人間であることを確かめたくない作家がふたりいる。
どちらも現代に生きているのだから、会おうと思えばたぶん会えるのだし、実はそのうちのひとりには直接サインを頂戴したこともあるのだが、まだ信じたくない。
知ってしまったら、人の遠近法が崩れてしまう気がする。
神聖視をしすぎるあまり、自室や店には、同じ本がいくつもある。仕入れたというより、たんに、見つけると買ってしまうのだ。お金もないのに、それらを前にするとなにかがおかしくなってしまうようだった。
今まででいちばんたくさん集めてしまったと思われる本では、文庫と合わせると7冊所有していたこともある。これだけあると、ちょっとした間違いとも言いようがなく、友達にあげるにしても限度があり、本棚に点在させてみてもやたら目立つ。それでもあるだけで安心するので、持ち出す用の文庫、眺める用のハードカバーと使い分けて、至福を感じていた。
無闇な収集癖は、本屋をはじめることになってだいぶ落ち着いてきたのだが、つい先日、こんなことがあった。
店の取材のあと。ライターの方がかばんからなにかを抜き取り、わたしに差し出した。「お好きだと言っていたので」と言われ、つい素直に受け取ってしまう。見るとそれは、箱に入った1冊の本だった。わたしが崇拝するふたりの作家のうちのひとり、幻想小説家・山尾悠子の『ラピスラズリ』。7冊持っていたこともあるという、その本である。
聞けば、サインが入っているという。「そんな特別なものを」と思う気持ちの一方で、わたしのなかに悪いくせが頭をもたげ、舞い上がったまま、キットカットと引き換えにありがたく受け取ってしまった。8冊目となったその本はまだ開くことのできないまま、自室の本棚のなかに置いてある。
1冊の本を紹介する機会をいただいたとき、すぐに承諾してから、考え込んでこの本に決めた。わたしにとって大切な本であることはもちろんだが、しかも本当は必要としている人が、まだこの本に出会わずにいることもあるように思ったからだ。
『ラピスラズリ』には高校生のとき、当時通いつめていた新刊書店で出会った。
幻想小説、SF、ミステリなどが並ぶ本棚のなか、わたしは気になって抜き出しては、恐れをなしてしまい込んだ。きれいな青色の、かたい箱に入った本は、厳かな雰囲気をかもし出していた。本を出して開くだけでも、そわそわしてしまう。
何度も本棚の前に立ち尽くしたが、結局当時のわたしには買うことができなかった。
そういうわけで、はじめて読んだのは文庫化されてからだった。発行は2012年とあるから、大学生になってからのことだ。本を開いたわたしは、物語のはじめに書かれた「睡眠不足で赤い眼をした画廊の店主」の台詞に心のすべてを連れて行かれてしまう。それからは、幾度となく読み返し、本屋で見かけるたびに買い集めた。
『ラピスラズリ』は「銅版」「閑日」「竈の秋」「トビアス」「青金石」の5篇から成る、連作長篇小説だ。〈冬眠者〉を取りまく、眠りと覚醒の物語である。
〈冬眠者〉という言葉だけで、落ち着かない気持ちになる。小学生のときに読んだ萩尾望都の漫画『ポーの一族』のせいか、わたしは自分と違う、しかしこの世界にいてもおかしくない者たちに、憧憬を抱き続けている。
『閑日』『竈の秋』で描かれるところによると、〈冬眠者〉は、冬になると鍵を掛けて眠り、春になると目覚める人びとだ。そういうことになっている。それはその体質というよりもむしろ身分制度であり、文化ともいえる。〈冬眠者〉たち、世話をする召使いたち。そして〈ゴースト〉、それから……。数多くの登場人物たちは、ただそこに存在し、動いている。そしてそのうつくしすぎる別世界は、読み進めればいともたやすく読者自身と接続される。そのことに、心を動かされないわけはない。
昨夜、わたしは布団の上にクッションを重ねてもたれかかって文庫版の『ラピスラズリ』をめくっていた。午前1時前、いつもならもう眠っている時間だが、「駄目——眠ってしまっては駄目よ。起きていなければ。きのう話したことを覚えていないのね」と、〈ラウダーテ〉が言う。わたしは眠いまぶたをこすり、読むことをやめられないでいた。こんなふうに夢中で読みふけるのは、久しぶりのことだった。わたしは〈ゴースト〉のように物語に入れてもらい、人形のひんやりとした感触を得る。舞台は深夜営業の画廊、〈冬眠者〉の館、東の国、西暦1226年のアッシジ近郊へ。
物語を読むときには、そのなかに入り込みやすくするためのいくつかのやり方があると思う。
たとえば、心地いい温度の落ちつける部屋のなかにいること。ひとりきりの静かな時間があること。それから、登場人物の、情景の問いかけに、真剣に答えようと試みることだ。
本に慣れている人ならば造作もないことだろうが、わたしなどは、本のなかに問いかけを見つけても、あるいは見つけることすらできずに通りすぎてしまうことが多い。しかし、じっくり文字を見つめ、問いを、横たわる違和感を見つければ、書かれた言葉はすべて徴候となり、読者の身体は物語に合わせるようにして、伸びたり縮んだりしながら入り込んでいける。徴候はうねるように、わたしを、あなたを最後の1ページまで、そしてまたいちばん最初へと、導いていく。
気付けば午前2時をすぎていた。わたしは本から目を離せないまま、何度も巡るように読んでいた。布団のなかで夢心地になりながら何度も反復するのは、画廊の店主が〈わたし〉にいう台詞。
「画題(タイトル)をお知りになりたくはありませんか」
だれかに本をすすめることはむずかしい。でも、願わくばわたしの本棚に並べられるように、あるいはまったく違う形で、この本を必要とするだれかのそばにも『ラピスラズリ』があればいいと思う。今ではなくても、いつか。でも本はなくなってしまうことがあるから、できればすぐにでも。それはもしかすると、あなたを眠りにつかせ、あなたを目覚めさせる物語となる。
連載コラム:本屋さんの「推し本」
本屋さんが好き。
便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。
そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。
誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。
あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。
推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp
今週紹介した本
山尾悠子『ラピスラズリ』(ちくま文庫)
今週の「本屋さん」
伊川佐保子(いかわ・さほこ)さん/ほんやのほ(東京都中央区)
どんな本屋さん?
2019年2月1日、東京メトロ日比谷線小伝馬町駅より3分のビルの2階にオープンした会員制本屋です。入会資格は「なんだか本が気になること」。山尾悠子『ラピスラズリ』は「ほんやのほ」でも販売中です。
(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)