結婚20年を目前にした5年前、裕子さん(仮名)は夫から突然ゲイだと告げられた。
同時に、何年も前から男性の恋人がいたと夫は明かした。
子供に恵まれ幸せな生活を送っていた裕子さんにとって、それは青天の霹靂であり、苦しみの始まりだったという。
自分や夫のように苦しむ人を出さない社会になって欲しい。そう強く願っている裕子さんが、5年間感じてきた葛藤や苦しみをハフポスト日本版に語った。
突然突きつけられた現実
裕子さんが、夫がゲイであることを知ったきっかけは、5年前の夏に夫から送られてきたメッセージだった。
子供を連れて実家に帰り夕食も済んだ頃に送られてきたそのメッセージには「病気にかかったかもしれない。奥さんも検査した方がいいと言われた……」と書かれていた。何の病気かと聞くと、夫は「HIVに感染した」と答えた。
驚いて言葉を失う裕子さん。夫は必死で「でも信じて、体の関係があった女性は本当に君だけだから」と説明した。
そこで裕子さんは、夫の相手が男性だったことを知る。
ゲイだとわかっていながら結婚した理由
あまりに突然のことに、最初の数日は何が起きたのかよくわからなかったと裕子さんは振り返る。実家から戻って夫と一緒に検査に行き、幸いにも裕子さんは陰性だとわかった。
ただ「全てが現実ではなく、どこか遠いところで起きていることのようだった」という。
「夫も私以上にショックだったんだと思います。振り返ってみると、HIVが発覚した直後の夫の話には支離滅裂なところもあったように感じます」
夫はその後、結婚する前から男性の恋人がいて、家族も夫がゲイだということを知っていたと裕子さんに説明した。
「夫の母親は、息子がゲイであることにとても心を痛めていたそうです。後から、『あの時、母さえ認めてくれていれば…』というようなことを、ぽろっともらしたこともあります」
この経験から、裕子さんは自分の子供たちがカミングアウトしたら、母親としてしっかり認めてあげようと心に刻んだという。
夫が裕子さんと結婚を決めたのは、尊敬する人から「ゲイは治る」と言われたことがきっかけだった。その言葉を信じて男性との交際をやめ、裕子さんと結婚することにした。子供を持って家族を作ることが夢だったことも、結婚を決める理由になった。
「『最初のうちは、ゲイは治ったと自分に言い聞かせ、子供もできて幸せだった』と、夫は言いました。しかし、性的指向は治るというようなものであろうはずがありません。夫はいつしかまた、男性との関係を持つようになりました」
ただ夫は、裕子さんに秘密にしておくことへの強い罪悪感もずっと抱えていて、話して理解してもらいたいという気持ちをずっと持っていたという。
「HIV発覚という形になってしまったけれど、カミングアウトできて、それはそれでよかったのかもしれない」と裕子さんに漏らしたこともある。
裕子さんを一番苦しめたこと
混乱した気持ちが落ち着くと、裕子さんにショックとうつ病の症状が出始めた。
苦しみは、様々な形で裕子さんを襲った。
長い結婚生活の中での夫婦の会話などから、夫は裕子さんがアライ的な感覚を持っていると感じていたそうだ。裕子さん自身も、そうありたいと思っていた。
しかしそれが自分を苦しめることになったと裕子さんは振り返る。
「話を聞いて『わかってもらいたい』と言われたとき、絶望的な気持ちを感じた一方で、相手を理解してあげたいという気持ちがあったのも事実です。ただその葛藤は、想像を絶するほど苦しいものでした」
「親子関係や友だち関係を築く上で、性的指向は全く関係ないと私は思っています。でも、自分の子供や友だちがLGBTQの当事者であるというのと、自分のパートナーがゲイというのでは大きな違いがあるのです」
恋愛対象としてみられない自分は、パートナーとしてもみられていないんだろう、と裕子さんは感じた。家族団らんの時間を終えた後に、夫が家を出て行くのを目にするのもつらかった。
もし、夫の相手が女性だったなら、責めたり怒ったりできたかもしれない。しかし「相手もつらいだろう」と考えると、感情を表に出して夫を責められなかった。我慢したことがさらに自分を傷つけ、苦しみを増したと裕子さんは話す。
結婚生活を続けたけれど……
夫はカミングアウトした後も、裕子さんとの結婚生活を続けることを望んでいた。定期的な収入のなかった裕子さんもまた、50歳を前に自立して新しい生活を切り開いていけるか不安で離婚を選べなかった。
しかし、離婚しなかったことが裕子さんの苦しみを深めることになる。1年半ほどそのまま結婚生活を続けたが、次第に裕子さんの精神状態が不安定になっていく。
「どう頑張っても私では満たしてあげられない部分を『外で……』と言われると、生活の一つ一つの小さなことで疑心暗鬼になってしまうのです」
「仕事からの帰りが10分遅くなっただけで、『もしかして…』と疑ってしまいました。友達として紹介されていた人たちが愛人だった時期もあったので、『今日会っている人は友達なのか、それ以上なのか』と勘繰る自分も嫌でした」
ノイローゼ状態になっていく自分を見るのは夫にとってもつらいことだったと裕子さんは話す。「日に日に壊れていく私を見て、夫も極限状態に追い込まれました」
カミングアウトから数年後、夫が近くに引っ越して、寝起きを別にしてみることにした。
子供たちには、受験が一段落するのを待って説明した。
裕子さんは、自分たちと同じような家庭の子供が、事情を知って「偽装結婚によって生まれてきた自分の存在って何?」と悩むことがあると聞いていた。
そのため、子供たちには「生まれた時はパパとママは愛し合っていて、あなたたちは愛のもとに生まれてきた子供だ」ということを強調して伝えた。
その上で、「パパは男性が好きなのでママとは今までのようにやっていけなくなった。だからパパは近くに引っ越すけれど、今まで通りパパとママだし、離婚はしないのでパパとママと子供というファミリーは変わらない」と話した。
子供たちはパパが家を出ることを寂しがって泣いた。しかし父親がゲイだということにショックを受けた様子はなかったという。
「ママが精神的に壊れた理由」がわかってホッとした様子もあった。
裕子さんも、子供たちに真実の一部を伝えたことで精神的にかなり楽になった。
精神的な打撃から立ち直るために
裕子さんはうつ病になってから3年ほど、セラピーと抗うつ剤治療を受けた。
今でこそ苦しみを忘れている日もあるが、夫がカミングアウトした後の数年の苦しみは筆舌に尽くしがたいものだったという。
「今まで信じ切っていたものがすべて崩れ去り、人生の価値観がひっくり返されたような、自分には何も価値がないような感覚にも襲われました。そういう時は真実の言葉もつらいものです」
「例えば義姉から『どうして私があなたに話さなかったんだろうって思ってる? でも、本人でもないに、あの子ゲイだったのよ、なんて言えないでしょう?』と言われました。もっともだなあとも思うのですが、もっともであっても、反論できないからこそ、悲しみが増していくようなところもあって、毎日の会話の一つ一つでさらに傷ついていきました」
裕子さんを支えてくれたのは、すべてを話せるセラピストだった。症状が重い時には、抗うつ剤治療も並行して受けた。
「治療中に生きる気力を失い、自死を覚悟したこともあったのですが、私は守られていたのでしょう。どん底から少しずつゆっくりと時間をかけて回復し、特に別居して夫の生活の一部始終を見ずに済むようになってからは、気持ちの整理がつきやすくなりました」
裕子さんは、同じ体験をしている人たちの集まりに参加したこともある。参加者の中には、『経済的に自立していればすぐにでも離婚するのに』と言っている人もたくさんいた。
自分自身は、住居を別にして夫と少し距離を置くことができたことが心の安定につながった裕子さん。真実がわかった後も一緒に暮らしていかなくてはならない人は本当に大変だと思うと話す。
「特に40代、50代になってから事実がわかった方は、離婚した方が精神的にずっと楽だけれど、この歳になって自立できるだけの収入を得る仕事に就くことは難しいと、あきらめにも似た気持ちをお持ちのように見えました」
「私も経済的な面での自立に不安を感じていたためにすぐに離婚できませんでした。これは女性の自立という、また別の問題なのかもしれませんね」
今後の結婚そして家族のかたち
夫との関係が今後どうなるかはまだわからない。しかし現時点では、子供が独り立ちするまでは別々の家に住みながら、父親母親としての役目を共に果たしていきたいと思っている。
HIVは、感染していても服薬治療を続けていれば、コンドームなしの性行為をしたとしても他人に感染することはない。
裕子さんの夫も服薬で体調は安定しており、薬を飲んでいれば50年は健康でいられると医者から言われている。
「思い描いていたような結婚生活が送れなくなり最初は絶望的な気持ちだったのですが、別々に暮らして相手の家を行き来する今の状態は、それはそれで居心地が良いことに気がつきました」
最近色々な人の意見を聞いて「多様な結婚のかたちがあっていいのでは」と思えるようになってきた。
「もともと私は趣味に没頭する性格で、一人の時間も大好きです。実質的なパートナーは失いましたが、子供を一緒に育ててくれるパートナーとしての夫はいます。困った時には相談に乗ってもらえる今の状況も、一つの家族のかたちといえるのではないかと思えるようにもなってきました」
「仕方のないこと」とか「かわいそう」という表現に傷つく
裕子さん夫婦のように、時には真実を告げないまま、同性愛者が異性愛者と結婚するケースがあることが近年報道されるようになってきた。
ただ裕子さんは、それが「仕方のないこと」とか「かわいそう」という表現をされるといたたまれない気持ちになってしまうという。
「この問題がそこで終わってしまうような気がしてしまうからかもしれない」と裕子さんは話す。
「もしかすると、『私たちがこんなに苦しんでいるのに、仕方のないこととか正当化しないで』という心の叫びかもしれませんし『私たちの存在を忘れないで』という叫びかもしれません」
同じ体験をしている人たちの集まりでは、周りに真実を伝えられている人はごく一部で、一人ですべてを背負って苦しんでいる人がたくさんいた。
自分たちの存在は「クローゼットのそのまた奥のクローゼットに閉じ込められている状態とも言われている」と裕子さんは話す。
「真実を告げられた家族は、別れるのもつらいし、そのまま一緒に暮らしていくのもつらい。どちらも大きな苦痛を伴う道なのです」
「『相手が男性でまだ良かったじゃない?』とか『あなたはヘテロなんだから、またやり直せばいい』といった、傷口に塩を塗るようなことを言われる方も少なくないと聞いています」
さらに夫からの「家族がとても大事」とか「家族がありがたい」という言葉も、救いにはならなかったと裕子さんは振り返る。
「私たち当事者から見ますと、『家族もとても大事にしている』と言われるのが何より嫌なんです。『家族を大切に思うなら、家族だけにして』が私たちの本音です」
「同性愛者の方が、自分を偽って結婚しなくてはならないような社会は、変えていかなくてはならないと思いますし、夫もその社会の犠牲者であるとは思います」
「ですが、セクシュアリティや性的指向に沿わない結婚をすると、そこにまた一人の人生を巻き込んでいくことになるのだということを忘れていただきたくないのです」
同じ苦しみをなくすために
自分たちのように苦しむ人たちを出さないためにも、同性間の恋愛や結婚が普通に認められる社会になって欲しいと、裕子さんは望んでいる。
「同性婚へのプロセス、それはLGBTQの方たちのみのものではなく、広い目で見ると、異性愛者の方たちのためにもあるのではないでしょうか。同性婚が当たり前のように認められる世の中になれば、私たちのような思いをする人、異性愛者と結婚をしなければいけない同性愛者は確実に減るでしょうから」
「同性婚が認められるだけでなく、社会全体の見方も変えないといけないかもしれませんが、それでも同性婚が認められれば、確実にその一歩にはなると思います」
「同性愛者のためだけではなく異性愛者のためにも、同性婚が認められる社会になって欲しい。そう、私は願っています」
編集後記✏️
女性と結婚していた経験のあるゲイの男性に、お話を聞いたことがあります。
女性とは同僚からの紹介で知り合いました。男性は自分はゲイだと伝えましたが、女性は「過去のことでしょう」と言って男性との結婚を望んだそうです。
「この人とならやっていけるかもしれない」と考えた男性は、結婚を決意。「結婚して子供がいた方が、男性は社会で信頼してもらえる」という風潮も決断を後押ししたと言います。
それでも、同性が好きというアイデンティティは変わりませんでした。男性は恋人を作り、最終的には妻と離婚してそれぞれの幸せを追うことにしたと話してくれました。
この男性や裕子さんの夫が異性のパートナーと結婚した背景には、同性愛者への間違った認識や社会からのプレッシャーなど、様々な理由があったのではないかと思います。かつて「同性愛は病気」だと考えられていた時代がありました。
しかしそれが誤りだったことは、世界的に周知の事実になっています。WHO(世界保健機関)は1970年代に、同性愛を精神疾患のカテゴリーから取り除きました。
2001年にはオランダで初めて同性婚が実現。同性婚を整備した国や地域は、これまでに27に広がりました。
一方で、日本のように同性愛者が望む相手と結婚できない国もまだまだあります。
LGBTQの人たちを取り巻く社会状況は変化しつつあり、家族や個人の多様な生き方も広がってきました。
裕子さんの話を聞き、誰もが望む相手と結婚できるよう社会を変えていく必要があると、改めて強く感じました。