ここ最近、キュレーションサイトの在り方が問題になっている。この問題の根底にはネット広告についての責任の在り方があるのではないか?
今や個人運営のブログでさえ広告を貼るだけで収入を得られる。そのため、個人または法人がホームページやブログに広告を貼ることが当たり前になってきた。残念なことに、その中には広告収入を得るためには手段を選ばない人たちがいる。
彼らはネットに散らばる真偽不明の情報を自ら検証せずに、真偽不明なままで記事にする。検証に時間がかからないため短い期間で大量の記事が作成されていく。同じ情報源を元に多くの人によって記事が量産されていくため、ネット検索をすると似たような内容の記事が検索で引っかかりやすくなる。検索した人は、似たような内容が多く検索に引っかかるため、その情報が正しいものだと誤解する。そして、新しく記事を書く人は、それらの真偽不明な情報の真偽を検証せずに正しい情報だと信じて記事を書く。この悪循環のせいで、ネット上には真偽不明の情報が氾濫する事態になっている。
私が大学生だった頃、レポートの課題があった。与えられたテーマに沿ったいくつかの参考文献をもとに、引用を多用して再構成するだけの稚拙なものであり、中身を理解せずにまとめてレポートの体裁を取りつくろっていた。やっていることは最近問題になったキュレーションサイトと同じである。違いがあるとすれば引用元を明示していることだろう。
ただ、当時参考にした文献の最後の方にはズラッと参考文献が掲載されていたことを覚えている。つまり、私がレポート課題に使うために引用した文献にも別の引用元があるのだ。しかし、私はその参考文献一覧の中身を確認していない。もちろん、実名でそれなりの地位がある人がその文献を書いているのだから、間違った引用はしてはいないだろう。また、お金を払って購入する書籍の場合、中身の信憑性は出版社が責任をとるのだろう。
それに比べ無料で見られるネット情報、ましてや個人の運営するブログとなるとどれぐらい信用できるのだろうか?今後はキュレーションサイトにおいて、責任の所在がハッキリするように執筆者の本名と肩書き、経歴が明示されるようになるだろう。しかし、本名や肩書きを明示されても、その肩書きが本物かどうかどうやって確認することができようか?疑えばきりがないが、今回の騒動はそのぐらい、ネット情報の信憑性を低下させた。
著者と出版社は責任を持った情報を提供する代わりに、対価として書籍を購入する。ネットで情報提供する場合、広告を貼るのであれば、スポンサーからの広告収入の対価として、責任を持って記事を作成しなければならない。
今回のキュレーションサイト騒動により、ネット情報の信憑性が高くなることを望んでやまない。