例年、ゴールデンウィークにアメリカの首都ワシントンは、日本から訪れる閣僚や国会議員であふれかえることで知られる。
私も1週間ほどワシントンに滞在し、前半は過去2年にわたってプロジェクトに参加してくれていた議員を含む、国会議員3名、研究者3名とともに、元政府高官や有識者と意見交換を重ね、また私の恩師である故・山本正(日本国際交流センター理事長)記念セミナーを、フォーリン・アフェアーズ誌の発行で知られる外交問題評議会にて開催した。
ワシントンで、日本と日米関係について感じたことは、大きく言って4つある。
第1に、アベノミクスの第1、2の矢である金融・財政政策には理解を示す声が大きい。この背景には、中国の成長が著しい世界において、同盟国として、またあらゆる側面でのパートナーとして日本には強くいて欲しい、とにかく長期安定政権を作り、実行力を持って欲しい、という政治的な期待感がある。もちろん、TPP交渉への参加表明も明らかに評価されている。
他方で、第3の矢である成長戦略には、ほとんどの有識者がその内容に不安を隠さない。2月にもワシントンを訪問したが、その時からあまり現地の反応に変化を感じ取れなかった。日本経済の成長を実現できるプランの実行力を、まだ信じ切れていないということだ。
第2に、憲法96条の改正に理解を示す専門家は、誰一人いなかった。言うまでもなく、アメリカで日本を専門とするものには同盟関係者も多いため、彼らは集団的自衛権の行使によって、日米の防衛協力が進展し、また自衛隊の国際活動が増加することに期待をみせてきた。しかし、時の多数派によって容易に変更が可能になる憲法の危うさを感じているようだ。(なお、アメリカ憲法も硬性憲法であり、連邦議会上下両院の3分の2で発議され、そして全州の議会4分の3の批准が改正に求められている。以上の制約下でも、アメリカは多くの憲法修正を行ってきた歴史を持つ。)
第3に、尖閣諸島に対する中国の相次ぐ挑戦に対しては、当初日本に対しても国有化決定のプロセスによって不信がもたれていたが、現在では概ね、中国こそ現状を変更しようしているとの理解が広がってきた。この背景には、日本政府の努力に加え、南シナ海、さらに中印国境でも中国が積極的な動きに出ていることもある。それゆえ、長年の友人は、日本は安保条約に関連してアメリカの約束を取り付けるだけでなく、もっと問題を国際秩序全体への挑戦として位置づけるべきだと主張していた。
なお他方で、別の有力な専門家は、可能性の低い上陸よりも偶発的衝突を防ぐための仕組み作りを急ぐべきであり、日本も法的な立場で譲る必要はないが、外交面での対中交渉に積極的な姿勢を示すように、強く主張していた。アメリカの主流の考えには、台頭する中国がもたらすリスクに備えつつも、中長期的に中国と共存できない状況をもたらす政策をとるべきではない、という大前提がある。米中関係を改善しようとする動機も常に存在しており、日本が阻害要因になることには率直に不安を示す。
最後の点になるが、訪米直後の麻生財務相を含む閣僚の靖国参拝、また首相による参議院予算委員会での侵略の定義に関する発言を受けて、安倍政権の歴史認識について、ワシントンでは厳しい空気が支配的だった。空気の政治はワシントンも同じである。主要紙が相次いで厳しい社説を掲載したが、有識者の懸念も明らかで、参院選後への不安が隠せないようだった。
アメリカは、日本は今後の世界成長を牽引するアジアで中心的な役割を果たせるかどうか、アジアの政治対立、軍拡競争を加速してしまわないかと考えている。この問題で波風を立てて欲しくない、というところが大きい。また、人権を重視するリベラルにとっては、河野談話の見直しはレッドカードになりかねない雰囲気になっている。
たしかに、2月の首相訪米とそれ以後の動きで、TPP交渉参加、普天間ヘリポート移設のための申請、ハーグ条約加盟への手続きは始まった。日米関係のチェックリストは大きく埋まった(全てに私は賛成するわけではないが)。しかし、歴史認識問題はそれとは関係のない文脈で理解されており、他方ここでアメリカからの信頼を失うと、尖閣をはじめ、同盟としての根幹を議論することへの障害にもなりかねない。
ここで、歴史認識について私は議論しているわけではないことはおわかり頂けるだろう。問題は国際世論を誰が読むことが出来るのか、ということだ。安倍政権は時に高い外交センスを発揮しているが、4月の一連の動きは、果たしてどこまで結果を読み切った上での行動だったのだろうか。話せば分かるは価値観の多様な国際社会では通じない。相手国の利害計算、タイミングを見極めた行動こそが、求められる。