相模原の障害者施設で痛ましい事件が起きました。
この事件そのものについては、報道されている以上のことを知りませんし、当事者たちについて直接に何も知りませんので、踏み込んだことを書くことはいたしません。
ただ、やはり今回の事件と関連して精神医療や福祉・介護の分野、そして社会のことについて思うところがあり、それをお伝えすることでこの問題について真剣に考えようとされている方々と意見を交わしてみたいという思いがから、この文章を書かせていただきました。
日本においては、精神医療が大切に扱われてきたとは言い難い状況が続いています。
そして、そのことは、この分野の重要な問題に対応する社会の能力の育成に好ましくない影響を与えてきました。
1964(昭和39)年に、当時19歳だった統合失調症の青年が、駐日アメリカ大使のライシャワーを妄想に基づいて刺傷するという事件が起きました。(ちなみに、ライシャワーはこの時に受けた輸血が原因で肝炎に罹患してしまい、これがまた問題となって日本において売血が行われなくなり、献血によって輸血用の血液が調達される制度が確立されるきっかけとなったそうです)
この後、社会的には「危険な障害者を隔離しろ」と主張する風潮が強まったと聞いています。
1965(昭和40)年には、「精神衛生法」の一部改正が行われ、通院医療公費負担制度(精神科の外来患者の自己負担を少なくする)や精神衛生センターの設立と並んで、緊急措置入院の制度が新設される措置入院制度の強化が行われました。
1955(昭和30)年から1970(昭和45)年までの間に、日本では私立の精神病院の病床数が、4万4千床から25万床に飛躍的に増大しました。いわゆる、日本における精神病患者の入院による「隔離収容政策」が進行した時期です。
もう一つ、1958(昭和33)年に、厚生事務次官通達としてはじまった精神科特例という制度についても言及しておきたいと思います。これによって精神病院は特殊病院と規定され、一般病院と比べて患者数あたりの医師の数は3分の1、看護婦の数は3分の2でよいとされました。
つまり、一般病院では入院患者16名に対して医師が1名配置されていなければならないのに対して、精神病院では入院患者48名に対して医師が1名配置されればよいという制度になりました。
ところでこの精神科特例ですが、現在、名目上は廃止されて看護師の設置基準については一般病院に近づいてはいるものの、精神科病院での医師の配置基準は、大学病院等の公的病院ではないので48対1でよいという、そのままです。そして、現在でも措置入院は、このような制度下での精神科病院がその実質を担っています。
(ところで、今回の論旨においては本質的ではありませんが、この間に「看護婦」を「看護師」と呼ぶ、「精神病院」を「精神科病院」と呼ぶようにするという変更が行われました。「精神分裂病」も「統合失調症」になりました)
率直に言って、昭和30年代から40年代にかけて行われた精神科の病床増大は、精神障害者が社会で生活することを許さずに施設内で隔離する、それもコストをかけずにその実施を民間に丸投げする。
その代わりに細かい管理や指導を行わずに利益を上げることを容認するという方法で行われたと思います。当然このような安易な対処は、その後にさまざまな弊害を生じました。
日本における入院中心の精神科医療が、著しい人権侵害の側面を孕んでいるのではないかという批判が内外から高まりました。
例えば、1983(昭和58)年には、精神科病院に入院中の患者が食事内容に不満を言ったことに対して、その病院の看護職員によって殴り殺されるという宇都宮病院事件が発生しました。
このような流れに問題意識を持ったさまざまな関係者の長年にわたる努力の上に、精神障害者のノーマライゼーション、社会への参画のあり方が模索され、少しずつですが進展してきました。
現在、精神科への長期入院が批判され、精神障害者の社会参画が取り上げられていることはすばらしいことだと思う反面、その美しいスローガンの陰で「医療費を抑制する」という意図の方が着実に進んでいるのではないだろうか、という危惧も感じています。
つまり、低コストで精神障害者を「管理する」役割を、精神科病院関係者だけではなく、福祉や介護の関係者にも広げて負担させようとしている面があるかもしれないと感じています。
私は、適切な教育・指導を含めたきちんとした待遇が整備されないと、意欲や能力のある関係者が燃え尽きて現場から立ち去ることが続くのではないか、という不安を往々にして感じます。
精神的に本当に苦しんでいる人の味方になりながら、社会の不条理との間に立って、粘り強く解決の道を探り続けることは、私には簡単な仕事とも楽な仕事とも思われないからです。
入院治療が必要な場面もあります。そして、やる部分はきっちりとやることが必要です。
実際に精神科医として働いていると、時として自分が二通りの意図に引き裂かれてしまうように感じます。
本人の回復と成長を助けて見守らねばならない立場と、周囲との社会的な葛藤を避けねばならないという、極端に言えば社会保安上の立場の板挟みになるのです。
例えば、本人のことだけを考えれば、そこまでの鎮静的な向精神薬の服用は必要がないことは分かっていても、本人の高揚している状態がこれ以上続いた場合に、周囲の関係者がもう持ちこたえられなくなっていることも十分に分かっている。
そのような場合に、本人に、それまで以上に鎮静的な向精神薬の処方を行ったという経験のない精神科医は、ほとんどいないだろうと思います。
司法と精神医療の分野の連携も、本当に難しいのです。
たとえば、精神科病院に入院している患者同士で、窃盗や軽微な暴行等の事件が生じたとして、そこに警察や司法の介入を求めるのが簡単ではない状況もあります。
そうすると、何らかの社会的な刑罰を下すことを、精神科病院の関係者が代行してしまうことが起こりえる訳です。
本来は治療を目的として行われるべき行動制限や、鎮静的な向精神薬の使用が、この目的のために採用される可能性があります。しかし、ここにはさまざまな問題が含まれていることは、明らかでしょう。
「精神科特例」で少ない人員配置でよいとされている精神科病院で、このようなことが行われているのが、日本の精神科医療の実態です。
2003(平成15)年には、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(簡単に「医療観察法」と呼ばれることもあります)が公布され、心神喪失または心神耗弱のために重大な他害行為を行ったが不起訴処分もしくは無罪になったものに対して、適切な鑑定の施行や専門家や関係者が関与した処遇の決定・指定医療機関における入院などを含む適切な医療の提供・地域ケアの確保・被害者等への配慮を含んだ制度が実施されています。
しかし、全体として提供されているサービスの「量」が少ない印象があり、一般の精神科医療のなかで、この制度が存在感を発揮するようになるのは、これからの課題であると感じています。
精神障害をめぐる社会的な事件は、単純な因果関係に還元できないものが多く、大変に難しい問題が複数関係していることが普通です。これにかかわることのできる人材の育成や関係諸機関の連携、また、社会の側の意見や議論の成熟は、長い時間がかかるものだと思います。
今回の相模原の事件についても、簡単にスケープゴートをつくった上で、小手先の制度の改革だけでお茶を濁してその後に忘却されるような対応ではなく、粘り強い社会の成熟につながるような議論が継続されることを期待しています。