私たちは、変われる。
いまがどんなにつらく大変だとしても、変われる。
変化していくものだ。
こうしたことは簡単に証明できることです。
どんなにつらくしんどく、何度も辞めようと思った練習でさえも、
結果を出したり、代表になったり、1番になったら
「練習のおかげです」「日頃の積み重ねです」とコメントしたりします。
あの練習のおかげ、ときに厳しく導いてくれた指導者のおかげ、と変わったりします。
一方で、夢中で応援していたアイドルや歌手、
食費を切り詰めてまでお金をつぎ込んだ趣味、
この世のすべてのような恋......
振り返ってみると「病に冒されたような」「何かの熱に浮かされたような」など、
かつての自分を理解できなく思ったり、恥ずかしく後悔したり......
こうしたことは、そのとき感じていた感情とは異なり、逆転していたりもします。
意味がないと思うものが、のちに意味を持つようになったり......
(練習、厳しい指導、受験勉強......)
すべてだと思ったものが意味を持たなくなったり......
(アイドル、趣味、恋......)
誰でも経験のあることではないでしょうか?
昔の出来事をいまの自分が振り返ると、
当時とは違う気持ち、考えになっていたりします。
そうであるならば、いまの出来事も未来の「いつか」の時点で振り返ってみると、
その意味が変わっているということは、十分に可能性のあることです。
過去の出来事の意味は「いま」の自分が決める
私たちは「いま」を生きています。
いま何を感じ、いまどうしようとしているのか?
という短い時間の中で考え、判断し、行動しています。
ですからどうしても、「いま」と
「ちょっと先の未来」の短い時間がとても重要になってしまいます。
そこを基準にして考えたり判断したりしますからね。
(この「短い時間」の意味するところとは、人それぞれです。
80歳の方からすると「あの頃の5年」なんて短いものでしょう。
でも20歳の若者には「あの頃の半年」とは長い時間かもしれません。)
出来事そのもの、過去自体を変えることはできなくても、
その意味、ストーリーとは変わっていくものです。
中国の故事にも「人間万事塞翁が馬」という言葉もありますね。
あの老人ほど冷静でいることも「ちょっとどうかな?」とも
(やはり嬉しい時には全身で喜びたいものです)思いますが、
1つの真実がそこにあるからこそ、故事として語り継がれているのではないでしょうか?
時間が過ぎていくことで、変わるストーリー、変わる意味、
新しく生まれる価値、重要性が少なくなっていくこと......
どうにもしようがない、何ともならない......
こうした変わりようがない(と思える)いまの現実も、
将来へと変化していく可能性を持っているのです。
(2016年12月18日「ボトルボイス」より転載)