「ゲイでもスポーツの世界で夢を叶えられる」プロラグビー選手のサム・スタンリー

ラグビー選手の一族に生まれた彼は、スポーツ界のステレオタイプに挑む。
Gianni Cipriano for HuffPost

Photos by Gianni Cipriano

(イギリス・ロンドン発)サム・スタンリーは、イギリスのラグビー界では孤立した存在だ。

イングランドのラグビーユニオンクラブ、「サラセンズ」の元選手は、2015年のインタビューで、カミングアウトした。彼は、同性愛者であることを公表した初めてのイギリスの現役ラグビーユニオンの選手となった。そして、イギリス国内の、カミングアウトをした数少ない男性アスリート達のグループに仲間入りした。

27歳の彼は、ラグビー界の最も有名な家族の一員で、さらに34歳年上の男性と交際中であることも明らかにした。

反応は?

「最悪です、本当に」とサムは述べた。「1つは『金目当て』と呼ばれたこと。そしてみんなそれに便乗していました」

彼とパートナーのローレンス・ヒックスは、あまり気に留めないようにした。

「私たちにとって、自分たちの様な関係を代表するのは素晴らしいことです。そして、ゲイのスポーツ選手であることに前向きであることや、ゲイの若者たちにスポーツの世界で夢を叶えられるということを示せると願っています」


サムは、ラグビー一族の元に生まれ、プロの選手になることはもはや「運命」であった。彼にはその血が流れていた。彼の兄のマイケルはサモア代表で、3人の従兄弟たち全てがプロのラグビー選手だった。彼の伯父、ジョー・スタンリーは、ニュージーランド代表オールブラックスの一員で、1987年のワールドカップでの優勝経験もある。

「そこから、私の父はいつも彼の兄の足跡を追い、最終的には自分の子供たちをラグビーの世界に入れたんです」と、サムは語った。「たぶん、私の父と彼の兄弟は、最高峰のレベルにすることが可能だと気がついたんだと思います」

彼のニュージーランド人の父とイギリス人の母は、ニュージーランドからイギリスへ引っ越し、1991年にサムが生まれた。4歳で、すでに彼は地元のラグビークラブのレギュラーになった。しかし、試合に夢中になるにつれ、彼は自分が兄弟や友達と違うことに気がついた。彼はゲイだった。

「私はそれが単なる一時的なものであることを願っていました」と彼は言った。「当然、成長するにつれ、みんなゲイという言葉を侮辱的に使います。それを受け入れ、ラグビー選手になることは困難でした。それら2つは見合わないし、両方はできないと思いました。どちらか1つしか選べない、と」

16歳の時、サムは家族から離れイングランド最大のプロクラブ、サラセンズのラグビーアカデミーに加入した。それは彼が、自分のセクシャリティーを受け入れようとするのと同時期だったが、マッチョで異性愛のイメージが強いラグビー界でゲイを公表することは、2007年には考えられなかった。

「私は、幼いときからとても自立していました。それは自分自身を知るのにとても役立ちました。しかしそれは、チームメイトとの付き合いや、関係を築こうとする場合には足枷になりました。たぶん、ある種のブロックだったんだと思います。自分なりの」とサムは言った。

「私は明らかに違っていましたが、月曜の会話や冗談のほとんどが、誰と寝たか、どの女の子を家に連れて帰ったかでした。そして言うまでもなく、私はできるだけその会話を避けようとしていました。だから、私はするべきだった関係の強化をしませんでした」

彼のチームメイトに本当のことを話すことができなかったのは、彼の最大の後悔の1つだ。「嘘をつかなきゃいけないと感じていました。1つのことをしているのに、チームメイトには別のことをしていると伝える。それは、自分自身で課した大きな負担でした」

公表していないことはとても重い負担だった。サムは、自殺を計画したが、結局彼は母親に打ち明けた。「最初は、あまり受け入れられてもらえなかったんです」とサムは認めた。「でも母は、もっと保護的な立場で見ていたんだと思います。私のラグビーのキャリアに影響を与えたくなかったからです。実際、約1年程は、誰にも言わず黙っていました。私の元彼女と向き合うまでは」

彼の幼馴染みで昔のガールフレンドだったレミは、全てを変えてくれた親友だった。彼らは今でも親友だ。「振り返ってみると、母の言いたかったことがわかります。彼女は私を守りたかったんです。でも、もし私が先にガールフレンドに打ち明けていたら、公へのカミングアウトはもっと早かったでしょう」と彼は言った。「家族に話したとしても、クラブの地位の高い誰かが同性愛嫌悪で、巧妙な方法でチームから追放されるということも十分あり得ました。そのリスクは常にありましたが、最終的には、私が自分自身を受け入れると、全てのことが少し楽になりました。そして今、私の両親と兄弟は、私が自分自身を受け入れたことに対してサポートしてくれ、喜んでくれています」

ラグビーセブンスでイングランド代表としてプレーした後、サムはイギリスのサンデー・タイムズ紙のインタビューで同性愛者であることを公表した。イングランドのラグビー選手、ベン・コーエンにアドバイスを頼ってからの判断だった。彼もゲイであり、いつもLGBTQコミュニティーの力強い支持者だったからだ。「私は彼に会い、更衣室での選手たちと彼の体験談などを聞きました」とサムは述べた。「明らかに、からかいもありますが、それが人々に与える影響を認識してはいません。ベンは実際に私をジャーナリストに紹介し、ストーリーが公表されました」

Gianni Cipriano for HuffPost


サムが自分の性的指向を公表してから、4年が過ぎた。しかしこのスポーツは、LGBTQのアスリートを受け入れるにはまだ長い道のりがあるのは明らかだ。私たちのインタビューはオーストラリアのラグビースター選手、イスラエル・フォラウが、同性愛者に「地獄が待っている」とツイートしメンバーから外されたちょうど1週間後に行われた。サムはすぐにソーシャルメディアで反応した。そして彼の仲間のプロラグビー選手の多くはフォラウの発言をふまえて、LGBTQコミュニティへの支持をはっきりと主張した。

しかし、イングランドのスター選手、ビリー・ヴニポラは含まれなかった。サムのサラセンズ時代のチームメイトのひとりで、フォラウのコメントに「いいね」を残し支持した。彼はこれに対しサラセンズのクラブとイングランドラグビーユニオンから警告を受けた。

「私は、ビリーとプレーをしていた時、同性愛者を公表していませんでしたが、公表後にも彼に会いました」サムは言った。「昨年、試合で彼に会い、少し話をしました。ビリーは実はとてもいい人で、ある意味、それはただ彼の信念です。ゲイであるラグビー審判のナイジェル・オーウェンがそれを上手く言い表しました。ただ人を尊重するということについてです。あなたがそれを信じるかそれともあれを信じるかどうかにかかわらず、私たち全てただ存在するという目的を必要とし、人々はそれを神と宗教の中に見出します」

「でも、憎しみを広げるために、宗教を利用しないでください。そして人々はゲイであることは選択と考えます。それほど無知なのに一見知的を装い、そのような意見を持っているのは心配です」

サムは、フォラウのコメントに対する反応は励みになると考えている。しかし、スポーツの世界での同性愛嫌悪者が危険であると感じている。非常に多くの若い人たちがプロのスポーツ選手を尊敬しているからだ。

「それが私がイスラエルについて指摘したことです。彼はロールモデルです。そのようなコメントをするつもりなら、少しの反発を予測する必要があります」と彼は述べた。

「世間の目に晒され、カミングアウトをしたので、もちろん、かなりの数の若者たちがそれについて私にメッセージをくれました」とサムは言った。 「しかし、もし私が若いアスリートで公表をしていない時にビリーのようなチームメイトのコメントを聞いたら、私は自分の殻に閉じこもったと思います」

「若者たちは、このようなことや、受け入れてもらえない恐怖で自殺をします。私たちはこれを止め、偏見なく人々が自分自身でいられるように努力しています。このようなコメントは私たちを数歩後退させます」

現在、サムは自身の交際に焦点を置き忙しい。2017年にヒックスと婚約後、ラグビーのピッチに戻り、少年時代に所属していたエセックスにあるスロックスのクラブでプレーをしている。「ローレンス(ヒックス)と私は約9年一緒にいます」彼は言った。「良いときも悪いときもありますが、お互いを深く愛していれば、それも切り抜け、乗り越えられると思います」

ゲイの関係について、子供が欲しいかどうかなど...ルールブックはありません。ローレンスには2人の子供がいて、彼は私よりずっと年上であるため、常に考がえるべきことがあります。子供はいる?私たちはいつもそれについて話してきました。それは私たちが考えてきたことです」

「怪我を乗り越えるために、昨年から1年半、ラグビーから少し離れました」と彼は付け加えた。 「私はキャリアのかなり早い段階でけがをし、そのことがいつも私を悩ませました。今は、ラグビーが恋しくて、カムバックしたかったのです。しかし、今シーズンは終わりました。私は若い頃にプレーしていたチームで再びプレーしています。ちょっと感動的な時間でした」

いくつかの挫折にかかわらず、サムは彼の功績が証明できることを願っている。カミングアウトをして、それを誇りに思い、プロのレベルのスポーツ選手になれることを。「それを残せたと願っています」と彼は言った。「私はゲイを公表しているラグビー選手でも、様々な実績を持つことができた。そして、同じような状況にあるかもしれない若者に影響を与えることも」

50年前の6月、ニューヨーク市のあるバーで暴動がおきた。警察によるLGBTQの人の理不尽な取り締まりが発端となった反乱は、事件があったバーの名前をとって「ストーンウォールの反乱」と呼ばれ、その後に続いた抵抗運動はやがて世界を、そして歴史を揺るがした。

私たちは今、ストーンウォールの後の世界を生きている。

アメリカでは2015年に同性婚が認められた一方で、現在トランスジェンダーの人たちの権利が大統領によって脅かされている。日本ではLGBTQの認知が徐々に広がっているが、学校のいじめやカミングアウトのハードルがなくならない。2019年のバレンタインデーには同性カップル13組が同性婚の実現を一斉提訴し、歴史的一歩を踏み出した。

6月のプライド月間中、ハフポストでは世界各国で活動する次世代のLGBTQ変革者たちをインタビュー特集で紹介する。様々な偏見や差別がある社会の中で、彼らはLGBTQ市民権運動の「今」に取り組んでいる。「Proud Out Loud」ー 誇り高き者たちだ。ハフポストは心から彼らを誇りに思い、讃えたい。

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