サスキア・サッセンの言語

都市は昔から人種や貧困をめぐる紛争の場所だった。

ハーグで生まれ、ブエノス・アイレスとローマで育ったのちに米国に移り住む。

どの都市でもグラスルーツの政治活動に参加した。つねに外国人だったが傍観者であったことはない。

サスキア・サッセンはフルタイムのアカデミックであり、フルタイムのアクティビストだ。

1.

サッセンは世界経済と都市の関係を「グローバル都市」として提示したことで知られる。

1980年代から生産や投資の国際化と多国籍企業化が進み、ビジネスは世界に分散した。

その結果分散した機能を管理する必要性が生まれ、それをサポートする金融、そして法律や会計など生産者サービスの需要が高まった。いずれも都市に集積するビジネスだ。

国際的分散と生産者サービスの都市への集中--。これらが表裏一体で進んだのがグローバル化だ。都市にはグローバル経済のエンジンという新しい役割が与えられた。

資本のグローバル化は労働力のグローバル化 (国際移動) ももたらした。先進国では製造業の衰退と入れ替わるようにサービス業が増え、カジュアルな労働力の需要が高まった。

高給の専門職と低賃金労働への両極化は誰の目にもあきらかだ。格差が都市内でとりわけ大きいのは偶然ではない。

ウォール街の朝は早いがオフィスを掃除する人はもっと早くやってくる。ニューヨークの地下鉄が24時間走っているのはそれを必要とする人が多いためだ。

2.

グローバル都市にとりかかるまでのサッセンは多くの移動を繰り返したようだ。

自身の回想によると、1969年に米国で社会学の大学院へと進んだものの、間もなく自分の関心とはちがうことに気づき政治経済学へと向かった。

博士論文は社会学でも経済学でもないという理由で却下された (後年受理された)。論文が受理されないままフランスに渡り、今度は哲学を学んだ。

米国に戻って参加したマニュエル・カステルのセミナーで理論と政治の接点をあらためて考えるようになり、移民や都市内の貧困という議論をよぶ分野にとびこむことにした。

3.

3つの国と5つの言語で育ったが、どの言語も完全にあやつることはできないという。

通約可能な言語を備えたマルチリンガルとは異なり、言語の外に立たされた者は自分の言語を探すことから始めることになる。

「サスキアは都市の人じゃないから」と都市研究者がいうのを聞くことがある。彼女自身も都市の専門家ではないと否定する。

資本と人の移動が交錯する場所に都市を発見し、異なる領域を都市の下に束ねてみせたのが彼女の言語だった。世界との関係において都市は初めて理解することができる。

都市研究の言語を話す者にはその文法が規定する都市しか存在しない。

4.

グローバル都市が提示された後、多くの研究者がその検討にとりくんだ。

グローバル都市は批判も招いた。急成長する都市は途上国が中心だ。先進国の少数の大都市はむしろアノマリーだという指摘がされた。

なるほどグローバル都市のシステムはうまく示したのだろうが、それに対処するためのソリューションを彼女は示唆してはいない。

むしろアンドレアス・ヒュイッセンが指摘するように、グローバル都市を「目指すべきモデル」として提示してしまったようにもみえる。

批判的検討が「スローガン」になってしまったことは彼女にとって誤算だったはずだ。

5.

グローバル都市の提示からおよそ30年。世界経済はさらに変容している。

都市の世紀を歓迎するように「いまや世界の人口の半分以上が都市に住んでいる」と頻繁に耳にする。そのとき人びとを都市へと向かわせる条件を省みることは稀だ。

多くの人は好んで都市に移り住んではいないとサッセンはいう。国家と金融などのビジネスによる国外の土地の買い占めが進み、小規模な農地や村が世界中で姿を消している。

その結果仕方なく都市へ向かっていることを「マイグレーション」とよぶことで不問に付すことはできない。そう指摘するときの彼女の言語はエコノミストのそれではない。

都市に人がやってくるのは彼らが都市を選んだ結果であり、都市の成長は農村の貧困を救っていると考えるいかにもエコノミストらしいエドワード・グレイサーとは対照的だ。

何かが起こるのは「見えざる手」の仕業ではない。それをもたらす条件が存在し、その条件はしばしば「つくられる」。そこにはアクティビストの彼女の声が聞こえる。

6.

グローバル化は加速し、ボーダーが消滅しつつある。だがそれはグローバルな保護下にある資本や情報、プロフェッショナルに限った話だ。同時に別のボーダーが現れている。

戦後は大衆を消費へと組み込むことが経済の論理だったとサッセンは主張する。1980年代以降それは「組み込む」ことから「閉め出す」ことへと変わった。

長期間の失業で仕事を探すことをやめた人、スラムや難民キャンプに住む人たち、ビジネスが破綻して自殺する者--。もはや統計に反映されない人たちが増えている。

グローバル都市が都市内の格差をもたらしたとすれば、ここ数十年はそのゲームにさえ参加できない人が増えている。そうした傾向を彼女は「エクスパルジョン」とよぶ。

彼女によると「ニューヨークやロンドンで起きていることはジェントリフィケーションとよばれていることとはちがう」。

アフリカの土地買収から資源抽出技術にまで至る幅広い分野の例と、議論にとりあげる貧困層がいくらか極端にみえることに困惑する読者も少なくない。

「サッセンはグローバル都市の中心からその縁へと向かった」というのがもっぱらの評判のようだ。だが私たちが現実に追いついていないということはないだろうか。

7.

2010年にサッセンは都市内の戦争が増えている事実をふまえて「戦争の都市化」を指摘している。「戦場」はもう存在しない。戦争は都市内で展開する。

そこで検討しているのはガザとムンバイの事例だ。グローバル都市に住む者にはいかにも縁遠い話にみえる。だがそれが私たちの世界だということに誰もが気づき始めている。

対テロ戦争にあきらかなように、国家は紛争を軍事化することで対応しようとする。安全保障の名の下に国家が軍事化すればするほど都市は危険にさらされる。

都市は昔から人種や貧困をめぐる紛争の場所だった。交易や市民活動を優先することで紛争を回避してきた歴史が都市にはあるが、その能力を失い始めていると彼女は警告する。

しかしそれは都市の終わりを意味しない。拡大するエクスパルジョンの条件を問い、それを変えていく可能性を、彼女は都市にこそ見出している。

冷たく観察しつつ、悲観とは無縁で感傷的な共感を求めることもしない。アクティビストにふさわしいオプティミズムなのだろう。

どんな話をしていても必ずあの笑顔でしめくくる。それは彼女があやつるもうひとつの言語だ。

(2016年3月29日「Follow the accident. Fear the set plan.」より転載)

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