YMOのメンバーとして知られるミュージシャンの高橋幸宏さんが1月11日に亡くなった。70歳だった。所属事務所によると、死因は脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎。高橋さんは2020年8月に脳腫瘍の摘出手術を受けて以降、入退院を繰り返しながら治療を続けていた。
■高校在学中からドラマーとして活動。YMOで作曲した「ライディーン」は小学生に大ヒット
高橋さんは1952年生まれ。高校在学中からスタジオミュージシャンとしてドラムを叩いていた。1972年、武蔵野美術大学に在学中、加藤和彦さんが率いる「サディスティック・ミカ・バンド」に加入した。同バンドの解散後は、1978年に細野晴臣さん、坂本龍一さんとともにイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。正確無比なドラム捌きで、1980年代にテクノポップと呼ばれた音楽ジャンルを牽引した。
YMOの中でも特に有名な曲の一つが、高橋さんが作曲し、坂本さんと細野さんがアレンジをした『ライディーン』(1979年)だ。当時は珍しかったシンセサイザーの音とドラムで構成されたインストだ。小学校の運動会で使われるなど、全国の小学生の間で絶大な人気を誇った。
■高橋さんが振り返っていた「ライディーン」誕生秘話
高橋さんは2012年の著書の中で「ライディーン」を「YMOの曲の中でも広く親しまれてきたこともあって、ぼくには忘れがたい曲の一つです」と振り返っている。
高橋さんの鼻歌を坂本さんが譜面にしたという通説を「教授(坂本さんのニックネーム)の記憶違い」と否定した上で、自身が「譜面にかいたような気がする」と綴っている。
また曲のコンセプトは、SF映画『スター・ウォーズ』を「黒澤明監督が撮ったらどうなるんだろう」という細野さんの発案だった。そのため、曲中に「パッカパッカ」と鳴る馬の蹄のような音や、「ピュンピュン」と鳴るTVゲームの光線銃のような音を入れたのも細野さんで、戦闘シーンを演出するのが目的だったという。(※ライディーンのミュージックビデオでは、3人が光線銃を撃つシーンが挿入されている)
■「『スター・ウォーズ』を、黒澤明監督が撮ったらどうなるんだろう」
高橋さんが著書で回想したライディーンの作曲経緯は、以下の通り。
<この曲がどういう経緯で、どういう音楽に影響を受けて生まれたか、それは漠然としていて覚えていないんです。どこかのカフェでぼくの鼻歌を教授が採譜したというのが通説になっていますが、それはたぶん、教授の記憶違いだと思います。
「中国女」と、この「ライディーン」のことがこんがらがってしまったのかもしれません。ぼくの記憶では、この「ライディーン」に関しては、ごく簡単にですが、譜面に書いたような気がするんでね。譜面に書くという慣れないことをやったので、逆に覚えているんです。
ただ、映画『スター・ウォーズ』を、黒澤明監督が撮ったらどうなるんだろう、みたいなことを細野さんが言ってて、そこから、この曲は始まったような気がします。
そもそも、ジョージ・ルーカスは、黒澤映画に影響を受けていて、『スター・ウォーズ』の中でもいろんな形でその影響を出しているんですけどね。だから、途中で戦っているような音が入っている。馬が走る蹄の音みたいなのとか、インベーダー・ゲームみたいなのとか、いろんなSE(効果音)を入れたのは、細野さんでした。>
(PHP新書『心に訊く音楽、心に効く音楽 私的名曲ガイドブック』より)