今年7月にリリースされると同時に、世界中が熱狂したのがスマートフォンのゲームアプリ『Pokémon GO』です。
AR(拡張現実)の技術によって、歩いている道や身近な公園でスマートフォンをかざすと目の前にポケモンが現れる──
室内でプレイするという従来のゲームの概念を突き破り、外で楽しむという新しい"風"をゲームやスマートフォンに吹き込んだ革新的なアプリは、2016年を象徴する大きな社会現象となりました。
その熱狂を生んだのは、日本とアメリカにいるメンバーたちのいくつものひらめきとそれを形にするチームワークでした。場所もカルチャーも異なる仲間がどうやってつながり、『Pokémon GO』を作り上げたのか。ナイアンティック社とポケモン社のそれぞれのメンバーに聞きました。
エイプリルフールの企画がきっかけ
─世界中で爆発的なヒットとなった『Pokémon GO』。どういういきさつで生まれたのでしょうか?
ナイアンティック社・村井:当時Googleに勤めていた野村達雄(現・ナイアンティック社・ゲームディレクター)が2014年のエイプリルフール企画で「ポケモンチャレンジ」 グーグルマップを使ってスマートフォン上でポケモンをゲットするゲーム)を発案したことがきっかけです。実はこれには、須賀も関わっています。
株式会社ナイアンティック 代表取締役社長 村井説人さん
ナイアンティック社・須賀:そうなんです。野村とは過去に2度、エイプリルフール企画を一緒にやっていて、結構労力を取られるので、もうかかわるのはやめようと思っていたのですが(笑)、野村から三度目の声がかかったんです。ポケモンをマップ上に出したい、と。
―元ネタがエイプリルフールの企画だったとは!そこからどうやってポケモン社とつながりが芽生えたのでしょうか。
ナイアンティック社・須賀:たまたま、私の友人がポケモン社に勤めていましたので、知人を通じてこの企画をポケモン社で挙げてもらいました。ものすごく勇気のある行動だったと思いますが、企画案をポケモン社の石原社長が気に入ってくださり、GOサインが出ました。
株式会社ナイアンティック アジア統括マーケティングマネージャー 須賀健人さん
ナイアンティック社・村井:実は、同時期にナイアンティック・ラボ(当時、現ナイアンティック社)では『Ingress』(スマートフォンに搭載されているGPS機能を使って遊ぶゲーム)で培ったポータル情報やテクノロジーを活用してアプリを作ることができるプラットフォーム構想が進んでいて、社内プレビューで「ポケモンチャレンジ」を見た現CEOのジョン・ハンケがこれを実現したい、と当時同じラボにいた川島優志(現・ナイアンティック社アジア統括本部長)に相談したのがプロジェクトの始まりかもしれません。
川島と野村は旧知の間柄だったことから、ナイアンティックでプロジェクトが立ち上がることになりました。
ポケモン社・遠藤:弊社からエイプリルフール企画への許可が出てからは、すごく早く物事が進みました。動画映像から、プログラミングから、これだけのプロジェクトを短期間にまとめた野村さんの手腕はもちろんのこと、彼のポケモンに対する深い理解、熱い思いに、社員一同感銘を受けました。
Pokémon GO推進室 マネジャー 遠藤憲司さん
日本とアメリカにまたがるチーム編成
―最初の発案からわずか一月あまりで、二つの組織を繋ぐチームが始動したわけですね。もともと現メンバーでの面識はあったのでしょうか。
ポケモン社・遠藤:メンバーの面識は全くありませんでした。日本で行われた最初のミーティングで、弊社社長の石原と、ナイアンティックのジョンさんが意気投合し、そのあとに、『Ingress』の講習会がポケモン社内で実施されました。
すると、たちまち社内で『Ingress』が流行り、社内にエージェントが増殖しました(笑)。石原はじめ、社員の多くが『Ingress』のエージェントとなり、このリアル・ワールド・ゲーム(現実世界を舞台に、自分の足で世界を歩き回ることで楽しむことができるゲーム)の面白さに夢中になりました。
社内では、これだけ面白いものをさらに多くの人に遊んでもらいたい、と思うのと同時に、ゲームを始めるのに敷居が高い印象があり、それを取り払うことができればこのゲームは大きく化ける、という共通見解がありました。
その次のミーティングはアメリカで行われ、石原のほか、ポケモン社側の開発責任者である宇都宮崇人、ポケモンのゲームディレクターの増田順一をはじめとするポケモン社チームがアメリカのナイアンティックを訪問しました。その時にこのプロジェクトを進めることで合意し、アメリカにいるナイアンティックの野村さんと、日本を拠点にしているポケモン社チームで、ビデオ会議を週に一度実施することになりました。
ナイアンティック社・村井:それからゲームの仕様を決めていき、実際に契約書でサインしたのが2014年12月でした。翌15年2月からはプロトタイピング(試作)が始まりました。その1ヶ月後の3月には、ポケモン社でポケットモンスターシリーズを担当されていた江上周作さん(ポケモン社推進室長)がチームに加わり、ナイアンティック側からもマーケティング担当として、須賀が加わりました。
―「ポケモンチャレンジ」を発案した野村さんに加え、それをサポートした須賀さん、ポケモン社の江上さんと、徐々にチーム編成も厚みを増していったのですね。
ポケモン社・遠藤:このとき、「Pokémon GO Plus」の開発を担当する小川 慧、ポケットモンスターシリーズと連動するWEBサービスを支え、手掛けてきたエンジニアの吉川佳一も江上と同じ時期にメンバーに加わり、ほぼ今のような体制になりました。
そして2015年9月に『Pokémon GO』のプロジェクトを発表するわけですが、その前に、ナイアンティックがGoogleから独立する、というニュースが飛び込んできました。
ナイアンティック社・村井:この独立で、Googleを辞めてナイアンティック社に転籍した人もいれば、そのままGoogleに残るという人もいましたので、チームの見直しが必要になりました。
野村はもちろんナイアンティック社に転籍し、『Ingress』のエンジニアだったEd Wuが『Pokémon GO』のリードエンジニアに、『Ingress』のアートディレクターだったDennis Hwangが正式に『Pokémon GO』のアートディレクターに就任し、この3人を中心にナイアンティック社の開発チームが再編されました。
ポケモン社・遠藤:ナイアンティック社が独立したすぐ後の2015年9月10日に「新事業戦略」の記者発表会を実施し、『Pokémon GO』プロジェクトを公式に発表しました。
ナイアンティック社・村井:このとき、須賀がプロモーションビデオを作製したのですが、現時点で3500万回以上再生されることになりました。
ナイアンティック社・須賀:この時点では、ゲームの細かな仕様がまったく決まっていない中での動画を作っていて、開発チームにいろいろと確認し、こういう風になれば面白い、というものを想像しながら作りました。
ポケモン社・遠藤:当時、チーム内ではオーバープロミシングではないかという懸念がありましたが、「こういうゲームにしよう」と奮起するきっかけにもなりました。
ナイアンティック社・村井:そして、2015年10月にはGoogleマップのプロダクトマネジメントを長年に渡って担当し、開発やチームマネジメントに精通する河合敬一がナイアンティック社に加入してくれました。
私も以前から手伝ってはいたのですが、2015年11月にナイアンティック社の日本法人社長として転籍しました。
ポケモン社・遠藤:ポケモン社側でも、ソーシャルゲーム開発の経験のあった曽羽孝則、インフラエンジニアの関剛がチームに加入しました。
ナイアンティック社・村井:その後はもう怒濤の日々でしたね。
お互いをリスペクトする
―それにしても、短い期間で『Pokémon GO』の仕組みや内容を決めていくのは大変だったのでは?
ゲームフリーク社・増田:ゲーム「ポケットモンスター」シリーズの最新作『ポケットモンスター サン・ムーン』(2016年11月18日発売)のプロデュースもしているので、そちらのものづくりもしながら同時に『Pokémon GO』のものづくりをしていくという状況でしたね。出張中の飛行機でこっそり仕様書作る、なんていう仕事を久しぶりにして...。
そうやって出来上がったものを直接プログラマーと話しながら作っていくという過程は大変でしたが、楽しみでもありました。なかなか社外の人とポケモンを作るという経験がなかったものですから、非常に刺激的でしたね。
株式会社ゲームフリーク 取締役 開発本部長 増田順一さん
ゲーム「ポケットモンスター」シリーズのディレクター。
『Pokémon GO』では世界観構築とゲームデザインの一部、楽曲・効果音を担当。
ポケモン社・遠藤:大変だったのはフィールドテストですね。パッケージソフトの場合、100%完成したものしかユーザーにもお見せしませんし、デバッグやテストはクローズドな環境でプロフェッショナルなデバッガーの方のみと行います。
未完成の状況でユーザーにプレイしてもらい、フィードバックを受けながら商品を作っていく、というやり方に当初困惑しましたし、社内でも大きな議論がありました。
最終的には、開発するナイアンティック社のエンジニアの方たちが一番自信をもって、気持ちよく開発を進められる方法をとることになりました。
公募で集まってきた一般のテスターの方から、ゲームに対する厳しい言葉を頂戴するたびに落ち込みましたが、テスターの皆さんからすごく献身的かつ質の高いレポートをいただいたことで、大いに感銘を受けました。このフィードバックがプロダクト開発の大きな力になり、プロジェクトの成功になったと思います。
ナイアンティック社・村井:開発チームのみならず、テスターの皆さん、そして『Ingress』のプレイヤーの皆さんから提供いただいた情報がベースになっていて、全員がいたからこそ、このような大きな反響を生む作品に仕上がったと思いますし、全員が大きなワンチームだと思っています。
─そういったお互いの組織の文化の違いというのも克服しながら進めていったのですね。
ポケモン社・遠藤:全く異なる文化を持つ2社が、日本とアメリカと二国にまたがって開発する訳ですから、たしかに意見の相違もありました。でも、しっかり本音でコミュニケーションを頻繁にとり、お互いの立場や理解を主張した上で相互理解を深めていく中で、相手が本当に大事にしていることに共感して尊重することができました。
根本的な理念では共感しあえていましたし、チームメンバー同士が、所属する会社を超え、個人として信頼感がすぐに生まれ、とてもフェアにプロジェクトが運営されたと思います。
ゲームフリーク社・増田:ポケモンとしても新しい取り組みでしたし、たしかに、「これはやっていいのかどうか」などといった課題はありましたが、そうした課題を一つ一つ、チームで議論していきました。お互いのことを尊重してわかった上で議論を進めていくということが、毎回できているというのが結果的によかったですよね。
ナイアンティック社・村井:本当にそうですね。言語の壁と考え方の違いもある中でお互いの意見を尊重しながら、例えばナイアンティックがこういっているんだったら、この考え方をしてみようかとか、ポケモン社がこういっているんだったら、自分たちのやり方を変えてみようとか、お互いを尊重し合うという立ち位置が皆の中ですごくあったというか...。
そこが、プロジェクトが上手くいく大きなポイントでした。
8週間で5億ダウンロード
―『Pokémon GO』は、リリースされてから世界中で空前の人気が続いていますが、実感はありますか?
ゲームフリーク社・増田:最初にオーストラリアとニュージーランドでリリースされたときにはフランスにいて、ものすごく数字が出ていると聞いたのですが、正直、実感はありませんでした。その後日本に帰ってきて、北米にリリースされた様子がニュースで流れているのを見て、その時にすごく多くの人にプレイしてもらえているのを把握できたという感じでしたね。
ナイアンティック社・須賀:私がこれまでになかったことが起きたと思ったのは、親戚から連絡が来たときですね(笑)。60代や70代の親戚から、『Pokémon GO』をやるためには、スマートフォンを買えばいいのかという質問が来たんですが、これはGoogleにいたときには無かった体験で驚きました。
それから、深夜にコンビニに向かう途中、普段は人通りの少ない場所で、カップルや友だち同士でスマートフォンを手にポケモンを探しているのを見て、街の風景が変わったなという印象を受けました。
ナイアンティック社・村井:ローンチした後にすごいアクセスが来ているというのは、サーバーなどを見てわかってはいましたが、現場としてはあまり実感がわかないんですよね。
私は普段公園を歩いて通勤しているんですが、サービスをだした次の日から週末にかけて、公園に行くと、歩く場所がないくらいに人が集まっていて、スマートフォンの画面で、みんな『Pokémon GO』を開いて楽しんでいる姿がとても印象的で、そこで初めてものすごいことが起きたんだなと感じました。
―そういう反響につながったことをどう捉え、どう今後につなげていくのでしょうか。
ナイアンティック社・村井:サービスを出した後は嵐のような忙しさがやってきて、3週間ぐらいはお昼も食べられないくらい激務でした。そうした中で、より良いサービスにするために、多くの方の声を聞きながらサービスの改善をしてきたのですが、その時に支えになったのはチームが一丸となって同じ方向を向いて全力で走ることができたということでした。
おかげさまで、8週間で5億ダウンロード、想定を超えるスピードで全世界でダウンロードいただき、うれしく思っています。そして、トレーナーたちが歩いた総距離が46億キロになりました。自らの足で世界を歩きまわることではじめて楽しむことが出来るのが、リアル・ワールド・ゲームです。
配信した国々では街や公園に人が戻ってきたり、病床の子どもたちのリハビリに活用されたり、自閉症の子供が外へ飛び出し人とコミュニケーションをとるようになったり、といった嬉しいニュースを聞いています。この反響の裏には、ナイアンティックが 『Ingress』で培ったリアル・ワールド・ゲームの技術と、日本の誇る知的資産である「ポケモン」の世界的な人気が融合したことにあるのではないかと考えています。
ポケモン社・遠藤:街を歩くと、友達同士、親子、夫婦と年代を問わず、多くの方が『Pokémon GO』をプレイしている姿に出会い、そこにコミュニケーションが生まれている姿に胸が熱くなりました。
米国と日本で開発チームが距離的に離れてはいましたが、毎週ビデオ会議を使って開発会議を行っていたので、日々のチームワークはどこにも負けないと思います。時差もありますが、その時差を上手に活用して、例えば、夕方に聞いた質問が朝になったら返答がある、というような形で、開発も進められたのではないかとも思います。良いものを世に出したい、という思いでチーム一丸となって開発を進めてきましたし、現在ももっといいものを届けようと、毎週会議をしています(笑)。ぜひ末永くポケモンとの出会いを楽しんでいただけると嬉しいです。
(執筆:山口亜祐子/撮影:尾木司)
「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー」は、職場での「成果を出すチームワーク」向上を目的に2008年から活動を開始し、 毎年「いいチーム(11/26)の日」に、その年に顕著な業績を残した優れたチームを表彰するアワード「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー」を開催しています。 公式サイトでは「チーム」や「チームワーク」「リーダーシップ」に関する情報を発信しています。
本記事は、2016年11月14日の掲載記事メンバーの面識ないところから始まった『Pokémon GO』プロジェクト──世界で熱狂を巻き起こしたチームの秘訣とは?より転載しました。