーシュート)を防げない」(4月3日付日経新聞)とまで言っている。

とても大事なメッセージだが、ある写真を見て、私は戸惑いを覚えた。

西浦氏は、LINEと厚労省が取り組んでいる全国調査にも関わっている。その西浦氏と厚労省の日下英司課長、そしてLINEの執行役員である江口清貴は密着して写真を撮影し、LINEの公式サイトにアップした。

そもそも、専門家と行政が「自粛」や「リモートワーク」を呼びかけている時に、大事な調査結果とはいえ、それを直接会って、対面で渡して、密着して写真をとる必然性はあるのか。

私にはあるとは思えない。

LINE公式サイトよりhttps://linecorp.com/ja/pr/news/ja/2020/3165
LINE公式サイトよりhttps://linecorp.com/ja/pr/news/ja/2020/3165


なぜ社会的距離をとらない発信をするのか

LINE×厚労省全国調査の会合の様子を慶応大学教授の宮田裕明氏が自身のフェイスブックにアップしている。数えられるだけで専門家を含む8人が、狭い机で間隔を置かずに密集し、議論している写真だった。 

仮に「集まったのは撮影の時だけだった」「あくまで短時間だった」としても、問題がないということにならない。

専門家集団が、社会に発信する写真としてどのようなメッセージを持つかが重要だからだ。

プレスリリース、報道の写真、SNSの投稿――。すべてが専門家からのメッセージになる。様々なメディアを通して、この社会に住む人々は「専門家の行動」に触れることになる。

専門家たちは「日本は自粛が不十分」であり、「外出を制限する必要がある」と繰り返し言ってきたはずだ。

彼らの仕事がリモートワークでできず、「密」を避けられなかった理由はどこにあるのだろうか。なぜ自分たちから進んで、リモートワークに切り替えることができないのか? 自分たちは社会に求めるのに、進んで実践する姿勢を公開しないのはなぜか。

専門家たちは社会に外出制限を求めるのなら、積極的にリモートワークを行い、そうした写真を公開しなければいけない。

「専門家は求めるばかりで自粛しない」ととられかねない

私は、集まって会議をすること自体はまったく否定しない。

危機にあっても、可能な範囲で日常を保つことは大事だし、本当に必要なことは、密を避けて、外出してやればいい。社会には、自宅を出なければできない仕事は大量にあるからだ。

それでも専門家たちの要請に従って、利益を減らしてでも可能な限り在宅の時間を増やす事業者(私もその一人だが)がいるのが現実だ。

社会への要請は、自らに跳ね返るものでなければ意味がない。合理的な説明がないまま密着した様子を発信し、それが私たちの目に入れば、「専門家は求めるばかりで3密を避けていない。どうして自分たちだけに強いるのか…」というメッセージに転化する。

これは議員が密集する国会や、依然として記者たちが一斉に介することになる記者会見場も同じだろう。

たかが公式サイトの「儀式的な写真」や「SNSの投稿」に目くじらを立てるな、と言われるかもしれない。重箱の隅をつついているのでは…と思う人もいるだろう。

あとでも触れるが東日本大震災を思い出してほしい。自分たちだけを特別視する専門家の信頼は一瞬で崩れる。

私のような個人事業主も然り、外出制限は経済的にも大きな打撃を受ける。外出して仕事をしなければいけない知人は、夏の仕事までキャンセルが入り、総額100万を超える損失を出している。現状でも、ハードルが高い給付などの経済政策に頭を悩ませている事業者は多い。

それでも、呼びかけに応じるのだ。

新型コロナ/人通りが少ない新宿駅東口
新型コロナ/人通りが少ない新宿駅東口
時事通信社

同じ会議体の専門家同士でメッセージが矛盾?

同じ専門家会議に名を連ねる専門家の発信が、バラバラに出ていることにも戸惑いを覚える。

4月4日、「新型コロナクラスター対策班」のTwitterに、東北大学の押谷仁教授のメッセージが掲載された。

「都市封鎖をして自宅待機を徹底する」状況にはなく、「東京や大阪の状況はニューヨークなどの状況とは全く異なる」という見方だ。

しかし、先の日経新聞によると同じ専門家会議のメンバーである西浦教授は《現在の東京都は爆発的で指数関数的な増殖期に入った可能性がある」とみており、「早急に自粛より強い外出制限をする必要がある」》と主張した。

つまり、西浦教授は欧米の都市に近い制限をかけた方がいい、と主張している。

西浦氏と押谷氏の見解には矛盾があるーー。そのような指摘は私以外からも上がっていたようだが、彼らの「反論」はこうだった。

寄せられた批判は「文章中の一行を抜き取ったもの」であり、「【西浦も押谷も目指すところは一緒】であり、矛盾していない」だ。

目指すところが一緒なら矛盾はないと言い切ったところには驚かされた。批判は本当に一部を抜き取っただけなのか。今の時点で欧米並みに自粛より強い外出制限が必要か否かは、対策の「根幹」に関わる問題ではあるまいか。

アンソニー・ファウチ氏(4月6日撮影)
アンソニー・ファウチ氏(4月6日撮影)
Chip Somodevilla via Getty Images

 平時ではなく、危機的状況下のクライシスコミュニケーションの基本は、ファウチ氏のように、シンプルに同じメッセージを繰り返し出すことだ。

少なくとも、同じ会議体に属するメンバー同士で、見解が異なるーあるいは見解が異なっていると読めるーメッセージを社会に出しあう必要性はない。混乱や不信感を招くことにつながるからだ。

もし、議論の様子を公開したほうがいいと考えているならば、あらかじめ、読み手のために「目指すところが一致していれば同じ会議のメンバーで異なる見解が出てきても矛盾しない」というクラスター対策班の「公式見解」も掲載しておいたほうがいい。

専門家の発信ならば、「コロナ専門家有志の会」が取り組んでいるnoteでの発信のほうが理にかなっている。

ここには科学技術コミュニケーションの専門家も名前を連ねており、「うちで過ごそう、感染時に備えよう、戦う相手は人ではなくウイルス」というシンプルかつ十分なメッセージを発している。

信頼される専門家とは?

専門家と社会の関わりについて、東日本大震災から教訓を引いてみよう。専門家の発信には、「痛み」をともなう人への共感とともに、何より「自分たちも動く」ということが必須だ。そうしないと、確実に信頼を失っていく。

私が取材した中で、最も印象的な言葉を語ったのは、2011年の福島第一原発事故直後に最も近くでコメを育てた、一人の米農家だった。

拙著『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)の冒頭で、彼の人生を辿りながら「科学の言葉」と「生活の言葉」の違いについて書いている。

 取材の中で、彼はこんなことを言った。

「信頼できる専門家は何回も来てくれる人。またくるよの約束を果たす人、一緒にリスクを考えて、自分が決めたことを尊重してくれる人」

原発から最も近い土地でコメを栽培した彼の元には、世界中から専門家がやってきた。土壌、栽培物、自宅そして本人を含めて貴重なデータを持っていたからだ。

データ目当てでやってきただけの専門家、上から目線で「アドバイス」するだけの専門家はまったく信頼を得られなかった。それは彼から、だけではない。同じように社会から信頼を失った。

「上から目線」のアドバイスは意味がない

大事だったのは上から目線でのアドバイスではなく、一緒に考え、共有することだったからだ。

同じ悩みを共有し、自らも悩みながら率先して実践する様子を見せる。自らが動き、自らが同じ場で考え、非専門家でもフラットに接する。

自らに誤りがあれば、それを認めて次に活かす専門家は信頼を勝ち得る。

そして、その逆、自分たちを特別視する専門家は早急に信頼を失うこともまた確かな教訓だ。

新型コロナウイルス問題は長期化する。当初の想像をはるかに超えて、長いものになる。日常は大きく変容するだろう。専門家が信頼を失ったら、社会に大切なメッセージが届かなくなる。発信の重要性が増すのは、今からだ。

東日本大震災、原発事故の失敗を繰り返してはいけない。

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