なぜ、採用した学生がうちの会社に合わないのか。なぜ、入ってからこんなはずじゃなかったと思うのか。採用の失敗には2つのタイプがあるという話を以前書いた。ひとつは「ポストに対して能力が足りない場合」、もうひとつは「仕事への覚悟をもたせられない場合」である。
前者は、自社のポストに必要な条件が決まっているが、その学生に能力や経験が不足している場合である。医師や看護師、弁護士といった資格の必要な職業、理系の特定分野の研究職の場合などだろう。文系の学部生を採用する企業の場合、こういうミスマッチはかなり少ない。日本語の読み書きができないといった明らかに日常のビジネス業務に差し支えることでもない限り、能力の欠如といった点から落とすということは少ないだろう。ところが、学生たちは「資格をとって、知識をつけて就活に臨みたい」と言う。簡単に取れる資格なぞ、たいしたことはないのだ。ないよりはあったほうがいいという程度である。「ちょっとした資格ならがんばってとることができた」なら、今後の仕事で必要になったら「ちょっとした資格」なら取れるのだろうなという手がかりにはなるかもしれない。
実際のミスマッチは、どちらかというと後者「仕事への覚悟をもたせられない場合」が多いだろう。日本の新卒一括採用でよく見られる、会社のどこに配属してもまずまず大丈夫な学生を採用したい場合、ポテンシャルを見越して採用する場合に起こる。たとえば「土日が休みじゃなきゃ嫌だ」と思っている学生を、土日が勝負の営業職や販売職として採用するのは容易ではない。「企画の仕事がしてみたい」と思っている学生に倉庫での商品管理や店頭での販売の職に就かせるのは難しい。
このミスマッチを解消していくプロセスが、学生にとっての就活時期であり、企業にとっての採用プロセスなのだ。
正直なところ、仕事なんてやってみないとその大変さも楽しさもわからない。土日に接客を重ね、お客様の家に訪問して口説くことで得られる人間のつながりの楽しさ、そんなものは入る前にわかるわけはないのだ。企画なんて最初からできるわけもなく、毎日販売を繰り返すうちに顧客の行動や声を拾うことで体得していけるかもしれない。商品が適切に届けられることがいかに大事かなど、死に物狂いで物流を維持していくうちにわかるのかもしれない。
「働くことの意義や楽しさや大変さなんてわからないけど、働くことへの覚悟がなんとなくできていく」のが、就活のプロセスなのだろうと思う。だから、企業が仕事について語ることや、内定式や入社式といった儀式で学生と交わす約束が大事なのではないか。
働くことを「会社という組織にぶらさがってなるべくラクして給料をもらうこと」と捉えている学生に就職は無理だ。そんな学生にぶら下がられたら、たまったものではないからだ。また、「なかなか良い学生に出会えない。良い学生はいませんか」と言ってくる企業も厳しいだろう。覚悟を決めさせるプロセスを放棄して、すでに覚悟ができた学生を欲しがっても、そんな学生は他の会社にさっと採られてしまっている。
学生にとっては、「社長が倒れても俺がなんとか会社を支えるよ」だとか「○○さんと一緒に働いてみたいから入社したい」だとか、そういった気持ちが大事なんじゃないかなあ。