某新聞社のアンケートによれば、今後10年間のうちに、海外への留学生が3割以上増えるという大学が全体の約半数、海外からの留学生が3割以上増えるとの見通しをもつ大学が全体の約3分の1だそうだ。
グローバル人財育成の重要性はあらためて言うに及ばず、質が問われるとはいえ、人数の増加は悪いことではない。問題は、大学が海外で勝負できる人財を数多く輩出できたとして、その人達を社会がどれだけ活かせるかだ。
ある会議で、トップ経営者の一人は、「留学生を採用したが、社員とのコミュニケーションがうまくいかなくて摩擦を起こすし、日本人の生活習慣も知らないし、大学はもう少し日本語を勉強させて常識的社会人となるような教育をしてほしい」と発言していた。
しかし日本と同調する人を採用したいのなら、最初から日本人をとればいい。海外マーケットに目を向ける経営者は、日本人にない発想、日本とは異質な世界との接触を留学生に期待するのではないか。別の経済人から「英語しか話さない人間が会社にいることがいいんだ。」との発言もあったが、まさにダイバーシティ(多様性)の価値を自らの生き残りのためにどれだけ真剣に考えているかが、この発言に如実に現れている。
大学も国際的な競争の中で、外からの優秀な留学生が刺激となって、大学の研究教育環境を変えることを期待するが、それは大学自身が変わろうとしていることのあらわれだ。
就職となると企業は学生を選ぶ立場だが、優秀な人財を使いこなせる企業かどうか、学生から選ばれる立場でもある。日本の産業界は自分たちがどう変わろうとしているかを留学生はじめ世界に見られていると考えた方がいい。
最初から終身雇用を考えない海外の留学生は、会社への忠誠心を売るのではなく、自分のスキルを売る。だから徹底的に自分のスキルを磨き、次のキャリアアップに有利な企業に就職する。日本の企業はそのような学生の獲得競争に勝ち残れるのか。
地方ではせっかくの留学生が地元で就職機会がないと嘆いているが、留学生を活かせる企業がないとすれば、そのこと自体に産業界はもっと危機感をもつべきではないか。