はじめまして。フリーライターの渋井哲也です。私は地方紙の記者を辞め、1998年8月からフリーになりました。そして家出や援助交際をしている人たち、自傷行為をしたり、依存症になったり、自殺願望を抱いている若者たちの話を聞いてきました。そうした経験を踏まえて、子ども・若者たちの「生きづらさ」を主なテーマとして取材をしています。
「生きづらさ」の背景には、虐待やいじめ、体罰、家族/友人関係の不和、喪失体験、失恋などがあったりします。少年犯罪やネット犯罪など、不可解と思われる事件の裏側を見ると、その当事者たちが抱えていた「生きづらさ」が浮き彫りになることがありました。最近でも秋葉原殺傷事件、出会い系カフェ殺人事件、耳かき店殺人事件などでもそうした背景を見ることができます。
これまで取材した人のうち、把握している数としては、20人弱が自殺などで亡くなっています(「など」としたのは、そのとき自殺の意思があったかはわからないのですが、薬を過剰摂取した結果、亡くなった人もいるためです)。
■援助交際の背景にあるもの
「生きづらさ」というテーマに興味を持ったのは、今から考えれば大学生の頃でした。その頃、子どもの権利、児童福祉、教育問題、少年犯罪、虐待について関心がありました。関連のNGOにも関わったりしていました。その後、新聞記者になり、不登校や保健室登校などを取材するうちに、メンタルな問題にも関心を寄せたのです。
また、1994年に自らのホームページを作ったときに、援助交際をテーマにしたところ、アクセスが増え、当事者からメールがくるようになったのです。やりとりをしていると、援助交際をする中高生の心理は単純なものではなかったのです。
たとえば、ある女子高生は「父親を求める行為」に近いと話していました。実際の父親には甘えられない。だから、甘えられる大人を父親が代わりとして探しているというのです。そして、甘えられた「お礼」としての性行為をするのです。
また、ある女子中学生は自殺願望がありました。「どうなってもいい」「殺されてもいい」という自暴自棄の気持ちがあったというのです。出会い系サイトで知り合った人の間で殺人事件が起きたことがありますが、そのニュースを知り、アクセスしたといいます。もちろん、この他にもさまざまな理由があります。
■ネットは「生きづらさ」を解放する?
私が「生きづらさ」という言葉を使い始めたのは1998年ごろです。取材で話を聞いた女性が発した言葉がきっかけです。ただ、このころは「生きづらさ」という言葉は一般的ではありません。そのため、メディア等で書く場合は、言い換えや定義付けをよく求められました。
私の処女作『アノニマス ネットを匿名で漂う人々』(情報センター出版局)は、生きづらさを抱えながら、インターネットではけ口を求めている人たちを追ったものです。このとき、タイトルに「生きづらさ」を入れたかったのですが、「わかりにくい」という理由で、帯で入っただけでした。
今では「生きづらさ」という言葉がよく使われ、タイトルに入った書籍も見受けられます。使用している人は定義付けをしている様子は見られませんが、説明不要になったということは、言葉が定着したと言えるのでしょう。
私はインターネットの匿名的なネットワークは、日常の「生きづらさ」から解放されるために、生きやすくなる道具だと思っていました。日常では出会うはずのなかった相手との出会いによって、生きやすくなっていた多くの若者に出会いました。
その一方で2000年ごろになると、インターネットがあったから自傷行為を覚える人たちが多くなったこと、抜け出したくても抜けられないこと、2003年にはインターネットで知り合った人同士で自殺する「ネット心中」が起きたことで、むしろ「生きづらさ」が強化されることもあると思うようになりました。こうした経験を通じて、今では、両方の面があると思っています。
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このブログでは、「生きづらさ」について書いて行きたいと思います。また、2011年3月以降は、取材の多くを東日本大震災の被災地に費やしています。そのため、被災地の現状についてもレポートできればと思っています。