(文:島田彩 @c_chan1110)
誰かがたたむ、私の洗濯物
「雨降ってきたんで、入れときました アオより」
ある日、家に帰ると、私の部屋の前に、きれいにたたまれた洗濯物があった。上にはふせんが置いてあり、そう書いてあった。
「アオ」。
彼は、夫でも恋人でも、兄弟でもない。4つ年下の彼とは、同じ家に住み始めて、ちょうど一年が経つ。
突然だけど、私は自宅の94%を、地元の10〜20代に開放している。残りの6%は自分の寝室。あとは、リビングもキッチンも、お風呂もお庭も、出入り自由。月に1クラス分くらいの人が訪れ、暮らしてる。
私がいないときもあるけれど、固定で住んでいる人が2.5人、だいたい誰かいるので大丈夫。小数点以下が気になったと思うけど、冒頭の「アオ」は訳あって、週末だけ、うちの家に住んでいる。だから、0.5人換算。シェアハウスではなく、「全開の住み開き」という感じだと思う。
「何それ!!どういうこと?」
「プライベートや、セキュリティは大丈夫なの?」
家の話をすると、決まってそんな風に心配される。ごもっともな反応です、と自分でも思う。けれど今のところ、安心で安全なことばかり起きている。
まず、細い道を抜けた真っ暗な玄関で、ひとりでドキドキ鍵をあけることがない。電気がやさしく灯った場所に、毎日「ただいま」を言うことができる。くたくたの腹ペコで靴を脱ぐと、「おかえり、食べる?」と晩ごはんがあったりする。実を言うと、家事は得意じゃないので、めちゃくちゃに嬉しい。大皿には「うちの親が、採れたの持ってけって」と、おいしそうな野菜が光ってる。
それから、嵐の日も、飛んでいきそうなトタンの音に、ひとりでビクビクおびえなくていい。「とりあえずテープで補強しとこか」と、1階から頼もしい声が聞こえる。個人的には、女ひとりで暮らすよりも、よっぽど安心できる。
たくさんの被害をもたらした2年前の台風21号、あの時もとっても助かった。しばらく家をあけていたけれど、よく遊びにくる近所の人が、わざわざ玄関のものを全部、おうちの中に入れてくれていた。飛んでいったら危ないものが多かったし、本当に本当に、感謝してもしきれない。
落語家も、高卒ニートも、バリスタも
この「家を開放する」という暮らし方が始まったのは、ちょうど3年前。
きっかけは、とある高校生だった。
彼は、学校にはあまり行かなかった。高校の先生や教科書よりも、ゲームとか火起こしとか、映像制作とかヤギの世話とか、好奇心を持ったことからどんどん学ぶタイプだった。住人2.5人のひとりと仲が良かった彼は、家にもよく来て、遊んだり自習していた。特に、スマホの「速度制限」がかかるらしい、月末の出没率が高かった。
そんなある日。
「ねえ、今度ともだち呼んでもいい?」
「もちろんいいよ」と答えると、彼はいろんな仲間を連れてきてくれた。
「来週ここで、みんなとご飯パーティーしてもいい?」
「もちろんいいよ」と答えると、仲間はいろんな手料理を覚えた。
「外で映画を見てみたいんだけど、庭を使ってもいいかなあ」
みんなで荒れ放題の草木を整備して、野外映画館をつくった。
こうして人が人を呼び、気づけば10〜20代が集まる場所になっていた。その様子を知って、大家さんの孫まで遊びに来るようになった。ありきたりな表現だけど、とにかくみんな個性的だった。
落語家を目指す男子中学生、看板屋に就職する女子高生。「高卒ニート」と自称する22歳、就活うつ気味の22歳。数字に色が見えるお寿司屋に、緑色が見えないバリスタも。
みんな、子供みたいに笑ったり、大人みたいに泣いたり。彼らといると、自分がだんだん素直になった。これまで「家」が素直になる場所じゃなかった私にとって、それはとても、心地良かった。
過去に、教育の仕事をしていたこともあり、私は年下たちと過ごすのが大好き。彼ら世代の提案にどんどん乗ると、世界に何が生まれるのか、想像するのも大好き。
だから、信頼できる仲間たちに、多めに作ったスペアキーを渡した。「好きに使っていいよ」と伝えると、「ひみつ基地」「フリースペース」「家2.0」「変なおうち」……みんなそれぞれ、好きな名前で呼んでくれた。
「落ち着かない」のが、落ち着くのかも
家を開放しはじめて、3年ほど経ったある日。
たまたま実家に帰っていた私に、母がぽつりと言った。
「早く、あなたの子供をだっこしたいなあ」
母はすぐ、何とも言えない顔の私に気づいて「ごめん」と言った。となり近所から赤ちゃんの泣き声が聞こえる。いとこも先日、2人目ができた。うん、言いたいことはわかるよ。私は32歳。お母さんの時代、その年頃の結婚や出産は、いろいろ苦労したんだっけね。
愛する人と結婚すること。その人との子供を産んで育てて、家族をつくること。
憧れる。いいなと思う。10代の頃は「大学卒業したらカレシと結婚して、子供産んで、名前はねー……」なんて想像をしていた。「早く、ママに子供をだっこしてほしいなあ」 私こそ、そう思っていた。
でも実際に20代後半を過ぎるころ、「そのかたちは、私にはしっくり来ないのかな」と思い始めた。30代に入ると、その気持ちが少しずつ膨らんだ。
そして最近、やっと自信がついてきた。ちょうど「家族とは?」がテーマの仕事に携わり、いろんな考え方を持つ人と話したから……というのもある。けれど、ここ数年の「家の94%を開放する」という実体験が、やっぱり大きい。ちょっとヘンテコだけど、私にとってはたまたま、その暮らし方が合っていた。とても豊かなことだった。
自分の気持ちに自信が持てず、グズグズしていた頃は、誰かのお祝いごとを素直に喜べなかったり、参加した結婚式の記憶がスポーンと抜けていたり。同じく独身の友人に「そろそろ落ち着きなさいって言われるんよね、あなたはどう思う?」と言われても、答えられなかった。
けれど、家を開放しはじめて、いろんな人と「ただいま」や「いただきます」、「おやすみ」や「またね」を繰り返すごとに、「この感じ、ちょうどいいかも」と思い始めた。「そろそろ落ち着きなさいって言われるんよね」と言った友人にも、「私は『落ち着かない』のが、落ち着くタイプみたい」と答えられた。
わからないなりの「家族」のかたち
「雨降ってきたんで、入れときました アオより」
ある日、家に帰ると、私の部屋の前に、きれいにたたまれた洗濯物があった。ふせんのメモ書きが添えられ、しかも「半分どっかいったなあ」と思っていた、黒い靴下の片割れも置いてあった。
「洗濯物ありがとう、めっちゃ助かった。あと靴下も。探しててん」
アオにメッセージを送ると、「洗濯機に残ってた」と返ってきた。
「よく私のってわかったなあ」と私。
「半分一緒に暮らしてるからなあ」と彼。
彼は、夫でも恋人でも、兄弟でもない。
そんな私は先週、33歳になった。
この先、結婚するんだろうか、しないんだろうか。子供は産むんだろうか、誰と育てるんだろうか。まだまだわからない。たくさん考えてもわからないときは、わからなくていっか。
でも、今日も帰ると、きっと電気がついている。どの人も血はつながっていないけど、愛しいなあ、って思える人たちが、私の家で笑ってる。
これを「家族」と呼ぶのも、いいかな、と思う。
今はそんな感じが、ちょうどいい。