「個人」「会社」「地方移住」 3つの視点でリモートワークを実践

原稿を作ったり、Web制作をしたりというものだったのですが、在宅でできるので、派遣社員とアルバイトのWワークをしていました。

移住・交流プロジェクトを推進する「ココロココ」編集長の奈良織恵さんは、リモートワークという言葉も登場していない15年前に、地球の裏側ブラジルでリモートワークを実践した先駆者的存在。現在、会社を巻き込みながら「会社にいなくても働ける方法」を整備しています。さらにお父様の遠野移住や東日本大震災を経て、移住・交流プロジェクト「ココロココ」を立ち上げ。会社としても2016年9月、千葉県南房総市にサテライトオフィスを開設し、リモートワークを本格的に導入しようとしています。

「個人」「会社」「地方移住」の3つの角度からリモートワークを体験、実践している奈良さんの経験から見えてくるヒントを探ります。

奈良織恵(Orie Nara)

1998年慶應義塾大学総合政策学部卒業。同年5月、アルバイトとして株式会社ココロマチに参加、その後2カ月で同社の社員第一号となる。2000年、会社を休職し、ブラジルに半年放浪の旅へ。15年前に地球の裏側で「リモートワーク」を実践。帰国後、中小企業鑑定士の資格を取得し、2004年同社取締役就任。2013年移住・交流プロジェクト「ココロココ」を立ち上げ編集長に就任した。

ココロココ:http://cocolococo.jp

15年前に在宅勤務+地球の裏側でリモートワーク??

―今でこそ「リモートワーク」という働き方が広がってきましたが、奈良さんが最初にリモートワークを経験したのは、なんと今から15年前のこと。しかも、地球の裏側・ブラジルで半年に渡り実践していました。

奈良さん(以下、敬称略):大学4年生の前期で単位を取り終わったので、8月から半年間ブラジル旅行をしていたんです。帰国してもまたすぐブラジルに行きたくなって(笑)、「働いてお金を貯めてブラジルに行こう!」と、すぐ派遣社員で働き始めました。

でも、社会人経験のない私が派遣社員としてできることといえば、コピー取りや書類整理くらい。そんなとき、学生時代のメーリングリストで、今の会社(ココロマチ)のアルバイトの情報を発見。原稿を作ったり、Web制作をしたりというものだったのですが、在宅でできるので、Wワークをしていました。在宅勤務でもいろいろ任せてもらえるし、派遣社員よりもやり甲斐があって、おもしろい。それで2カ月後に正社員にしていただきました。

でも、そのときはまだ「腰掛け」のつもりだったんですよね。どうしても「もう一度ブラジルに行きたい」というのがあったので、お金が貯まるまでって(笑)。入社から3年後、その思いを知っている社長からも「一回行ってくれば」と言ってもらって、ブラジル行きを決行。

本当なら退職して行くと思うんですけど、これまたご配慮いただいて。会社の創成期だったからできたことかもしれませんが、社員の身分のまま、しかも社会保険も継続、お給料も月5万円くらいもらって渡航させていただきました。5万円あれば現地での生活費にもなるし、かなりありがたかった。なので、現地でも原稿を書いたり、Web制作したりしていました。今でいうリモートワークですね。

―当時はまだそこまで通信環境も整備されておらず、しかも異国の地。そう簡単にリモートワークができるとは思えません。

奈良:送別会の餞別で、CCDカメラをもらったんです。「これで日本とブラジルで会議をしよう!」って(笑)。今でこそSkypeやテレビ電話がありますが、当時はまだ珍しいですよね。そういう意味では、当時から社長にはリモートワークの概念や、新しいものを取り入れようとする姿勢があったんだと思います。

でも、私が半年間滞在していたのは、サンパウロやリオデジャネイロという都会ではなく、北東部のサルバドールという街だったんですよ。メールは繋がるし、最低限の環境はありましたが、まだそこまでは・・・。結局そのカメラを使った会議はほとんど開催されませんでした(苦笑)。

会社全体でクラウド化、Pマークによる課題も

―その当時に比べると、今の環境は雲泥の差。奈良さんの個人的な環境整備はもちろんのこと、ベンチャーのメリットを最大限に生かし、会社のシステム環境もどんどん進化中だといいます。

奈良:まず、自分のオフィシャルのメールアドレスをGmailに変更しました。会社のメールアドレスを使用している時ももちろん転送していましたが、やっぱり何かと不便。その後、会社全体のアドレスもGmailに移行しました。googleに集約することで、社員全員スケジュール管理も一括でできますし、みんなで更新しないといけないものもスプレットシートにすれば、会社にいなくても作業ができるので、googleに集約する意味は大きいと思います。

うちの会社はWebの会社なので、ある意味、中途半端にWebのことができるんですよ(苦笑)。メールサーバーも自社で立てていたり、システムを持っていたり。それが逆に足かせになってしまっていたんです。自社で保有していると、保守管理が大変で、身動きが取れない。だからここ4~5年前から、「クラウドにしていこう」という方向性になりました。

制作の進行管理には「RedMine(レッドマイン)」、営業系のものは「Salesforce(セールスフォース)」、そして「google」を使えば、ブラウザにさえ繋がればどこでも仕事ができる環境になってきました。企画書関連だけまだクラウド化できていないので、あと一歩です。

―とはいえ、リモートワークできる環境を整えるにあたって、見えてきた課題があるといいます。それが個人情報をはじめとする情報管理の問題です。

奈良:2006年から住みたい街探しを応援する地域情報サイト「itot(アイトット)」、2013年から移住・交流プロジェクト「ココロココ」を運営していますが、それ以外にも1997年の設立当初から、受託制作している案件が多数あります。その中で重要なのが個人情報の取り扱い。そのため、クラウド化を進めるよりももっと前の2004年に個人情報保護に関する認定制度であるプライバシーマーク、いわゆるPマークを取得しているんです。

Pマークで規定しているのは「個人情報」にあたる情報なので、普段のメールのやりとり等で問題が発生することは少ないのですが、「個人情報」以外の機密情報も含めて、それぞれの業務の中で扱う情報のレベル感を整理して、クラウドにのせるもの/のせないものを区別し、ルールを明確にする必要が出てきました。今後、会社全体でリモートワークを本格化するにあたり、社内ルールや就業規則などの見直しも必要になってくると思います。

地方の人は「仕事」と「暮らし」の距離感が近い

―「ココロココ」という移住を促進するプロジェクトに関わるため、出張も多く、地方の人とのやりとりも休日問わず発生しているとう奈良さんにとって、社外でも仕事ができる環境はもはやなくてはなりません。

奈良:地域活性のイベントは平日の夜だったり、土日に開催されることが多いんですよね。仕事といえば仕事だし、プライベートといえばプライベート。今は仕事とプライベートの境界線がなくなってきている状態ですね。地方の人って兼業農家をはじめとして、複数の仕事をいくつも掛け持ちしてる方が多くて、「仕事」と「暮らし」の距離感が近いので、こちらもライフワークバランスを「バシッ」と分けてしまうと逆にやりにくくなってしまうんです。

だから、「お給料なしの仕事」と捉えるか「仕事のおかげで楽しいつながりをもらえた」と思えるか。こういう状況を楽しめる人じゃないと、地域活性に関わる仕事は続かないのかもしれませんね。

―地方の人たちの対応はかなり柔軟。制約がある環境だからこそ生まれた知恵なのかもしれません。

奈良:地方では行政系の方と仕事をすることも多いですが、それこそ役所にはクラウドとかリモートワークの環境なんてないんですよ。でも、地域活性系の担当は柔軟な方が多いので、「17時以降はこちらに連絡ください」ってプライベートの連絡先を教えてくれたりします(笑)。

地域系の活動に興味がある人とは、時間や場所、環境を選ばないFacebookでやりとりすることが多いですね。イベントごとにページも作るし、プロジェクトごとにスレッドも立てます。

外部のライターさんや開発の方は地方在住の人も多いので、Skypeでミーティングしたりもしています。

―仕事もプライベートもボーダレスの毎日を送るほど、"地域"にどっぷりハマっている奈良さん。この「地方移住・交流」には並々ならぬ思いがあります。そのきっかけや原動力は、「第二のふるさと」の誕生にありました。

奈良:会社自体も、地域情報を手がけたくて、受託のWEB制作会社から地域コンテンツの会社に変わっていったというのもありますが、私自身がこのテーマに興味を持ったのは2007年に父が岩手県の遠野に移住したのが大きいですね。もともと両親とも東京育ちで、私は生まれも育ちも横浜。なので「帰省する田舎」を持っていなかった。だから、たまに帰る田舎ができたのがうれしくて、田植えや稲刈りがとても新鮮で楽しかったんです。

しかし、それから4年後、東日本大震災が起きました。遠野は沿岸部へのアクセスが良いこともあり、ホランティアセンターができ、私も参加するようになりました。それまでは、父の家に遊びにいっても、関わりがあるのはご近所さんくらいだったのですが、震災ボランティアによって、地元にも知り合いが増え、一緒に東北に通うボランティア仲間もできました。

私と同じように田舎を持たない東京出身のボランティア仲間は、今では毎年父の田んぼを手伝ってくれる田植え・稲刈り仲間になりました。

そうやって東北への思いが強まる中、仕事でも何かできないかということを考え、2012年に東北被災地のお店や観光スポットの再開情報や、ボランティア情報、地元で頑張る人たちのインタビューなどを発信するウェブサイト「東北へ行こう!」を立ち上げました。

このサイトの取材を通じて、東北が抱える課題は日本全国の多くの地方で共通のものなのだということ、その一方で、地方には町を元気にするための面白い活動をしている人がたくさんいるということに気づいたんです。実際、震災以降は若い世代の移住者も増え、地方でゲストハウスをつくったり農業を始めたり、これまでとは違う価値観で行動する人が増えたことを実感しました。それで、東北から全国にエリアを広げ、都市と地方をつなぐプロジェクト「ココロココ」をスタートしました。

サテライトオフィスでリモートワークを実践

―地方移住を推進する奈良さんの会社では2016年9月1日に、南房総にサテライトオフィスを開設しました。そこで名実ともにリモートワークを実践しようとしています。

奈良:これまでも、人と直接会って話をしないといけないことは会社でやりますが、集中して仕事をしたいときはPCを持ってカフェに行ったりして環境を変えていました。メールを打ったり、企画書を作ったり、原稿を書いたりするのはむしろ違う環境の方がはかどるので。

社内の他のメンバーをみると、制作チームは1日中PCに向かって仕事をしていることも多い。だから4~5人ずつのチームでサテライトオフィスに出社して、違う環境で仕事をしてみたらどうだろうかと考えました。

営業チームは都内にクライアントを持っていたりするので、同じようには行かないのですが、環境を変えてみるのは良いだろうと思って、熱海で実験合宿をしました。普段はなかなか話さないちょっと未来のことを話し合ったり、東京組と熱海組に分かれて、Skypeで会議をしたり。

南房総はすぐ海があって絶対遊びたくなると思うので、サテライトオフィスにいく人たちには、できるだけ土日をはさんで勤務して、南房総の週末を楽しんでもらえるように計画しています(笑)。

―奈良さんはずっと1つの会社にいながら、置かれた環境を活かし、周りの人たちを巻き込みながら、自分のやりたいことをすべて実現しています。何も手放さずに、実現する強い意志と実行力は、そのほんわかした雰囲気からは感じられないほど。「ココロココ」をウォッチしていると、「個人」「会社」「移住」の3つの観点から、リモートワークがこれから進む方向が見えてきそうです。

この記事の著者:吉田理栄子(Rieko Yoshida)

『トラベルジャーナル』編集部、『ロケーションジャパン』副編集長、編集長などを経て、2013年女児出産。産後半年で復帰するも、

1年半におよぶライフワークバランスの試行錯誤の末、2015年9月からフリーランスとなる。ライフワークである「旅」

「人」をテーマに取材・執筆活動を続けながら、独立後は「女性の働き方」を明るく、前向きに発信することを目指す。

http://team-animo.com

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