10年前、ある小児科の医師が、当時は医学的に解明されていなかった十数人の小児間質性肺疾患の患者たちに会った。患者たちはその後、急激に症状が悪化して死んだ。間質性肺疾患は、原因は不明だがさほど発生率は高くなく、急激に症状が悪化することも珍しい。しかし、ありえないというわけではない。目の前で起きたことを信じるのが医師の仕事だ。彼はこの患者の命を脅かす「怪質」を前に真剣に悩み、科学的にアプローチしようとした。
翌年春にも原因不明の怪現象が発生すると、彼は本格的に戦いを始めた。しかし、呼吸器学において科学的に原因を究明する難しさは想像を絶する。人間は24時間休まず呼吸する。大気には、有害と考えられるすべてのものが混ざっている。死体焼却場、ゴミ埋立地、放射性物質処理場、肥料工場、黄砂、PM2.5、花粉、お香、芳香剤、殺虫剤、香水、ペット用品、水や薬、食品、細菌、ウイルスなど、すべてが原因の可能性がある。そして、同僚を通じて事例を収集した原因不明の肺疾患の患者数百人は、全国に均等に分布していたが、人口に比べても少ない数字だった。
これを解明するため、彼は極めて科学的な方法で厳しい戦いを始めた。あらゆる検査方法を総動員し、すべて答えるのに2時間以上かかる設問も作った。全国の類似の患者を集めて論文とデータを重ね合わせ、同じ空間にいた人たちが同じ病気になることが多いと明らかにした。そして、科学的に有意に説明可能な原因を発見し、実験で明らかにした。それが加湿器殺菌剤だ。
結局、2011年の大規模な疫学調査で真相が明らかになり、原因は加湿器殺菌剤と確定。その製品は全て販売中止または廃棄処分となった。この悪魔のような製品が市場から消えた後に、原因不明の疾患は韓国では発生しなくなった。科学的なアプローチと個人、そして学界の情熱が成し遂げたことだった。
5月2日、ソウルで謝罪会見したオキシー・レキットベンキーザー社の日本・韓国法人代表、アタ・シャフダー氏。発生から5年後にようやく謝罪したことに怒った遺族がつかみかかり、平手打ちを食らわせた。
惨事の原因は、日常生活に必要不可欠でもなく、政府が許可して「人体には無害です」と書かれ、大企業と大型スーパーが絶賛販売していた「殺菌剤」だった。この悲惨な過程を時間を追って振り返ってみよう。
最初「加湿器殺菌剤」は、この世に存在しなかった。1994年、韓国の化学メーカー「油公」が「加湿器殺菌剤」を世界で初めて「開発」する。そして2001年、問題となった成分、PHMG(ポリヘキサメチレングアニジン)とPGH(塩化エトキシエチルグアニジン)を含む製品が誕生する。PHMGとPGHは、当時広く使われていた殺菌剤で、人体の皮膚に毒性が比較的少なく、様々な用途で使われていた。しかしPHMGは、人間の肌に触れる殺菌剤としては十分な研究結果があり、人体に使用できると許可されていたが、加湿器に入れて呼吸器に噴霧した場合、人体にどのような影響を与えるのか分かっていなかった。
その物質がそれまでいくら安全とされていても、吸収方式が異なる場合の研究は再びなされなければいけない。PHMGを呼吸器に使用するために依頼を受けた科学者たちも一様に「安全性は確答できません」と答えた。しかし、科学者ではなく、開発者と販売者、そして許可を出した政府の官僚は、そう考えなかった。「PHMGという物質が今まで使われていたのなら、加湿器殺菌剤に使えない理由があるか。安全だ」。このような簡単なプロセスで、恐ろしいことに、韓国は加湿器殺菌剤が許可され、使用される唯一の国となった。
そして、2000年代初頭、加湿器が広く使われ始め、健康への関心と呼吸器疾患への脅威が社会的に叫ばれた。すると加湿器殺菌剤を製造・販売している企業は、すでに許可を受けた製品の宣伝に熱を上げる。「加湿器は、ちょっと掃除しないだけで、湿度が高いので細菌が簡単に繁殖します。加湿器の水蒸気は直接人体に吸い込まれるので、この製品を使わないと、あなたは細菌を吸っているのと同じです」「人体に安全な成分を使用して、子供にも安心」
今思えば背筋が凍るようなフレーズだが、この宣伝は人々に呼吸器疾患の不安をあおり、加湿器殺菌剤を使う安心感を与えた。この過程で、世界に類を見ない市場が開拓され、イギリスの企業オキシー・レキットベンキーザーに続き、洗剤メーカー「エキョン」、大型スーパーのホームプラス、ロッテマート、Eマートなどが参入する。2011年に販売禁止になるまで、新型インフルエンザなどの好材料を背景に年間60万個が売れた。他の国では1個も売れない間に起きたことだ。その結果は、よく知られている通りだ。政府が認定しただけでも95人が死亡し、300人以上が生涯にわたる後遺症を患った。被害は今でも現在進行形だ。
振り返ると、互いに過信していた。売り手は許可した政府機関を信じ、政府は目の前の見えない危険を判断できる自浄能力がなかった。そして、消費者と推定される全国の800万人は、彼らを信じるしかなかった。しかし800万人のうち、意外に少ない約100人の死者と300人の患者数も、この原因を究明するのに困難を極めた。おそらく明らかになっていないか、または埋もれた死者が明らかに存在することを示唆している。とにかく、この過程で「原因から結果」を探ろうという科学的な努力は皆無だった。一人の科学者が「結果から原因」をさかのぼろうとするまででは。
この責任は多角的に分析しなければならない。安全不感症に悩む国家という垣根の中で起きた極端な事件だ。この製品の販売まで関与したすべての政府関係者と、人間の幸福と尊厳を担保に売上を上げた企業。この事故は、私たちが経験した多くの惨事を再び浮かび上がらせる。最近では官僚と企業が人間の命で危険な賭けを繰り広げ、最終的に海に沈没したセウォル号だ。だから、この事件を「家の中のセウォル号」と呼んでもいい。
この過程で、科学をはじめ専門家の意見が無視されたことも共通している。この恐ろしい一連の事件で、第三者が科学的に原因を明らかにするまで、関係者で合理的な疑問を抱いた人は誰もいなかった。こうした惨事で専門家の意見を聞くプロセスが丸ごと無視されている点が、実に恐ろしい同一線上にある。これは、官僚と企業の安易さを再びあらわにする大きな課題であり、責任であり、政府が自由でないという点を示唆している。
この加湿器殺菌剤を製造し、経済的な利益を得て、馬脚を現す人々の心境はわずかながら理解できる。政府は最初から自分たちの製品を許可しており、自分たちの製品が100人を殺害し、数百人の悲惨な患者を生み出すなど夢にも思わなかったのだ。大企業がこの事態を予見していれば、悪魔のような存在は生み出されなかっただろうと十分に察することができる。
しかし、この問題は、業者の立場で理解されるべきではない。被害者は本当に何の過失もなく、体にいいというこの製品を信じて使用した。そして、被害者を襲った間質性肺疾患、人間の肺が末端から繊維組織化されて固まっていく病気。この病気の恐ろしさは、直接経験した人と、横で見ていた人だけがかろうじて理解できる。人間が酸素を得るために最大限の努力で息を吐いても、生存に必要な酸素を十分に得られないという苦痛から始まる。
ほこりの多い空気や黄砂の中にいるとき、一時的に感じる苦しさとは次元が違う、息が締め上げられる感じだ。誰かが自分の上に乗って胸板を圧迫したり、人を硬い壁の前に立てて、等身大の合板で圧迫したりする感じ。短時間でも気が遠くなる苦痛だ。これは治療できず、一生その体に残る。この苦しみで首をかきむしり、機械に頼っても生存に必要な酸素を得られないと、死に至る。そして、生存者は余生を通じて、寝るときや食事にも、押しつぶされるような呼吸で息をつがなければならない。さらに被害者は、室内で主に暮らしていた女性や小児がほとんどだった。この苦痛を誰が理解し、また、誰が責任を負うのか。明らかなことは、この被害者は明らかに無実で善良だということだ。
そして、発生から5年の経過も深く絶望的だ。この製品を許可した政府が、2012年に加湿器殺菌剤が安全だという虚偽表示をしたという理由で、製造者のオキシー・レキットベンキーザーやホームプラスなど4者に、課徴金5200万ウォン(約482万円)を課したのが、現在までになされた処罰の全てだ。被害規模と生存者の苦しみを考えると、一般的には納得がいかない金額だ。
この事件で、私たちが忘れてはならないことはあまりに多いが、一つだけ、人間の尊厳がどんな行為よりも優先されるという事実だけは忘れてはならない。私たちは、この首を締めつける苦痛に人間として十分に共感し、また感情移入することができる。そして、現在起きている不買運動という実力行為は、現実的な安全装置と許可制度を修正するのに先立ち、私たちが人間の尊厳を崇高に考えていることを示す行為だと、私は科学者の一人である前に、善良な市民の人として信じる。
この記事はハフポスト韓国版に掲載されたものを翻訳、要約しました。