日本中がオリンピックに沸く中、難民・移民政策に関わることで、実はいくつか重要なことが発表されていました。その一つが、平成29年の日本における難民認定者数の速報値です。
昨年、日本において庇護申請したのは19,628人で、同年に日本政府が難民と認定したのが20人、難民とは認定せず人道的な配慮を理由に日本における合法的在留を認めた者が45人だったそうです。これについて、認定者数である20を申請者数である19.628で割って「難民認定率が0.1%にまで下がった」という批判をチラホラ目にします。
確かに認定人数があまりに少ないので、イギリスの知識層に広く読まれているガーディアン紙にも比較的詳しい記事が掲載されたくらいなのですが、では一体この「難民認定率」とは、何なのでしょう?
この「0.1%」という数字は、2017年に日本において庇護申請を行った者の数を分母として、同じ年に日本政府によって難民と認定された人の数を分子として、分子を分母で割ったものです。一見科学的にみえるこの難民認定率には、実はいくつかの落とし穴が隠されているのです。
第一に技術的な問題ですが、日本においても諸外国においても、難民認定とは大変な作業なので、認定までに数年かかるケースが少なくありません。日本においても庇護申請してから難民と認められるまで平均して2年以上かかると言われています。
とすると、2017年に日本で難民と認定された人(20人)のうち多くは、2017年よりも前に庇護申請した可能性があります。従って、この20人は実際には19.628人の中に含まれない可能性があるので、分子と分母の中身がズレてしまうのです。もし「2017年に日本で庇護申請した19,628人のうちたった20人しか認定されなかった」などといった表現を見たら、日本の難民認定制度の基本をよく分かっていない人が書いた文章だと思った方が良いでしょう。
このズレを正しく直すには、一件一件申請者と認定者を比べる必要が出てきて、作業としては非常に煩雑になってしまいます。そこで国際的には、難民認定率は、ある年にある国の政府や(准)司法機関によって処理された件数を分母とし、難民として認定された件数を分子とし、分子を分母で割ることが一般的です。当然これでも、上で述べた分子と分母の「中身のズレ」は解消されるとは限りませんが、一応の妥協策として採用されています。
この計算方法に則ると、平成29年の日本における処理人数は11361人とのことですので、難民認定率は0.17%となります。ただいずれにせよ、非常に低い数字であることには間違いありません。
次に、以前のブログでも書いた通り、少なくとも理論上は難民認定率は100%でも0%でも構いません。というのは、このブログの文脈で言う難民認定作業とは、自力でその国(例えば日本)に辿り着いた外国人で庇護申請した人が、「1951年の難民の地位に関する条約」の第1条A(2)に定められている難民の定義に当てはまるかどうかを確認する作業です。申請者がどの程度事前に難民条約上の難民の定義をきちんと理解しているか分かりませんし、密航業者などに騙されてウソの難民の定義を吹き込まれている可能性も大いにあります。しかも、受け入れ国側(例えば日本)は、どんな庇護申請者がどこからいつ何人やってくるのか、全くコントロール不可能です(最近はコントロールしようとする欧州の国もありますが、本来はしてはなりません)。
そうすると、ある年にどんなに多くの外国人が日本において庇護申請しようとも、もし全員が難民条約上の難民の定義に該当するならば、全員が難民認定される可能性もあり、逆に、もし全員が難民条約上の難民の定義に該当しなければ、いわゆる認定率がゼロになってしまう可能性も、少なくとも理論上はあり得るのです。驚くかもしれませんが、「人道的」という一般的イメージがある北欧諸国でも2000年代初頭には、難民認定率が1%を切っていた年が少なくありません。
最後に、上の問題を克服する目的で、庇護申請者の出身国に着目して、同じ国(例えばスリランカ)からやってきた庇護申請者の認定率がA国(例えば日本)では非常に低いのにB国(例えばオーストラリア)ではずっと高い、これはおかしい、といったような分析も見られます。確かに、同じ国からやってきた庇護申請者の認定率を比べるというのは、一定程度意味のあることかもしれませんが、この議論も残念ながら完璧ではありません。というのは、難民認定作業とは、庇護申請者の出身国の一般的状況がどうかという客観的根拠と同時に、その人自身にどれだけ「迫害のおそれ」があるのかという主観的要素も大いに加味される必要があるからです。言い換えれば、例え同じ国の出身者でも、難民認定される人とされない人がいても、そのこと自体が問題だとは言えないのです。私自身が以前勤務していたスリランカでも、タミル人であればほぼ全員難民に該当するだろうと思われる時期がありましたが、シンハラ人の多くは一般的には政府による保護が期待できる状況でした。また同じミャンマー出身者でも、ビルマ族とロヒンギャでは「迫害のおそれ」の強度が全く違うでしょう。
逆の側面から言えば、UNHCRの2016年報告書によれば、幸福指数が世界一とされているノルウェイ出身の難民が世界で10名、デンマーク出身の難民が2名、スイス出身が6名で、実に日本出身の難民も世界で59名いるとされています。出身国や国籍国がどこの国かだけでは、その人が難民かどうかを断定することはできません。従って、同じ出身国の庇護申請者の日本における認定率が、他国における認定率よりも低いからといって、直ちに日本の難民認定が厳しすぎるとは言えないのです。
唯一言えるとすれば、例えば日本において庇護申請して難民不認定処分を受けた同一人物が、その後で他国で全く同じ主張と証拠・証言に基づいて庇護申請して難民認定された場合には、日本の難民認定基準が厳しすぎる(あるいは他国の基準が緩すぎる)という議論が初めて可能になるでしょう。
同時に、全く同じ理由から、日本における庇護申請者の出身国がフィリピン、ベトナム、スリランカ、インドネシア、ネパールなどで、「大量の難民・避難民を生じさせるような事情がない国々から来ている」という日本の法務省の理由づけも、説得力が弱いと言わざるをえません。数が大量かどうかという話と、個々の庇護申請者に迫害のおそれがあるかどうかは、全く別の話です。ある国からの庇護申請者が1人だろうが100万人だろうが、個々人が難民条約上の難民の定義に合致すれば、難民として認定し保護する法的義務が日本政府にあります。
例えばフィリピンのドゥテルテ大統領の政策は、難民条約上の迫害の定義に完全に合致するような人権侵害(例えば超法規的殺害など)を含むというのが、大方の国際的見方と言えるでしょう。
難民認定率が全く無意味な数字とは言いませんが、以上の理由から、「日本の2017年の難民認定率が0.1%だから、日本の難民認定基準が厳しすぎる」と直ちに結論付けるのは、やや拙速と言わざるをえません。同時に、「日本で庇護申請する人の出身国が世界的に見て代表的な難民出身国とは異なるから、難民認定数が少なくても良いんだ」という議論も、説得力に欠けるのです。
さて、実はオリンピック開催中には、このブログで述べたこと以外に、移民政策でも大変重要な政策がいくつか決定・発表されました。それについては、次回のブログで解説してみたいと思います。