■ 国家論のタブーを打ち破れ
今月、太平洋戦争の終戦から70年を迎える。
僕は終戦時に国民学校の5年生だった。ひとつ下の学年と違って、戦前の歴史を学び、軍事教練も受けていたので、戦争を知っている最後の世代と言ってもいい。その最後の世代として、あの戦争が間違った戦争だったということを、若い世代に伝えなければならない。80歳を過ぎ、その使命を強く感じるようになっている。
だが、戦争がダメだと一辺倒に言うだけではいけない。
太平洋戦争を回避できなかったのは大失敗であったという悔恨の意識が、日本人の戦後の出発点にある。僕たちの世代までは「とにかく戦争はいやだ」というのが最大の価値観になった。僕自身、いまでもその価値観にどっぷりと浸かりこんでいる自覚がある。
しかし、その結果、戦後においては安全保障について一切考えないことが平和だという間違った認識が広がり、日本人は国家について真剣に考えることがなくなってしまった。いわゆる「戦後リベラル」は対案を出さず、批判ばかりを繰り返してきた。
京都大学教授だった国際政治学者の高坂正堯が、かつて僕に言ったことがある。
「1970年代、80年代には、日本では経済論議はとことんすることができた。しかし、国家論をやり出すと保守反動だと決めつけられ、国家論議ができなかった」
たとえば、田中角栄も「公共のために」という言葉は使ったが、「国家のために」という言葉は使えなかった。戦後日本において国家論はタブーだったのである。
日本を取り巻くパワーバランスが変化し、改めて安全保障のあり方が問われる現在、その国家論議の厚い壁を打ち破り、徹底的に議論するべき時期に来ている。
■ 戦後論だけではみえない、日本の国家としての本質
戦後70年を機に、現在の日本の国家としての問題は何か、そして、それをどうしていけばいいかを、作家の猪瀬直樹と語り合ったのが7月10日に出した『戦争・天皇・国家』である。
『戦争・天皇・国家』角川新書
書店ではすでに戦後史を総括する本がたくさん並んでいて、さまざまな主張が展開されているが、猪瀬は「戦後だけを論じても問題も解決策も見えてこない。黒船来航に端を発する150余年の近現代史をたどってみる必要がある」と言う。
本書では、まず序章で猪瀬により、日本の近現代史を概観してもらっている。『昭和16年夏の敗戦』や『ミカドの肖像』、『黒船の世紀』、『東條英機 処刑の日』などの著作で独自の視点から戦争・天皇・国家に関する史実を掘り起こしてきたが、「猪瀬史観」として論稿をまとめたのは今回が初めてだ。
そして、この猪瀬史観をたたき台に、日本が直面した戦争をはじめ天皇や国家の問題について対論した。明治時代から近代をとらえなおすことは、猪瀬が作家になって以来の一貫したテーマである。それだけに、私の知らない隠された事実についてもずいぶんと話を聞くことができた。
中でも、日本が黒船の来航や「白船」の来航を通じ日本がずっと外圧に脅かされてきたこと、太平洋戦争に敗れてから70年、そして冷戦が終結して20年以上経つ今なお様々な主権を奪われ、属国のような状態が続いていることがよくわかった。そして猪瀬が『昭和16年夏の敗戦』で調べ上げたような、開戦をもたらした縦割り組織による意思統合不能の史実を知ると、昨今の新国立競技場についても同じようなことが起こっていることがよくわかる。
■「ディズニーランド」から脱出し、未来を語れ
猪瀬は戦後日本を「ディズニーランド」と評する。太平洋戦争でアメリカに完膚なきまでに叩きのめされた日本は冷戦構造の下、ひたすら経済発展に取り組み、中国にGDPで抜かれるまで世界第二の経済大国でもあった。しかし、その実態は、国際社会における弱肉強食のリアリティから隔離された一国平和主義だった。そしてそれは様々な代償をアメリカに払うことで成立してきたものである。
だが、冷戦が終焉し、アメリカが世界の警察を止めた以上、日本も「ディズニーランド」の中にとどまっているわけにいかなくなっている。そして経済成長も行き詰まりを見せ、日本人は新たなビジョンを必要とする時代に入っている。
今後、日本はどのような針路をとるべきか。政府の考えと地元の住民との思惑が違う沖縄の基地問題をどうするか。欧米と対立するイスラム世界と日本はいかにかかわるか。領土侵犯を繰り返す中国とどう対峙するか。日本が自立国家として生きていくためには、本来考えなければいけない問題は山積している。本書を基に、ぜひ読者一人ひとりに今後どのような国家を目指すべきかについて考えてみてほしい。