お父さん、お母さん、子供と触れ合う時間を持てていますか?
マラソンブームの到来で成り立つ親子の触れ合いを考えてみたい。
マラソン(ロードレース)大会では、「親子ラン」の部を設けているところが多い。意外や昔から存在する人気の種目ですが、皆さんご存知でしょうか。距離は大会毎に異なりますが、2キロ前後が多い。ただ、子供は小学生以下という条件が付く場合がほとんど。幼稚園生から小学6年生まで一緒になるなら、子供の走力には相当な開きがあるわけで・・・。ということは、順位を競う種目とは考えられていないということになりそうだ。
ルールは、至ってシンプル。「親子であること」「ゴール前100mから手を繋いでゴールすること」
背も年齢もかなり違う親子が波長を合わせなければいけない『走りの同調』は、実際に走ってみると、なかなか難しい。不安で途中ずっと手を握ってくる子供もいるから、なおさら。
この親子ランのレースを見ているとひじょうに楽しい。
親が速い場合は、ゴールが近付くと、子供を引き摺るように強引に手を引っ張って走る。親が勝手に優勝や上位入賞を目指しているように感じる。これはよくありがちなパターン。子供が走ることを嫌いになってしまうのではないかと心配してしまうのは、大きなお世話だろうか。
とくに面白いのはその逆。子供が先行して走っていて、親がゼーゼー言って後からやってくるところ。「お母さん早くぅ!」「お父さん、遅いよ!」と言いたげに、ゴール手前100mの手を繋ぐ地点で足踏みして待っている場面。普段運動を全くしない「太っているお父さん」「タバコを吸っているお父さん」などが、それに該当するのでしょうが、見ているほうは愉快な思いをしながらも同情をしてしまうというものだ。
ゴール後に「お父さんがもっと速かったら、〇〇番くらい順位が上がったのに・・」と怒る子供もいるかもしれない。「もっと運動したほうがいいよ」なんて言われるかもしれない。そんなやり取りを想像するのも、また楽しい。
昔も今も、終電で帰る電車の中は、サラリーマン風の男性で溢れかえる。ということは、子供が寝てから帰り、起きる前に出て行くというお父さんが多いということを意味する。
そうなると、「せめて休日は家族サービス」となるはずだが、何処で何をするかは、悩ましいところ。近場で、ショッピング、食事・・・ワンパターンになってしまいがちなのでは。そんな方は是非、マラソン大会に家族で参加することを選択肢に加えてみてはどうでしょう。
ランニングタウンで『マラソンランナー赤羽有紀子のその後』という記事で紹介しているので、少し引用させてもらう。
昨年、現役を引退した女子マラソンの赤羽有紀子は、日本の長距離界では、ママさんランナーとして、日本で初めてオリンピックに出場した選手。彼女は、今、ゲストランナーとして多くの大会に出場する人気者だが、その大会に「親子ラン」があると、必ず子供と参加しているという。
ある大会にゲストランナーで参加したときのこと。
メイン種目の10キロの前に、親子の部2キロに出場することになっていた。「親に似たのか、負けず嫌いなんです(笑)。今日も張り切ってるんですよ。しっかりサポートしてあげないと」と笑顔で話す。
現役時代は、競技中心の生活が強いられ、長期の遠征も多く、家にいないことのほうが多かった。子供の面倒をみていたのは、おじいちゃん、おばあちゃん。だからだろう、「今は、子供と触れ合う時間ができたのが嬉しくて」と話す顔は、お母さんのそれだ。現役時代の顔とは、まったく違う。「子供と一緒にいられなかった『かけがえのない時間』という負債を、今は少しでも返したいんです」と言い残し、嬉しそうに親子の部のスタートに向かうのだ。
しっかりと手を握りながらスタートを待ち、号砲とともに、呼吸を合わせて走り、ゴールを目指す。元オリンピック選手だからといって、一番ではない(男女一緒だし、まだ低学年)。それでも、ゴールだけを見据えて、手を繋いで全力で走っていた。
素晴らしい光景だと思う。なぜならば、お母さん(赤羽)から伝えられるのは、母親の温もりだけではないだろうから。アスリートとしての『何か』を、手を介して伝えているように見えたのである。
という具合に、普段、「子供と触れ合う時間が確保できない」という『時間と交流の負債』を負っているお父さんやお母さんがいたとしたら、ここで一気に返済できるのでは、と思えてくる。ゴールという同じ目標に向かって、呼吸を合わせ、手を繋いで走る親子ランは、『何かを伝え合う』またとないチャンスとなる。その『何か』とは、人それぞれで良い。親子の信頼だったり、親への尊敬だったり、子供への愛情だったり。
お奨めの親子ランですが、子供に遅れをとらないようにトレーニングして臨んだほうがいいかもしれませんよ。でないと、違う負債が増えたりして・・・(笑)。