人事のプロが社会人ミュージカルを主催?なぜ演劇がウェルビーイングを加速するのか

「社会人×ミュージカル」を主軸としたプロジェクト「Project EN」の初演は、アマチュアのミュージカル団体としては異例のチケット1500枚を完売。プロジェクト発足の背景や現在地、そしてライフワークと「好き」を天秤にかけない斬新なキャリアビルディングについて、プロジェクト代表の中山楽人さんに聞いた。

「社会人×ミュージカル」を主軸としたプロジェクト「Project EN」

7月に行われた第1回目の公演では、アマチュアのミュージカル団体としては異例のチケット1500枚を完売。2日間3公演の大成功を収めた。

しかし、公演で目指すのは収益以上に、「演劇の価値」を広く伝えることや作品作りの中で社会人が「対話や表現」を体験することだという

「舞台を通して自他との対話をすることで、より自分らしく、ウェルビーイングに生きられる人が増えると信じています」

そう語るのは、本プロジェクト代表の中山楽人さん。採用や事業開発のコンサルティング業をライフワークとしているという中山さんは「演技指導って実は採用面接やコンサルティングに通ずる部分があるんですよ」と笑みを浮かべる。

プロジェクト発足の背景や現在地、そしてライフワークと「好き」を天秤にかけない斬新なキャリアビルディングについて聞いた。

Project EN 代表の中山楽人さん
Project EN 代表の中山楽人さん
KOTA SAKAI

ビジネス留学だと思って企業に就職

演者の井上楓子さん
演者の井上楓子さん
KOTA SAKAI

─── 学生向けのミュージカル団体はよくありますが、「社会人×ミュージカル」というのは珍しいですね。

僕自身もメンバーの皆んなもライフワークがあるので、正直「やらなくても生きていけること」ではありますよね。それでも「これをやるぞ!」と決めた理由には、個人のメンタルヘルスやウェルビーイング、さらに言えばソーシャルグッドを加速するからという側面もあるんです。

僕が演劇に出会ったのは、大学で所属していた英語サークルの活動の一環でした。2年生の頃に大きな役をもらったのですが、当時の演出家から「君の演技は全く心に響かない」と言われてしまったんです。中学校の頃に同級生とうまく付き合えなかった経験もあって、自己開示が苦手なのを見抜かれていました。

それまでは、過去の経験が自分の性格に紐づいているとは気づいてもいなかったので、演技を上達させるために「どうしてだろう」「どうしたらいいだろう」と立ち止まって考え続けていたら、自分は傷つかないように何事にも一線を引いているんだと気づいて腹落ちしました。実生活でその調子だったら、舞台上で相手の言葉や演技を受け取ったり、自分の心の乗った演技で返したりできるはずがありませんよね。結果として、演劇と向き合うことが、他者と向き合うこと、そして自分と向き合うことの練習になっていきました。

演劇という名目があれば感情の吐露を許される、むしろ求められるので、それを繰り返していく中で、実生活においても言いにくい本音や感情を他人にしっかりと伝える練習ができました。その後の友人関係も著しく良い方向に変化していって、八方美人をやめても大切な人は残ってくれるんだと知りました。

もちろん万人に当てはまるとは思わないのですが、敷居が高いと敬遠されがちな演劇が、実はある種のカウンセリングや自己分析にもなり得るということです。

ENでは、より入り口を広げるためにミュージカルという形を選びました。演劇だけでは気負いしてしまう人も、歌やダンスが入り口ならより挑戦しやすくて、見にくる側の敷居も下がるのではと考えました。

演者の小林勇輝さん(左)と歌唱指導の松尾麟之祐さん(右)
演者の小林勇輝さん(左)と歌唱指導の松尾麟之祐さん(右)
酒井倖太

─── 商いとしての演劇を作るのではなく、演劇を通じて自分や他者と向き合うことを念頭においているんですね。当時は大学のサークルの外でも活動はしていたのですか?

大学卒業までのいわゆる就活期間に、日本中の演劇教育と名のつく団体に足を運びました。夏休みに京都のNPOでインターンをさせてもらったり、カナダやフィリピンに短期留学した際に、現地の団体も訪問したりもしました。色々なところで得た知見を用いて自分なりにデザインしてみて、演劇未経験の社会人を対象にしたワークショップもしていましたね。

しかし、集客や資金繰りなどの経営の課題があって続けられなかったんです。大学生の頃の自分はそこに経済性を伴わせる術を知らず、そのときに「どれだけ価値があるものでも、経営力がないと続けられないんだ」と学びました。そこで「このまま無理に続けるより、ビジネス留学だと思って企業に勤めて経営を学んでから、また自分のやりたいことに帰ってこよう」と決めたんです。

本質は同じ?人事と演技指導の二足わらじ 

稽古の様子
稽古の様子
酒井倖太

─── どんな業種に就職したのですか?

就職先に選んだのは、大手人材系企業でした。そこである程度の基礎知識や社会人としてのお作法の雛形みたいなものを学んだんです。今でも大好きな会社ですが、大企業だったこともあり、自分が個人で任せてもらえる裁量には限界があり「もっと責任を負える、当事者意識を高く持てる立場になって勉強すべきだ」という思いから、社員が10人以下のSNSマーケティングのスタートアップ企業に転職しました。

新天地では事業責任者をした後に、人事の責任者、つまりは人や組織に向き合うプロとしての仕事を2年間経験させてもらいました。この会社でマネージャーとして過ごした3年間のおかげで今があると言っても過言ではないくらいたくさんのことを学ばせてもらいました。その後、会社がある程度大きくなったタイミングで退職して、今は個人事業主として人事や事業開発のコンサルティングをライフワークにしています。

─── 演劇と人事、面白い組み合わせですね。

演劇と人事の共通点は、どちらも「人と向き合う行為」だということです。演技指導には、役者自身でも気づいていないような癖に気づかせてあげる作業が含まれます。キャリア面談の業務にも、クライアント自身もまだ言語化できていないような真のニーズや適した仕事や役職を会話によって導き出す作業が含まれていますよね。

根底にある価値観や欲求を理解して「あなたが人生をより充実させて生きていくために、向き合うべき課題や、より適した環境はこれではないですか?」と提示して並走する。これが演技指導と人事の共通項だと思っています。

演者の松井栞里さん(左)と小林勇輝さん(右)
演者の松井栞里さん(左)と小林勇輝さん(右)
酒井倖太

僕は演技指導をライフワークとする“生粋のプロ”は目指していないので、あくまでもカウンセリングや自己分析としての演技に限った話にはなります。

演劇の世界はプロと素人の間が空きすぎている気がするので、セミプロに近い形の領域を広げる、演技の裾野を広げる活動がしたいんです。演劇が多くの人にとって身近になれば、もっと気軽に舞台を見に行ったり、「挑戦したいな」と思える人が増えたりするので、そうやって敷居を下げることで演劇文化そのものの発展にもつながると信じています。

─── 働く人の中には「好き」と「仕事」を天秤にかけて、ある種の折り合いをつけている人も多いように思います。中山さんはライフワークと団体の経営をどのように両立しているのですか?

今はドタバタで「両立できている」と言い切れるかは難しいところですね(笑)。本番が近い時期は、業務委託先の会社に相談して稼働時間に融通をきかせてもらったり、その場で作業が完結するようなミーティングでのコンサルティングに業務を絞ったりしています。ENが忙しくない時期は週に30時間以上働いたりもするので、臨機応変に働いていますね。

─── 個人で稼ぐ能力を身につけているからこそ、実現できる部分もたくさんあるんですね。

多くの時間をプロジェクトに割けることや、前職で得たスキルやそこで培ったノウハウのおかげで赤字リスクを恐れすぎずに挑戦できることは、とてもありがたいことだと感じています。

7月の初公演は、本番の会場規模を含め、大きいプロジェクトでしたが、クラウドファンディングや広報にもプロの協力があり、沢山のお客さんが来てくださいました。初日に関しては完売だったほどです。プロではない団体が初演からこれだけのチケットを売るということはとても難易度が高いことなんです。

収益だけを追求するプロジェクトではありませんが、プロジェクトは最低限の数字を残さないと次に繋げられなくなってしまいますし、赤字リスクを恐れると規模はどんどん小さくなってしまいます。それでは「演劇の価値を広く届けるためのクオリティの高い作品」を作ることも「大きな舞台で社会人が演技をする」という体験もできなくなってしまいます。作品作りに集中できる環境を整えるという意味でも、そこに余計な心配事がないようにすることも経営者の仕事です。今後もチームの力も借りながら身につけていきたいところですね。

舞台でも、人生でも、向き合うことを諦めない「社会人」

Project ENのメンバー
Project ENのメンバー
Hana Yamashita

─── 演技における社会人独特の難しさや楽しさはありますか?

社会人として生きる中で、いつの間にか自分の感情にフタをしてしまっている人は多いように感じます。

深刻なシーンで愛想笑いを無意識にしてしまったり、頑張ってもなかなか演技に気持ちが入らなかったりしてしまうんです。稽古を見ていて「今日はいつもより台詞が浮いているな」と思って本人に話を聞いてみると、「仕事で失敗した」と返答が来て「それが原因だったか!」みたいなやりとりもよくあります。今回の稽古は木曜日の夜と土日だけだったので、稽古がない期間に凝り固まってしまったものを互いに協力して何度もほぐし続ける。これは社会人特有の難しさであり、やりがいでもありましたね。そういった課題を乗り越えて本当に良いお芝居ができたときの喜びはひとしおです。

本番後の挨拶の様子
本番後の挨拶の様子
鈴木あゆみ

「良いものを届けたい」という思いがそれぞれにあるので演者間での衝突もありますが、それも「ぶつかっても良い」という心理的安全がある証でもあります。演じることは自分とはまるで違う人間と重なったり向き合ったりする行為でもあるので、「なぜこの人物はこんな振る舞いでこんな性格でこんな言葉遣いなんだろう」と思考を巡らせてバックグラウンドを想像すること自体が、他人への共感力を育むエンパシー教育にもなると思います。

第1回公演の演目に選んだ『ウエスト・サイド・ストーリー』にも、僕は作品のテーマ性に「向き合うことを諦めない」というものを感じていて、それがこの団体の目指すところとも重なっているように思います。

─── 今後の目標はありますか?

公演の頻度を上げたり団体の規模を拡大したりということはありますが、もっと大それたことを口にしてみるならば「演劇を使って社会に良いインパクトを与えたい」と強く思っています。

僕の原動力は「こんなにもパワーがあって価値のある演劇が、世の中に知られていないなんて悔しすぎる!もったいない!」なんです。演劇を知ればより豊かに自分らしく、ウェルビーイングに生きられる人が増えると信じています。最初は個人の見解にすぎませんでしたが、活動を通してメンバーのみんなからもそう教わった気がしています。

これからも仲間を募り、新たな挑戦を続けていきたいと思います。

カーテンコールの様子
カーテンコールの様子
HanaYamashita

中山楽人

早稲田大学文化構想学部卒業。学生時代に四大学英語劇大会やNPO Fringe Theater Projectでの活動を経験。株式会社リクルート、株式会社FinTでの事業責任者、人事責任者の経験を経て独立。2024年、Project ENを立ち上げ。

撮影協力:酒井倖太

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