来週15日から臨時国会が始まります。国会閉会中に改めて宮城県を訪問し被災地を視察してきました。東日本大震災から2年半が過ぎた被災地は今、どうなっているか。住民の方はどう思っているのか。行政の取り組みは進んでいるのか。企業は復興にどうかかわっているのか。私の目線から見た被災地の現状を二回にわたって報告します。
初日に訪れたのは仙台空港のある名取市。名取は仙台市の南隣に位置し、沿岸部の閖上(ゆりあげ)地区を中心に大津波が押し寄せて多くの住民や住宅が被害に遭った地域です。まずは震災前から閖上で営業し、被災した店舗が集まって昨年2月にオープンした仮設商店街を訪問しました。
その名も「閖上さいかい市場」。事業の「再開」と客との「再会」を掛け合わせたものです。二階建てのプレハブには24店舗7事業所が入居しており、おいしそうな魚介類が並ぶ鮮魚店、惣菜も豊富な精肉店、地酒を並べた酒店、理髪店などまさに地域の商店街でした。お昼の時間だったため、飲食店に入る地元の方たちで駐車場は満杯。週末になれば観光客も押し寄せるそうです。
うまくいっているかのように見える商店街ですが、商店主の方は不安と戦っていました。名取では5000軒以上の建物が半壊以上の甚大な被害を受けましたが、現地で再建するのか、それとも高台に集団移転するのか行政が決めかねています。そのため、今後の事業の方向性を決めることができないのです。
地元には「元の街にもう一度住みたい」「津波はこりごり」など様々な意見があります。議論をしても堂々巡りで結論が出ないこともあるでしょう。だからこそ、政治による決断が欠かせません。原発の被災地と同様に政治・行政が「ここは住める地域」「ここは住むべきではない地域」と早急に決断しないと住民が将来を描けず、いつまでも不安と隣り合わせの生活を余儀なくされます。意見をよく聞いた上での政治決断が必要なのです。
次に訪れたのは30年の歴史がある「ゆりあげ港朝市」です。近海で獲れて閖上港に水揚げされた新鮮な魚介類や地元産野菜が並び、大手スーパーより3~5割安い値段で新鮮な食材が手に入るそうです。毎週日曜日と祝日の朝6時から4時間だけの営業にもかかわらず、震災前は5000~1万人が集まる人気の朝市でした。
朝市の会場も津波で跡形もなく流されました。「復活は不可能」とまで言われましたが、実に震災から二週間後の3月27日には大手スーパーの駐車場を借りて再開したのです。足りない商品を補うために被災した倉庫を回り、使える食材を片っ端から集めたそうです。「やると決めたらやる」。商店主たちの行動力が驚くほどの早期再開を実現させたのでした。
ゆりあげ港朝市では今、新たな出店者を募っています。理事長からは「外部からもどんどん来てほしい」と呼び掛けられました。外部からの出店が増えれば競争が激しくなり、既存の出店者が不利になる可能性もあります。しかし、理事長は既存の出店者を守ることよりも、賑わいの方が大事だとはっきり言い切ります。賑わいがなければ客は来ない。当たり前のようですが、こうした全体の底上げへの着眼をすることこそがリーダーの決断です。
午後は仙台市内で行政やマスコミの方から話を聞きました。強く感じたのは「被災地にとって『元に戻す復旧』と『前に進む復興』のどちらが大切か」ということです。東北地方が震災前、大いに栄え、経済が活性化していたのなら前者で構いません。しかし、実際には人口の流出や地域経済の停滞が続いていたのが現実です。
元に戻す復旧では同じことの繰り返しです。本当の復興を遂げるには震災前と違うことをしなければなりません。それには「スピーディーな決断」と「外部からの知恵と人材の導入」が必要です。変化を恐れていれば東北の本当の復興は叶いません。
(この記事は「中田宏のオピニオン」に掲載された10月11日付記事の転載です)