こんばんは、都議会議員(北区選出)のおときた駿です。
今日は次女の発熱により1日在宅勤務をしていたのですが、そうなるとTVを見る時間も増えるわけで、かなりの時間をワイドショー・報道番組が山尾志桜里代議士の不倫疑惑に費やしておりました。
(画像はWikipediaより)
民進 山尾志桜里氏が離党届 既婚男性との交際報道受け
これに対して山尾氏サイドの動きは早く、7日夜には早くも離党届を提出したようです。
こうした一連の動きや報道に対して、肯定や否定、様々な意見が百花繚乱といった様相を呈しています。中には「政治家と不倫」についての歴史をまとめた大作記事もありました。
「不倫疑惑」が報じられた政治家は? 山尾志桜里氏への『文春砲』で振り返る
上記の記事でも言及があるように、日本でもかつては「政治家たるもの、愛人の一人や二人くらいいるのが当然だ!」と言わんばかりに許容されていた時代がありました。また、フランスやイタリアなどでは、首相クラスの政治家に平然と愛人がいたりします。
そういった文脈でなくとも、三浦氏のように「個人の恋愛や貞操感は、政治家としての資質に関係がない」と見る向きもあります。大雑把に双方の言い分をわけるとこんな感じでしょうか。
【欧州・昭和型理論】
・政治家としての資質と不倫等のプライベートは関係がない
・政治家といえど家族間の問題であり、他人が口を出すことではない
・どんなスキャンダルがあっても、政治家として成果を出していればそれで良い
【現代日本型理論】
・政治家は国民の規範でなければならず、不倫などもってのほか!
・家族を幸せにできない人間が、国家のことを考えることができるのか
・欲に負けて理性をコントロールできない人間に、政治家が務まるはずがない
...こればかりは考え方の違いですからね。双方の言い分にそれなりの理があると思います。
ところが今回の場合、というか最近の政界にとみに多いことですが、ここに「ダブルスタンダード問題」がのしかかります。
山尾氏は後者の「現代日本型」論客として、これまで舌鋒鋭く不倫問題などを起こした議員・政党を追及してきました。
こうした負い目があるので、今さら本人が「欧州・昭和型」に舵を切って開き直ることができるはずもなく、支援者が擁護するのもかなり苦しいという展開になっています。
なので今回、「男女の一線を超えていない」ことの証明が限りなく不可能である以上、山尾氏が事態の沈静化のために早々に離党を決断したのは、ある意味で正しい行動だったのかもしれません。
質疑応答がなかったので、事態は収束しない恐れはありますけども...。
■
不倫を肯定するものではありませんし、政治家は国民の規範であるに越したことはないと思いますが、私個人は政治家がどこまでも聖人君子である必要はないと思っています。
特に過去を掘り下げれば人間いろいろありますし、政治家だって間違えることはあります。それをすべて突き回していけば、有為な人材で政治家になろうと思う人がいなくなってしまうかもしれません。
政治家の出処進退は政治家自身と有権者が決めるものであり、問題が発覚したら説明を尽くし、それを聞いた有権者が次回の選挙で審判を下すのがあるべき姿ではないでしょうか。
一方で、こうした不倫問題を政争や報道合戦の具にしないためには、常日頃から政治家自身が
「個人・家族の問題でしょ。そんなことより、政策の話をしようぜ!」
という姿勢を保っていくことが重要なのでしょう。スキャンダルが発生した際に、
「私と家族・恋人の問題でしょう、あなた方になんの関係があるんですか!仕事はきちんとしてますよ!」
と一喝し、なおかつ次の選挙で平然と当選してくるような議員が生まれれば、こうした状況に一石が投じられるのかもしれませんね。
...なかなかハードルが高そうですが。。
とりとめもない考察になりましたが、それでは、また明日。
(2017年9月7日「おときた駿 公式サイト」より転載)