「性暴力と世界難民の日」

申し上げるまでもなく、性暴力は紛争地だけの問題ではありません。

 6月19日、20日と、日本人や日本社会と一見無縁の、しかし、切り離せない重要な記念日が続きます。6月19日は「紛争下の性的暴力根絶のための国際デー」、そして20日は「世界難民の日」です。

 申し上げるまでもなく、性暴力は紛争地だけの問題ではありません。日本をはじめとした先進国で、平時の社会においても日常的な出来事として発生しています。性的ハラスメントのニュースも後をたちません。

 しかし、日本を含む平時の先進国と紛争地とを、あえて区別するならば(決して日本や先進国で発生する性犯罪の被害が軽いものだと言っているわけではありません)、理由や原因、そして対応と対策という、2つの点で大きく異なると考えます。

 まず第一に、現在の日本を含む平時の先進国の性暴力が、個人や一部の犯罪集団による暴力であるのに対し、紛争地のそれは、国軍や反政府勢力などの武装組織や集団により攻撃や政策の一部として、組織的に行われます。個人の性的欲求や、日常生活の不満のはけ口として行われるのではなく、兵器と同じ攻撃手段の一つとして、あるいは敵対勢力への政治的攻撃の手段として、使われるのです。また報奨金や給与を払えない貧しい武装勢力が兵士に対する労働の対価として、占領した土地の女性や子どもに対する暴行を促す場合もあります。

 地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の活動に長く携わってきた者として、紛争地の性暴力を考えるとき、そこに地雷の使用との残酷な共通項があることに気付きます。性暴力は歴史とともにあらゆる戦争で行われてきましたが、しかし近年の紛争に限定して議論するなら、対人地雷と多くの共通する特徴があります。

 対人地雷は、紛争の質やアクターの変化(正規軍による国家間の戦争から武装勢力や不正規軍による紛争への変化)と呼応するように蔓延し、その背景には対人地雷の使用法の変化、つまり戦場での防衛を目的とした「戦術」兵器から、政情を不安定化するための「戦略」兵器へという変化がありました。

 もともと、陣地を守るなどの防御的な戦術兵器として誕生した筈の地雷は、戦闘員と非戦闘員の区別を意図的にぼかしつつ戦われるゲリラ戦や土地の占領を目的としない紛争、戦闘員よりも一般市民に大量の犠牲者を生んだ近年の民族紛争で、住民を居住地から追い出し無人化する、農地の使用を不可能にして敵対勢力の食物源を根絶する、難民を流出させる、交通・通信網を遮断し、住民の恐怖心をあおるといった特定の集団の崩壊を目的とする総合的な「攻撃・戦略」兵器として濫用されました。

 こうした紛争において性暴力も同様です。住民を恐怖におとしいれるために、母親や娘たちを家族の眼前でレイプし、男性を残忍な方法で殺害する、コミュニティの倫理や道徳に打撃を与える、意図的に妊娠させる(監禁して性的暴行を繰り返し、妊娠が判明するまで解放しない)、宗教や政治的背景から、女子の教育に異を唱える勢力が女子校を襲撃するといった行為です。

 第2の点。平時の先進国と紛争地の性暴力の違いは、その後の対応・対策にも表れます。多くの紛争中の国々や破綻国家、崩壊国家において、あるいはシリアのように突然紛争地となった国において人々の悲劇は、政府が、自国民を守る意思や能力(財政や統治など)に欠けるのみならず、その政府や国軍が、自ら国民に銃口を向けてくることです。

 本来国民を守るべき国そのものが加害者なのですから、性暴力の被害者となっても、国や自治体の支援を得るどころか、犯罪者の特定も、犯罪の停止も防止も一切なされることはありません。そこには先進国に住む私たちが当然のものとして期待する警察機構も、救急車も医療システムも病院も存在しません(あるいは破綻し、警察も残忍な加害勢力となっています)。法の支配どころか、法そのものが存在せず、裁判も刑務所もありません。伝統的な法もコミュニティとともに、崩壊している場合が多いのです。

 ハンナ・アーレントは、亡命するということは一般的な意味で政治的であることが個人の運命になるという趣旨の発言をしています。これを難民に置き換えると、平時には個人の運命とは無縁であったはずの、政治や紛争といった歴史的な出来事が、難民となるとそれがそのまま個人の運命になることを意味しているように思います。そこには庇護してくれる筈の国家という傘はなく、むき出しの、野ざらしの状態のまま、荒野に放り出されるのです。

 そしてさらに親や家庭という第2の傘さえない子どもたちが難民キャンプに大勢います。

 昨年、南スーダンとの国境にほど近いウガンダの難民キャンプで、両親を目の前で殺され、その兵士たちに何度も性的暴行を受けて妊娠し、女の子を出産したばかりの14歳の少女に出会いました。孫娘とともに命からがら逃げてきたおばあちゃんが言います。「この赤ん坊は敵対勢力の性的暴行の結果だと周りの人はみな知っていて、陰口をたたく人もいる」。

 両親と妹と祖母と平和に暮らしていた、どこにでもいる少女。ある日を境に、南スーダンの歴史や政治そのものが彼女の人生、運命となりました。その少女、ローダちゃんの言葉が忘れられません。「赤ん坊を育てたい。それ以外に何ができるでしょう」。

 2018年の「世界難民の日」。野ざらしの状態で、無防備に暴力的な世界と向き合わなければならない、6000万人を超える国や故郷を追われた人たち。そこにいたのは私たちだったかもしれません。私たちが何かしても世界は変わらない、とはどうぞ思わないでください。この世界を変えてきたのは、普通の人の小さな一歩の積み重ねです。私たちにできることが必ずあると思います。

【報告者】

AAR Japan[難民を助ける会]長理事 長 有紀枝

AAR Japan[難民を助ける会]

2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授(茨城県出身)

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