当たり前だと思ってきたことも、立ち止まって見つめ直してみると、意外な発見があるかもしれません。ハフポスト日本版は8月14日、「この写真、あなたの指は止まりますか?6枚の日常から『当たり前』をRethinkしよう」(Sponsored by Rethink PROJECT)というLIVE番組を放送しました。
「当たり前」を「Rethink」することって、なんだろう? 番組を観たライターが自分の日常の中のRethinkについて考えるシリーズ第1弾です。
筆者:澤田美樹さん / 富山県在住 / @miki.sawada.79
先日、「この写真、あなたの指は止まりますか?6枚の日常から常識をRethinkしよう」というLIVE番組を観た。
常識を疑うコツを聞かれた出演者の方が、「負の感情には敏感なほうがいい」という話をしていて、胸の奥が妙にチリッとした。
私は現在、富山県の散居村と呼ばれる集落のはずれに住んでいる。
番組を観終わった後、心の奥底に沈殿している澱(おり)のようなものをマドラーで一気にかき回されたような気がした。
下の方に隠れていたものがブワッと表面に浮いてきた時、それまで見えていなかったものが見えてきた。
夫の実家で夫家族と同居を始めて5年。
モヤモヤしている濁った感情を見つめ直してみようと思う。
田舎暮らしで待ち受けていたもの
私は千葉で生まれ育った。
都内の出版社で働いていた時に現在の夫と出会い、結婚。
出産を機に仕事を辞め、夫の勤務先だった大宮で専業主婦をしながら子育てをしていた。
転機が訪れたのは、娘が1歳になった頃。夫が実家に帰りたいと言い出したのだ。
ちなみに、夫は長男だ。
付き合っている時から「いずれ富山に戻ろうと思う」と言われていたし、「老後は田舎暮らしか~」程度にしか考えていなかった私にとって、まさに青天の霹靂。まさかこんなに早くその「いずれ」がやってくるとは…。
でも、田舎でのびのびと子育てするのも悪くない。何より都会での子育ての息苦しさにうんざりしていたこともあり、新天地をめざすつもりで快諾した。
サラリーマンでそこそこ高収入だった夫はあっさりと仕事を辞め、移住が現実となったわけだが、
なぜそれほどまでに夫は早く実家に戻りたがるのか?
この時は私も新生活への期待に胸を膨らませていたので気に留めていなかったが、今ならわかる。
「家父長制」的な考え方が、彼の心の中に深く根付いているからこそ出た言葉だったのだ。
夫の実家は農家だ。
築50年以上の古民家で部屋は余るほどあり、数回泊まっただけの家は、住むというよりは旅館感覚で新鮮だった。
そんな旅行気分も束の間、私を待っていたのは夫の母による「嫁」教育だった。
私は結婚が遅く、移住をした時は40歳。それまでの人生は、自分の意思で自由に生きてきたし、人生とは自分で決められるものだと信じていた。
それが、自分という個人ではなく、「嫁」という役割を押し付けられるようになったのだ。
そもそも、家父長制ってなんだろう?
「家父長制」とネットで検索すると、ウィキペディアでは『家長権(家族と家族員に対する統率権)が男性たる家父長に集中している家族の形態』とある。
この形態は、明治時代には「家族制度(家制度とも呼ばれる)」として制度化され、一般家庭にも浸透したが、戦後廃止されているにも関わらず考え方が根強く残っている地域もある。特に農村ではその名残が顕著だ。
まさに夫の実家がそうだった。
夫の実家は代々農家で、長男が家督を継ぎ、土地と墓を守り続けてきた。
それは知っていたが、夫からは、「現在は兼業農家で営農組合に加入しているから昔のような大変さはない。農作業は気にしないでいい」と言われていたので、そのつもりだった。
負の感情は、どこからきている?
ここで冒頭に戻り、「Rethink」してみる。
私の富山に移住してからのモヤモヤは、古い慣習である「家父長制」的な考え方により、半ば強制的に「〇〇家の嫁」という枠に押し込められた窮屈さから生まれてくるものなのだと、思い込んでいた。
でもそれも、郷入っては郷に従えで、いい「嫁」を演じていれば義父や夫は優しく、私に何かを強要してくることもないし、家族は義母以外、私のすることに対して寛容だった。
移住して1年経った頃から、仕事を始めたことで個の自分を表現できる場ができたし、都会にいた時に夢見ていた「のびのびとした子育て」は、叶っている。
「家父長制」的な考え方による窮屈さは、私の中のモヤモヤをかすってはいるが、一番の原因ではないのではないか。
ここでさらに「Rethink」してみる。
移住する前、家父長制のイメージとして、「家長に従え?長男信仰?ナニソレ」といった具合で、時代錯誤も甚だしいと思っていた。
しかし、地方に住み、この5年間同居してそれがちょっと変わってきた。
代々受け継がれてきた土地や墓を絶やさないという目的のためには、「家父長制」という手段は有効であったということ。
その代償として、生まれた順位や性別によって役割が決められ、個人が犠牲になったのもたしかだが、バトンを繋ぐことが大事と思っている彼ら彼女らの人生そのものを否定してはいけないということ。
被害者だと思っていたら実は…?!
私が感じていた「負の感情」の根本にあったのは、「家優先」「長男大事」という概念を強要してくるのは「家父長制」の被害者だと思っていた女性なのかもしれない…ということだった。
私の場合、夫の母に意見すると必ずこう返ってきた。「(子どもではなく)お父さんを一番に考えないと家がまわらない」「お義母さんはもっとひどかった」「私は家事も育児もやった上で畑仕事もした。それに比べればあんたはマシ」
そして、こちらに移住してから長男を授かったとき、近所の女性たちに言われた「跡継ぎができてよかったね」という言葉。
薄々感づいていたのに、信じたくなくてモヤモヤしていたのだ。
男性は社会との接点がある分、昔より考え方がマイルドに変化しているが、女性は社会との接点が少なく、家にいる時間が長いことで「長男信仰」がより根強くあるのかもしれない。
「女の敵は女」…これも刷り込みの弊害なのかもしれないが、偏見を刷り込まれた女性は、同性にいつまでも厳しい。できれば、私はそうなりたくない。とはいえ、彼女たちを真っ向から否定するのも違うなと思う。
これからの時代、より多様性が求められていくことは自明だろう。
ダイバーシティの浸透が進む中で、相手の価値観を尊重することはすごく重要だ。
私の場合、夫家族の「家父長制」的な考え方、特に夫の母の価値観が理解できず、受け入れられなくて、そんな人たちとやっていけるのだろうか…と、すごく苦しかった。
また、自分の子どもを枠組みにはめないためにも徹底抗戦する必要があるかもしれない…とも思っていた。
従うか抗うか。
そんな二者択一に追い込んで苦しまなくてもいい。
受け入れることと理解することは、そもそも違う。
理解できなくても「そういう考え方もあるよね」と一旦は受け入れて、自分が考えていることは責任をもって言い続けたい。そこから、新しい家族の関係が生まれていくと信じたい。
LIVE番組をきっかけに、負の感情を見つめ直してみたら見えてきたもの。
それは、価値観が違う人とは共存できないと思い込んでいる自分の常識だった。
心の澱はまた溜まるだろうけど、溜まることが悪いことではなくて、たまにこうしてかき混ぜながら流していけばいいのかもしれない。
(執筆:澤田美樹、編集:磯本美穂)
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現在、ハフポスト日本版では「Rethink PROJECT(リシンク・プロジェクト)」とタッグを組み、立ち止まって「当たり前」をもう一度考える、「Rethink」のアクションを発信しています。
その一環で、8月14日に配信されたLIVE番組「この写真、あなたの指は止まりますか?6枚の日常から当たり前をRethinkしよう」は、こちらからアーカイブをご覧いただけます。
《Twitter》
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《YouTube》
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【出演者】
ぺえさん(タレント)
「ジェンダーフリーの謎のショップ店員」として一躍話題になり、竹下通りで「原宿の母」と呼ばれる。現在、全国公開中の劇場版『ひみつ×戦士 ファントミラージュ! 〜映画になってちょーだいします〜』ではアベコベ刑事役を演じるなど活躍の場を広げ、広い世代から支持を得る。
龍崎翔子さん(ホテルプロデューサー)
L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.代表。京都、大阪、湯河原、北海道の富良野と層雲峡に、合計5つのホテルを経営。
【監修】
田中東子さん(大妻女子大学)