マーケティング担当者の半分以上がデジタル技術を使った戦略に自信がないー。コンピューターソフトの会社アドビシステムズによる最近の調査がそう伝えている。ソフトウェアをもっと販売したがっている「アドビ社が手がけた調査だから、そんな結果が出るのだろう」といってしまうのは早計だ。
確かに、同社は私たち全員がデジタルの祭壇にひれ伏すべきだと思いたいに違いない。しかし、全米の1000人のマーケティング担当者を対象に行った調査は驚くような結果を出した。
例えば、デジタル技術を活用したマーケティングについての知識を備えていると答えたのは48%だけだ。活用についてトレーニングを受けたことがある人はほとんどおらず、実際の仕事を通じて学んでいた。
自分の会社のマーケティングが効果的に働いていると答えた人は40%。「デジタルを使ったマーケティングが威力を発揮している」と答えた人は9%のみだ。
現在、世界の広告市場の25%がデジタルになっているのだから、この調査の結果に懸念を覚える人がいても不思議はない。
インターネットには人と人をつなぐという素晴らしい力がある。この点を否定する人はいない。しかし、マーケティングは それ以上のものだ。相手の注意を捕らえ、説得し、心変わりをさせ、モノやサービスを買ってもらうところまで持ってゆく行為だ。
だからこそ、グーグル、マイクロソフト、デル社やそのほかの企業が、インターネットのみならず新聞やテレビの広告にも投資している。ネット利用が広く普及しているため、バーチャルな世界でサービスを展開するのは非常に良い選択肢ではあるけれども、ネットの中でだけ存在するのでは、消費者にとっては視界の外にいるのも同然となるからだ。
デジタルへの熱狂(もしあれば、だが)の中で消えつつあるのが、マーケティングとは目的、メッセージ、そのメッセージを運ぶチャンネルがセットになっているものであることの認識だ。
米マーケティング学者フィリップ・コトラーは、製品を3つのレベルで考えた。核となる提案、これを支える恩恵、そして付随する要素、例えば配布・流通だ。
先日、ある広告主が私にこう言った。今後、それぞれが異なる目的を持つ16のデジタル・チャンネルを作ることを計画しているという。一つ一つのチャンネルがブランド全体のコンセプトを反映し、顧客に高い投資収益率(ROI=リターン・オン・インベストメント)を数字で示すことができるという。
デジタルメディアの1つの魅力は利用状況について計測が可能なことだ。ただし、何でも計測できるとしても、果たして正しい要素を測っているだろうか?
例えばウェブサイトの利用者の10%が、ある広告をクリックするという結果が出たとしよう。素晴らしい結果かもしれない。しかし、そもそもの「利用者」たちが、ネット以外のチャンネル(例えば街頭・車内広告、新聞、テレビ、ラジオなど)でもリーチできる人の20%だったら、評価はどうなるだろう?
こんなことを言うと古臭く気難しいやつと言われそうだが、デジタル言語を話せても、新聞についてはほとんど知らず、テレビといえば親が見る(保守的な)米フォックステレビのことだと思うような、聞いたこともないような学校でメディア学を勉強した若者たちが発するアドバイスが大量にマーケティング担当者に送りつけられていて、驚くことがある。
先の話に戻れば、 同時に16のデジタル上のチャンネルを作ろうと考える広告主は、新聞の説得力としての価値をまったく認識していないように思う。
このデジタル時代に、メディア業界の課題とは、印刷の価値について広告主を再教育することであり、同時にコミュニケーション戦略を決めるマーケティング担当者たちがデジタルメディアの活用戦略についていけていないと告白していることを理解することだ。
メディア界にとっては大きな機会ともいえる。
一つのやり方は、小規模の広告主のデジタル活動を支援することにあるだろう。米国では、2012年、「デジタル活動・マーケティングサービス」から生じた収入が前年比で倍増しているのだ。
英産業家リーバヒューム卿(1851-1925年)の悪名高い言葉に「広告に使ったお金の半分は無駄になった。問題は、どの半分がそうなのか分からないことだ」がある。少なくとも半分は有効だったと考えている点で、かなり楽観的な見方だったともいえよう。
(翻訳:小林恭子)