【はじめに】
保育士女性を妻に持つ28歳の男性の全国紙への投書記事がネット等で大きな議論を呼んでいる。
妻が働く愛知県の私立保育園では、保育園運営を円滑化(保育園運営に支障をきたさないため、と記事にはある)するための勤務調整として勤務する保育士に園長が妊娠時期を割り当てる「妊娠順番制」がひかれているという。
そして、それをはからずも破って妊娠した彼の妻は保育園に謝罪したが、その後も園長から嫌味をいわれるなどの肩身の狭い状況が続いている、という投書である。
この投書に関して、多くの批判が上がっている。
法律の専門家からは
「妊娠・出産の時期は個人の権利であり、それを強制するのは人権侵害である」
「強制はたとえ明文化されていても、民法90条の公序良俗に反する規定として無効」
という見解が示されている。
つまり、法律的に「個人の自由」であることに対して制限をかける行為であるので、紛れもなくハラスメントである、ということである。筆者もこの見解に異論はない(*1)。
しかし、この「妊娠順番制」の問題の本質は「人権侵害」だけではない。
日本という国が全体として(機運として)妊娠・出産にもつ「大いなる誤解」がベースとなって発生している事案であると考えている。
(*1) 妊娠順番制については低出生率が続く韓国においても、国家人権委員会が2016年に女性医療従事者の人権を侵害する「妊娠順番制」などの慣行の改善を促す勧告案を、雇用労働部や保健福祉部(いずれも日本の省に相当)などの政府機関に提出すると発表した。
国家人権委員会が前年の2015年に12の病院を対象に調査した結果では、女性研修医の7割超と看護師、看護助手の4割が「好きなときに妊娠できない」と回答。看護師、看護助手の4割以上が言葉による暴力を経験したと回答。身体的暴力があったとする回答も1割超となった。
【どうせ順番がくれば産めるんだから、という単純な発想】
この制度の仕組みは、
①妊娠希望者がいる
②事業運営の邪魔にならないよう妊娠の順番を決めて休みを割り当てる
③割り当てた時期に、産んでもらう
である。
権利侵害の問題は②においてフォーカスされがちであるが、それは当然として、③についても実は大きな問題が潜んでいる。
そもそも③が成立するためには最低でも、以下の要因がそろう必要がある。
a 夫婦そろって、割り当てられた時期に「事故・病気・精神状態」等、生殖器関係以外の身体要因で妊娠準備不能状況に陥っていないこと
b 夫婦そろって、割り当てられた時期に「生物学的に」受精が順調な状態にあること
c 夫婦そろって、割り当てられた時期に「夫の転勤・仕事環境等、不可避な妊娠阻害外部要因」がないこと
わかりやすく一言で言うならば、この制度の③について「割り当てられた時期にその夫婦がともに産める状態にある保証はどこにあるのか」という問題が見落とされている、ということである。
どうせ順番がくれば産めるんだから、という、子どもを授かることが可能な状態をあまりに軽視しているがゆえの単純な発想が、この制度を作り上げてしまっているわけである。
【順番制はどのような影響をもたらすのか:3人の妊娠希望者の場合】
少子化対策の研究の一環で、諸外国の出産状況を見ている筆者からすれば、「妊産適齢期」という言葉は実に社会的な誤解をもたらす言葉であると感じている。
「妊(娠)・(出)産」が可能なのは女性であるから、妊産適齢期というと、まるで女性の適齢期問題のように印象づけてしまう危険性がある。
筆者は必ず「生殖適齢期」と表現している。生殖機能は男女両者が持ち、両者に関わる適齢期の意味が強まる言葉であるからである。
ちなみに世界保健機構(WHO)の発表では、不妊原因の5割は男性が関わる要因である。
「妊娠順番制」を小さな(巨大な組織で適齢期の男女が入れかわりたちかわり休業・復帰するのであればこの順番制はそもそも不要である)組織がもつと、どういうことが起こるだろうか。
育児介護休業法(第5条)により、日本では原則子どもが1歳になるまで育児休業を取得可能である。3人の妊娠希望者(Aさん、Bさん、Cさんとする)がいたとすると、最初に順番が割り当てられたAさんが妊娠・出産・フルの育児休業の経過後、復帰するのに、2年弱程度はかかることになる。
そうすると、最後の順番のCさんが割り当てられる期間が来るまでに、妊娠・出産が順調にいっても「法定どおりに1年ずつ休業復帰するならば」4年くらいが経過する。
希望者が3人いたら、最後の人のカップルは、最低4年程度、授かろうとすることを待て、という制度といえる。
ここで「育児休業をそれぞれ1年もとらなかったら?」という議論があるだろう。
確かにそうすれば産前6週間・産後8週間経過後に(産前産後休暇・母性保護規定)最速復帰ができるため、期間短縮化は可能(とはいえ、Cさんは2年程度待つことになる)である。
そのために、妊娠順番制の存在は「より早く復帰しなければ仕事が回らない」という一般的にある「職場運用」早期復帰プレッシャーに加えて、「後ろに続く順番待ち女性への1日も早い妊娠希望達成への配慮」早期復帰プレッシャーまでも押し付けることになりかねないのである。
いずれにせよ、妊娠順番制の存在によって
「順番待ち1人当たり1~2年の生殖とりくみ時期の先延ばし」
「他の順番待ち女性への配慮として、早期復帰を従業者に強要する機運」
が発生する。
【 「生殖適齢期への国民理解」こそが少子化を打破 】
職場サイド都合でヒトの生殖時期を先延ばしにしてもいい、という発想がある背景には、潜在意識かもしれないとはいえ「その気になれば相手さえいるならヒトはいつでも産める」という、あまりにも無知な発想があるからだろう。
実際は「その気になれば相手さえいるならヒトはいつでも産める」わけではないことが統計的に示されている。以下にその一例を示したい。
OECD諸国の女性の第1子平均出産年齢と合計特殊出生率(以下、出生率)の相関係数はマイナス0.43であり、その国の女性の第1子平均出産年齢が上昇するほど、出生率が低下することが示されている(図表1)。
つまり、少子化を問題視するのであれば(注:しないのであればスルーしても構わない)、そこに「今授かりたい」男女がいたならば、彼らが1日でも早く取り組める環境を社会が与える・取り組めるように協力することが重要であることがわかる。
妊娠順番制のような本人の意図を無視して「妊娠先延ばしを強要」しかねない制度は、まさしく「産まれる子どもの数を減らす」制度であることを、図表は示している。
「その気になれば相手さえいるならヒトはいつでも産める」という発想がもたらす暴力が、1日でも早くこの社会から消えることを願ってやまない。
関連レポート
(2018年4月23日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
生活研究部 研究員